Fahrenheit Ⅳ
地獄のはじまり。
♠ K ♠
散々練習してきた。今更ビビッてどうする。
それに瑠華は会場は俺たちの場所にだけ光が当たってて他の様子なんて見えない、と言ってたし。ってことは誰の視線も気にすることないってことだよな。
そこは俺と瑠華、二人だけの世界。
最初、余興のくじを二人して引いてしまったこと、ダンスをしようと言い出した俺をちょっと恨んだり後悔したりしたが、考えようによっちゃ公然と、誰の目も気にせず瑠華と仲良くできるってことだしな。
俺は披露宴会場の向かって右側の会場が見渡せる裾で最終的な衣装のチェックをしながら、出番を待っていた。裸足だからか、床から寒さが伝わってきた。それが緊張からなのかどうか分からない。カーテンをちらりと開けると、十字路の向こう側のカーテンはまだ空いてない。あの裾の中で瑠華も出番を待っている筈。
やがて
「最初の出し物は外資物流事業部の神流部長と柏木補佐お二人の出し物です」と綾子のアナウンスが流れた。
会場がざわついた。
「あの二人が?」
「何の出し物?」
「まさか漫才とか(笑)」と方々から声だけが聞こえる。
何で出し物のくじも最初を引いちゃったかなーと、くじ運を恨んだが恨んでたところで仕方ない。いずれやってくるものだし。
しかし、まぁ何かと問題を起こしている俺たちだからな、話題性は抜群……いいのか悪いのか…
会場の照明が落とされ、広くて大きな窓にカーテンが自動で閉じられる音が聞こえた。
確かめないでも分かる。今会場の中は殆ど暗闇だ。
やがて拍手とともに俺はカーテンを開けた。同じく向こう側でも瑠華がカーテンを開けた。まだ音楽は掛かっていない。
俺たちは左右からゆっくりと歩いていく。瑠華の言った通りステージには眩い光が溢れかえっていて会場の様子はまるで分からない。誰の視線が俺たちをどう捉えているのか。
一瞬噂話が止まったのち、すぐに
「ぅわ!柏木補佐!すっげぇ!女優みたい!きれいだな~!」
「神流部長かっこいい~♪」
と歓声が上がった。中央で二人合流して向き合うと俺は軽く腰を折って右手で彼女をダンスに誘う素振り。同じく瑠華はドレスの裾を両手で掴み深く腰を折った。
俺が手を差し出すと瑠華もゆっくりと俺の手に重ねてきた。
誰も何も思わない、これが今居る俺たち二人だけの世界。
周りから感嘆の声。
やがて音楽がスピーカーから流れ始めると最初の“ムーンリバー”の曲に合わせて、スローなワルツ。俺は瑠華を受け止める為のホールド、瑠華はそのホールドの肩に手をゆっくり乗せ俺は彼女の細い腰に手を回した。まずはゆったりとしたワルツから始まる。ナチュラルターン、アウトサイドチェンジ、ホイスク、ナチュラルリバースターン。
独特のムーブメントの美しさに、全員が息を呑んだ気配がした。
曲の中頃か“らTime To Say Goodbye”に曲が代わり
次はスローフォックストロット。ゆったりした踊りの中で正確な足さばきを要求される。
練習通り、音楽に乗せてゆったりと。繋いだ手から二人が一体化している感じがした。
ターンをする度くるくる、くるくる視界が―――世界が回る。光と音だけの見たことのない世界に酔いそうだ。
温度や香りを分かち合い、今俺たちはたった二人だけの世界。
「すっごい!」
「きれい」
と声だけは耳に入って来るが瑠華の瞳が俺を捉える度に、他の言葉に耳を貸さないように、と言われている気がした。
言われなくても、そのつもり。