Fahrenheit Ⅳ
「これ、綾子から渡してくれって」と麻野さんは一つのゴールドのパンプスを宙に掲げた。そう言えばまだあたし、裸足のままだった。啓はいつの間にか靴を履いていたのに、表情ばかり気にしていてその様子に気づかなかった。あたしは来た時はブーツを履いていたけれどスタッフの誰かがどこかに仕舞ってしまったのだろうか。綾子さんはそれを見つけられなかったようだ。
「ほら、冷えるだろ?」と麻野さんはパンプスを床に置いた。
「ありがとうございます」麻野さんと綾子さんの厚意に甘えてパンプスに足を入れるとそれは少し大きかった。
「ちょうどいいサイズがなかったみたいで、でも綾子が一番近いサイズを探してきたみたい」
それでもいつまでも裸足と言うわけにはいかなかったから、ありがたかった。
「あれ?佐々木は?いっつも柏木さんの後を金魚の糞みたいにくっついていたのに」と会場を眺めまわしていると
「佐々木さんは久しぶりに会った教育部の同期の方と一緒ですよ」
「あー、またあいつは男ばっかで固まって色気ねーな」と麻野さんは苦笑い。「こんなきれいな柏木さんを放っておいて」
「きれい?」と目を上げると
「うん、すっげぇ俺好み。綾子が居なかったらそっこー口説いてたワ」
「また麻野さんは、冗談が過ぎますよ」ちょっと笑うと、麻野さんは両人差し指をあたしに向けてきて
「お、やっと笑ってくれた」と白い歯を見せて笑った。
「啓人のヤツが、ああだからな~、まぁ二村の目を気にしてるのもあるけどあからさまって言うか。もうちょっと柏木さんに気を遣ってあげるべきだよな」
麻野さんはあたしをお姫様と例えた。
シンデレラに白雪姫、人魚姫に、オーロラ姫。
特にあたしが好きだったのはシンデレラ。魔法でボロの洋服がドレスに代わり、夢のような舞踏会で王子様と出逢い、しかし片方のガラスの靴を落としてしまう。王子様はこのガラスの靴の持ち主こそが運命の人だと町中を探しまわし、シンデレラと再会する。
でもあたしのガラスの靴は―――きっと啓から視線を逸らされた瞬間壊れてしまった。
割れたガラスの靴の破片が胸に刺さり、そこから赤い血が流れている。それは白雪姫に毒りんごを渡した魔女が持っていたようなリンゴのような色をしているのかしら。
啓と瑞野さん―――どこからどう見てもお似合いだ。
付き合っている―――と言う噂も頷ける。
「ごめんなさい、麻野さん。私、今日は帰ります。綾子さんに宜しくお伝えください。あと、啓のおじさま……会長には柏木は体調不良の為、早退したと伝えてください」
あたしは合わないパンプスのままくるりと踵を返し。出入口に向かった。
「え!?え!?俺が会長に!?てか俺また変なこと言った?」
いいえ、麻野さん。あなたは何も言ってません。これはあくまであたしの気持ちの問題。
弱くて、脆くて、一番嫌いな自分の―――問題。
こんなあたし嫌なのに―――
でもどうしたらいいのか分からない。