Fahrenheit Ⅳ


とは言っても行く当てもない。何て言ったってアポがあるなんて完全なる嘘だからな。


昼時間と分かっていながら、仕方なしにふと思い出したセントラル紡績の菅井さんに会いに行くことに決めた。


事前に電話をすると


『ちょうどランチしに行こうかと思ってたんですよ。せっかくですから神流さんご一緒にいかがですか?』と誘われ、即OK。


セントラル紡績は江東区の亀井戸に位置していた。そこまで車を走らせ、始めて見るセントラル紡績のビルを地図で何度も確認していると、菅井さんが出てきた。前回菅井さんに会いに来た時、ダブルブッキングと言うトラブルでまじまじと見る余裕すらなかったしな。


赤茶けたレンガ造りの壁。商業施設と言った所か、セントラル紡績の持ちビルとは思えなかった。このどこかの階に会社が存在するんだろう。


「迷いました?」と菅井さんは人懐っこい笑顔を浮かべる。


「いえ、ナビ通りだったら簡単に」


「そうですか、あちらに来客用の駐車場があるんでそこに車停めちゃってください。ちょっと歩きますけどいい定食屋があるんですよ」


菅井さんに言われた通り、俺は車を停めると菅井さんの行きつけだという定食屋に向かった。


定食屋は”The定食屋”と言う感じで、この時間帯この近くで働くサラリーマンやらOLたちで店は賑わっていた。


「ここの”さばの煮つけ定食”がお気に入りで」と菅井さんが、年期の入ったメニュー表にずらりと書かれたメニューの一つを指刺す。


「じゃぁ僕もそれで」と俺が言うと


「おばちゃん、鯖定食二つ」と菅井さんは手慣れた手つきでこれまた年季の入ったエプロンに三角巾をした太った女性を呼び寄せ「あいよ!」と威勢のいいおばちゃんは伝票に乱暴に何かを書き、お冷とおしぼりを置いて行った。


「こう言っちゃなんですけど、真咲は料理があんまり上手じゃなくて」


内緒話をするように口元に手を当て菅井さんがこそっと言った。俺は思わず苦笑い。俺も知ってる。真咲が料理が苦手なとこ。


瑠華も料理が苦手だったな。


ふと考えると、俺の頭の中に瑠華の存在が浮かび上がる。何故―――追い払うつもりはない。受け入れたい。でも今は受け入れられない状況にあるんだよ。瑠華も分かってくれてると思ったが、きっと瑠華の中ではその考えがキャパオーバーになってるに違いない。


そう思いたい。


まだ―――俺を好きでいてくれてる、と。


< 92 / 122 >

この作品をシェア

pagetop