愛が全てじゃないけれど
 どこかで食事して帰ろうか、それともさっさと帰って家でのんびりしようかと考え、今日も今日とて冷蔵庫の中身が乏しいことに肩を落とす。


 この荷物を持ってコンビニもなぁ……。


 帰って荷物を置いてまた出る、のは面倒だ。

 食事するにしても家の近所にしようと思って駅を目指す。

 駅前の横断歩道は青だが、残り時間を示すメーターがあとひとつ。

 三車線の横断歩道を走れるほど、今の私には気力も体力もない。

 諦めて立ち止まると、すぐに信号が点滅した。

 私の目の前を横切る車は多く、中にはクラクションを鳴らされながら停車する車もあり、金曜の夜の賑やかさにまた疲れが増した気がする。


 乗り換えしなきゃだなぁ……。


 いっそのことタクシーを使おうか、この買い物の後で五千円はきつい、でもたまにはいいかな。

 そんなことをぐるぐる考えながら、信号を見上げる。

「美空さん!」

 名前を呼ばれた気がして、ふと辺りを見回す。

 見知った顔はない。

 空耳かもしれないと、もう一度信号を見ると、今度ははっきりと聞こえた。

「美空さん!」

 空耳じゃない。

 しかも、私を『美空さん』と呼ぶ人はそういない。

 横断歩道の端に寄って、もう一度辺りを見ると、左側にさっきクラクションを鳴らされながら停車した車と重なって、成悟さんが見えた。


 成悟さん!?


 見間違いではないだろうかと思いながら、近づく。

 彼もまた私に向かって走って来る。

 私が数歩歩くうちに成悟さんが私の目の前に辿り着いた。

「良かった。見間違いじゃなかった」

「どうしてここに?」

「会食の帰りなんだ」

「あ、そうなんですね」

「帰るところ?」

「はい」

「じゃあ、ちょっと待ってて」

「え?」

「ここにいて」

 そう言って、成悟さんが踵を返す。

 車に戻り、助手席側の窓に向かって何かを話し、すぐにドアが開いた。

 ここにいて、と言われたものの、私の足はゆっくりと彼を目指す。

 助手席から降りてきたのは、髪の長い女性。

 真っ白なロングコートが夜の街に映え、際立つ。

 顔までははっきりと見えないが、彼女が私を見たのはわかった。

 そして、成悟さんが何かを差し出し、彼女の手に握らせた。

 手を握っているように見間違えないくらいまで近づくと、彼女が瀬戸〇香似の美人だとわかった。

 年齢は私と同じか少し上に見える。

 女性がまた私を見て、成悟さんの首に手を伸ばす。

 少し緩んだ彼のネクタイをキュッと締め、微笑んだ。

 胸の奥がチクリと痛む。

 私は彼女と言葉を交わさなくてはいけない距離には踏み込まず、立ち止まった。

 成悟さんが通りがかったタクシーに手を挙げ、タクシーは彼の車の前で停車した。

 彼女が私に身体を向けて会釈し、私も会釈を返す。

 彼女は成悟さんといくつか言葉を交わして、タクシーに乗り込んだ。

 タクシーが走り出すより先に、成悟さんが私の元に駆け出す。

 彼の肩越しに車の波に乗って小さくなっていくタクシーを眺めた。
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