愛が全てじゃないけれど
6.恋が始まる前に
『金曜の夜に、ドタキャンからの偶然バッタリで食事したのに、あっさり帰されたの!?』
神海さんとの付き合いが順調な奈都に言わせると、私と成悟さんの関係はかなりじれったいらしい。
心の中では峰濱さんではなく『成悟さん』と呼んでいるにも関わらず、声に出して呼んだことはないと言えば、きっと呆れるのを通り越して大笑いされそうだ。
それでも、名前ひとつ呼ぶのにもドキドキしてしまう今の自分が、私は嫌いじゃなかったりする。
「お疲れさまでした」
エレベーターに乗り合わせた同僚たちと挨拶を交わして玄関に向かうと、小花ちゃんが立っていた。
いくらビルに入ること自体は誰でもできると言っても、デートの待ち合わせなら外にいるべきだ。
まぁ、私には関係ないけど……。
壁に背を預けて立ち、スマホを弄りながら行き交う人たちをちらちら見ている小花ちゃんの前を通り過ぎる。
膝上のスカートからのぞく細い足は何にも覆われておらず、見ている私の方がぶるりと身震いしてしまった。
もこもこのコートは暖かそうな素材だが、ボタンもファスナーもしていないから襟の深いニットが見えていて、やはり寒そうだ。
そこまで寒がりな私でなくても、素足で外は歩けない。
東京では風が冷たい程度でも、札幌では既に雪景色となっているこの季節は言語道断。
思わず、ふくらはぎまで長さのあるコートの襟を寄せた。
「あ! ミソラさん!」
自動ドア手前で急に甲高い声で名前を呼ばれて、ギョッとする。
振り返ると、小花ちゃんがスマホを片手に跳ねるように駆けてくる。
ヒールの音がエントランスに響く。
定時を一時間ほど過ぎているから、この場にはあまり多くの人はいないから、余計に。
「慶ちゃんの元カノですよね!?」
とはいえ、この発言はいただけない。
私は「話があるなら外で」と言ってビルを出た。
「えっ!? ちょっと待って」
小花ちゃんの声はいちいち響く。揶揄じゃなく。
外はとにかく寒くて、私はもう一度コートの襟を立てて寄せた。
ちらりと後ろを見ると、小花ちゃんもはだけたコートの前を閉じる。
寒そうにもぞもぞと内股を擦りながら、私の後をついてくる。
彼女のことを考えれば店にでも入ってあげたらいいのだろうけれど、あいにく私はそこまで優しくないし、何よりもそうする関係じゃない。
「あの! どこに行くんですか? 慶ちゃんが出て来ちゃったら困るんだけど!」
小花ちゃんの声に、コンビニの脇で足を止める。
「私に何か話があるの?」
「え!?」
「私を呼び留めたでしょう?」
「あ! そう。慶ちゃんのこと、まだ好きです?」
「はい?」
あっけらかんとした問いに、思わず語尾が上がってしまった。
「未練あったりします? 会社で慶ちゃんにつきまとってるとか」
「ないわ」
「本当に?」
私のすぐ間近で、わざとらしく腰を折って顔を覗き込む彼女を、私はじっと見下ろす。
「そもそも、どうしてそんなことをあなたに聞かれなきゃいけないの?」
「あ! 私、慶ちゃんのことが好きで――」
「――本当に?」
「え?」
「本当に慶太朗のことが好きなの?」
敢えて『慶太朗』呼びをしてしまったのは、礼儀を知らない年下への指導の意味からだ。
決して、元カノとしてじゃない。
が、小花ちゃんのスイッチを入れてしまったようだ。
「どういうことよ」
表情も声色もそれまでとは違う、あざと可愛いキャラから、意思の強そうな、言葉を選ばなければ生意気な小娘に変貌を遂げた。
「あなたが誰を好きでもいいのよ。私と慶太朗はもう関係ない。でも、彼を好きだと言うなら、彼の迷惑になるようなことをするべきじゃない」