汚部屋の姫に、目覚めのキスを。
「いえ、大丈夫ですので……。ちょっと休めば……」

 嶋さんが心配してくれていて、嬉しかった。でも、部屋まで来られたら困る。
 万一、汚部屋を見られてしまったら、死ぬ。

「ちょっと休めば、って……。ここにいても駄目だよ。鞄かして。ほら、俺につかまってよ」
 嶋さんが手を差し出してくる。

「いえいえ、本当……大丈夫ですので……」
 私は必死に手を振り、断った。

「大丈夫じゃないでしょ」
 
「ほんと、大丈夫ですっ。だから放っといてください!」

 きつく言い放ってしまい、慌てて手で口を塞ぐ。
 心配してくれているのに、酷いことを言ってしまった。

 これでは汚部屋を見られなくても嫌われてしまう。嶋さんの顔が見れず、目を閉じて俯いた。

「坂上さん、ごめんね……」

 声が聞こえたのと同時に、私の身体がふわっと浮かび上がるような感覚がして目を開けた。
 嶋さんにお姫様抱っこのように、抱き上げられていた。

「――!?」
 驚いて声にならない。 

「嫌だろうけど、このまま連れていくから」
「……あ、あのっ、おろしてください。歩けますっ」

 必死に抵抗したが、嶋さんは聞く耳を持たず歩き出す。
 私は諦めて、彼に身を委ねた。ふわりと、清涼感のあるシトラスの香りがした。



 瞼を開けると、淡いオレンジ色に光る天井が見えた。

 どうやら少し眠っていたらしい。さっきまでの激しい腹痛はだいぶ治まっている。

 身体を起こすと、少し頭がふらっとしたが大丈夫そうだ。ベッドサイドに置かれたテーブルランプが、部屋の中を柔らかく照らしていた。
 段々と覚醒してくると、先程の出来事を思い出す。

「うわ〜っ、ヤバイヤバイヤバイ。どーしようっ。嶋さんに見られちゃった……っ」

 結局、一人では歩けそうもなかったので、嶋さんがベッドまで運んできてくれたのだった。

 頭を抱えていると、カチャリと静かに部屋のドアが開く。

「あ、目、覚めたんだね。具合どう?」
 嶋さんが入ってきた。

「何か飲む?  水とかスポーツドリンクとか。あと、ゼリーも買って来たけど」

 白いレジ袋からペットボトルを取り出す。私は何か言わなくてはと思ったが、言葉が出ない。
 そんな私の態度に気づいた嶋さんは、慌てた様子で言った。

「あ、ごめん。勝手に入っちゃったりして。怖いよね。ホントごめん。これ置いていくから飲んで。じゃあ、お大事に」

 化粧品で散乱したローテーブルの僅かなスペースにレジ袋を置くと、嶋さんは背中を向けた。

「……あ、あの、違うんです。わたし……、わたし……。ごめん……なさい……」

 私の瞳からボロボロと涙が溢れ出し、頬をつたう。

「……うっ、こんな汚部屋、嶋さんにだけは、見られたくなかったんです。……掃除も出来ないなんて、な、情けなくて……」

 嶋さんは一瞬驚いた顔をしたが、ベッドの横に座ると、手を伸ばし私の頭を優しく撫でた。

「そんな事ない。朝から晩まで頑張って働いてんだから、出来なくたってしょうがないよ。情けなくないよ」

 まるで子供をあやすような、優しい声に安堵する。
 本当は自分の頑張りを、誰かに認めてもらいたかったのかもしれない。

「私……、嶋さんには、嫌われたくないです……」

 嶋さんの目が大きく開かれる。その後、優しく微笑んだ。

「嫌わないよ。こんな事で、好きな子のこと嫌わないよ」
「え?」

「それに実は俺、元汚部屋の住人、だったんだよねー」
「え……。え〜! うそっ!?」
 突然の告白に、思わず声を上げてしまう。

「あはは。驚きすぎ」
「そうは見えないっていうか。結構掃除してるって言ってたし……」
「うん。頑張ってますよ〜。溜めると大変だから、こまめに掃除してた方がいいんだよ。それにコツを掴めば、結構楽しいよ」
「ん〜。そうかなぁ?」
 私は納得いかず、首を傾げる。

 嶋さんは可笑しそうに笑っていたが、急に真顔になり私の頬に優しく触れた。

「……大丈夫。教えるよ。片付けも、他も、いろいろ」

 彼の顔がそっと近づいてくる。
 その細められた瞳は妖しく揺らめいて、こちらを見下ろしている。
 私はそっと目を閉じて、その熱を受け入れた。 
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