好きでいっぱい

第11話 不安の影

朝から空は薄い灰色をしていた。
雨は降りそうで降らない。
そんな曖昧な天気が、胸の奥の気持ちみたいだった。

昨日、未来の話をした。
“いつか一緒に住めたらいい”
その言葉を思い出すだけで、胸が温かくなる。

でも──
同時に、少しだけ怖くなる。

「……私なんかでいいのかな」

小さく呟く。
恋人になってから、嬉しいことばかりなのに、
時々こうして不安が顔を出す。



夕方。
カフェ・ルーチェの扉を開けると、コーヒーの香りがふわりと広がった。

「いらっしゃい」

悠真さんが、いつものように笑う。
その笑顔を見るだけで胸が軽くなるはずなのに、
今日は少しだけ心がざわついた。

「雨宮さん、今日……なんか元気ないですね」

「え……」

「分かりますよ。毎日見てますから」

優しい声。
責めるような言い方じゃない。
だから余計に胸が苦しくなる。

「……なんでもないです」

そう言った瞬間、
自分でも嘘だと分かった。

悠真さんは少しだけ眉を下げた。

「話したくなったら、言ってくださいね」

その言葉が、胸に静かに落ちる。



ラテを飲みながら、私は自分の気持ちと向き合っていた。

未来の話が嬉しかった。
でも、怖かった。

“本当に私でいいのかな”
“迷惑じゃないかな”
“重いと思われないかな”

そんな言葉が、胸の奥で静かに渦を巻く。

「……桐生さん」

気づけば、声が出ていた。

「はい」

「昨日の……未来の話なんですけど」

悠真さんは、すぐに真剣な表情になった。

「嬉しかったんです。すごく」

「うん」

「でも……少しだけ怖くて」

言葉が震える。

「私……そんなふうに思ってもらえるほど、
立派じゃないし……自信もなくて……」

言いながら、視線が落ちる。

「桐生さんの隣にいていいのかなって……
時々思ってしまって……」

雨が降っていないのに、
胸の中だけが雨みたいだった。

悠真さんは、すぐに答えなかった。
ただ静かに、私の言葉を受け止めていた。

やがて、ゆっくり口を開く。

「雨宮さん」

「……はい」

「僕は、立派な人がいいわけじゃないですよ」

胸が跳ねる。

「雨宮さんがいいんです」

「……」

「不安になるところも、臆病なところも、
ゆっくり進もうとするところも、
全部含めて……雨宮さんがいいんです」

胸がぎゅっとなる。

「未来の話をしたのは、
雨宮さんとならゆっくり進めると思ったからです」

「……桐生さん」

「怖いなら、怖いって言ってください。
僕は離れませんから」

その言葉は、曖昧な天気の中でもはっきり聞こえた。



閉店後。
外は雨が降りそうで降らない曇り空だった。

「今日は……車で帰りましょう」

「……はい」

軽ワゴンの中は静かで、雨音だけが遠くで響いていた。

「雨宮さん」

「はい」

「未来の話、急ぎません。
ゆっくりでいいです。
不安になったら、ちゃんと言ってください」

「……はい」

手をつないだ瞬間、
胸の奥の雨が静かに止んでいく気がした。



隣同士の部屋の前で立ち止まる。

「じゃあ……また明日」

「……はい」

昨日より少しだけ深い「また明日」。
その言葉が、曇り空の夜を優しく照らしていた。



部屋に戻ると、レシピノートを開いた。
今日は、悠真さんの書き込みが先にあった。


◆レシピノート(交換日記)

桐生悠真
『不安になるのは悪いことじゃないです。
僕も同じです。
ゆっくりでいいので、
一緒に進めたら嬉しいです。
雨宮さんが隣にいてくれるだけで十分です。』

雨宮陽菜
『未来の話が嬉しくて、少し怖かったです。
でも桐生さんの言葉で、
その怖さが静かに消えていきました。
ゆっくり進みたいです。』



ページがまた一つ増える。
二人の時間が、また一つ増える。

曇り空の夜は、今日も静かに恋を進めてくれた。


< 11 / 20 >

この作品をシェア

pagetop