好きでいっぱい

第18話 小さなすれ違い

朝から雨が降っていた。
昨日より少し強い雨で、
窓を叩く音がいつもより大きく響いていた。

「……今日、会えるかな」

胸の奥が少しざわつく。
昨日の“距離が変わる”という言葉が嬉しくて、
でも、どこか落ち着かない。

安心と不安が同時に胸にある。
雨の日は、いつも気持ちが揺れやすい。

◇

夕方。
カフェ・ルーチェの扉を開けると、
雨の匂いとコーヒーの香りが混ざり合っていた。

「いらっしゃい」

桐生さんが、いつものように笑った。
でも、その笑顔が今日は少し遠く感じた。

「雨宮さん、今日……疲れてます?」

「え……」

「なんか、元気ない気がして」

優しい声。
責めているわけじゃない。
でも、胸が少し痛くなる。

「……大丈夫です」

そう言った瞬間、
自分でも嘘だと分かった。

桐生さんは少しだけ眉を下げた。

「無理しなくていいですよ」

その言葉が、胸に静かに落ちる。

◇

ラテを飲みながら、
私は自分の気持ちと向き合っていた。

昨日の言葉。
“家族みたいだと思った”
嬉しかった。
でも、少し怖かった。

“そんなふうに思われるほど、私はしっかりしてない”
“迷惑じゃないかな”
“重いと思われないかな”

そんな言葉が胸の奥で渦を巻く。

「雨宮さん」

気づけば、桐生さんが隣に座っていた。

「……はい」

「今日、なんか……僕、距離を感じて」

胸が跳ねる。

「昨日の話、嫌だったとか……あります?」

「違います……!」

思わず声が大きくなる。

「昨日の話、嬉しかったです。
でも……少し怖くて……」

桐生さんは静かに頷いた。

「そっか……」

「桐生さんが“家族みたい”って言ってくれて……
嬉しかったけど……
私、そんなふうに思ってもらえるほど……
立派じゃないし……」

言葉が震える。

「……不安になってしまって」

桐生さんは、すぐに答えなかった。
ただ静かに、私の言葉を受け止めていた。

やがて、ゆっくり口を開く。

「雨宮さん」

「……はい」

「昨日の言葉は、
雨宮さんが立派だから言ったんじゃないですよ」

胸がぎゅっとなる。

「雨宮さんといると、落ち着くからです。
安心できるからです。
それだけで十分なんです」

雨音が静かに響く。

「不安になるのは悪いことじゃないですよ。
僕も同じです」

「……桐生さん」

「すれ違っても、ちゃんと話せばいいんです。
僕たち、そうやって進んできたので」

胸の奥が静かに満たされていく。

◇

閉店後。
雨は少し弱くなっていた。

「今日は……歩いて帰りませんか?」

「雨、まだ降ってますけど……」

「雨の日の帰り道、好きなんです」

胸がまた跳ねる。

「……はい」

ふたりで傘に入る。
雨音が傘の布を叩いて、静かなリズムを刻む。

「雨宮さん」

「はい」

「すれ違っても、離れませんから」

「……はい」

その言葉は、雨音より静かに、でも確かに胸に届いた。

◇

隣同士の部屋の前で立ち止まる。

「じゃあ……また明日」

「……また明日」

昨日より少しだけ深い「また明日」。
その言葉が、雨の夜を優しく照らしていた。

◇

部屋に戻ると、レシピノートを開いた。
今日は、桐生さんの書き込みが先にあった。

◆レシピノート(新しい一冊・5ページ目)

桐生悠真
『すれ違う日があっても、
雨宮さんとならちゃんと話せると思っています。
不安になる日も、安心できる日も、
全部一緒に進めたら嬉しいです。
ゆっくりでいいので。』

雨宮陽菜
『今日は少しすれ違ってしまったけれど、
桐生さんの言葉で胸の奥が静かになりました。
すれ違っても、話せばいい。
そのことが、少しだけ怖くなくなりました。
ゆっくり進みたいです。』



ページがまた一つ増える。
ふたりの時間が、また一つ増える。

雨の日は、今日も静かに恋を進めてくれた。


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