好きでいっぱい

第18話 小さなすれ違い

朝から雨が降っていた。
昨日より少し強い雨で、
窓を叩く音がいつもより大きく響いていた。

「……今日、会えるかな」

胸の奥が少しざわつく。
昨日の“距離が変わる”という言葉が嬉しくて、
でも、どこか落ち着かない。

安心と不安が同時に胸にある。
雨の日は、いつも気持ちが揺れやすい。



夕方。
カフェ・ルーチェの扉を開けると、
雨の匂いとコーヒーの香りが混ざり合っていた。

「いらっしゃい」

桐生さんが、いつものように笑った。
でも、その笑顔が今日は少し遠く感じた。

「雨宮さん、今日……疲れてます?」

「え……」

「なんか、元気ない気がして」

優しい声。
責めているわけじゃない。
でも、胸が少し痛くなる。

「……大丈夫です」

そう言った瞬間、
自分でも嘘だと分かった。

桐生さんは少しだけ眉を下げた。

「無理しなくていいですよ」

その言葉が、胸に静かに落ちる。



ラテを飲みながら、
私は自分の気持ちと向き合っていた。

昨日の言葉。
“家族みたいだと思った”
嬉しかった。
でも、少し怖かった。

“そんなふうに思われるほど、私はしっかりしてない”
“迷惑じゃないかな”
“重いと思われないかな”

そんな言葉が胸の奥で渦を巻く。

「雨宮さん」

気づけば、桐生さんが隣に座っていた。

「……はい」

「今日、なんか……僕、距離を感じて」

胸が跳ねる。

「昨日の話、嫌だったとか……あります?」

「違います……!」

思わず声が大きくなる。

「昨日の話、嬉しかったです。
でも……少し怖くて……」

桐生さんは静かに頷いた。

「そっか……」

「桐生さんが“家族みたい”って言ってくれて……
嬉しかったけど……
私、そんなふうに思ってもらえるほど……
立派じゃないし……」

言葉が震える。

「……不安になってしまって」

桐生さんは、すぐに答えなかった。
ただ静かに、私の言葉を受け止めていた。

やがて、ゆっくり口を開く。

「雨宮さん」

「……はい」

「昨日の言葉は、
雨宮さんが立派だから言ったんじゃないですよ」

胸がぎゅっとなる。

「雨宮さんといると、落ち着くからです。
安心できるからです。
それだけで十分なんです」

雨音が静かに響く。

「不安になるのは悪いことじゃないですよ。
僕も同じです」

「……桐生さん」

「すれ違っても、ちゃんと話せばいいんです。
僕たち、そうやって進んできたので」

胸の奥が静かに満たされていく。



閉店後。
雨は少し弱くなっていた。

「今日は……歩いて帰りませんか?」

「雨、まだ降ってますけど……」

「雨の日の帰り道、好きなんです」

胸がまた跳ねる。

「……はい」

ふたりで傘に入る。
雨音が傘の布を叩いて、静かなリズムを刻む。

「雨宮さん」

「はい」

「すれ違っても、離れませんから」

「……はい」

その言葉は、雨音より静かに、でも確かに胸に届いた。



隣同士の部屋の前で立ち止まる。

「じゃあ……また明日」

「……また明日」

昨日より少しだけ深い「また明日」。
その言葉が、雨の夜を優しく照らしていた。



部屋に戻ると、レシピノートを開いた。
今日は、桐生さんの書き込みが先にあった。

◆レシピノート(新しい一冊・5ページ目)

桐生悠真
『すれ違う日があっても、
雨宮さんとならちゃんと話せると思っています。
不安になる日も、安心できる日も、
全部一緒に進めたら嬉しいです。
ゆっくりでいいので。』

雨宮陽菜
『今日は少しすれ違ってしまったけれど、
桐生さんの言葉で胸の奥が静かになりました。
すれ違っても、話せばいい。
そのことが、少しだけ怖くなくなりました。
ゆっくり進みたいです。』



ページがまた一つ増える。
ふたりの時間が、また一つ増える。

雨の日は、今日も静かに恋を進めてくれた。


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