選ばなかった人生
三日後。
仕事帰りの駅であの老人を見かけた。
ベンチに座っている。
「……あ」
老人はこちらを見ると軽く頭を下げた。
それを見て足がそちらに向かった。
「先日はどうも」
「こちらこそ……」
老人は隣の席を指した。
「少し、お話ししませんか?」
私は言われるまま座った。
老人が小さな封筒を取り出した。
「あなた、人生をやり直したいと言いましたね」
「……冗談ですよ」
「私は冗談ではありません」
封筒の中には一枚の紙が入っていた。
そこには、こう書かれていた。
『人生を一度だけ、やり直すことができます』
私は黙っていた。
「条件があります」
老人が続けた。
「その人生では一生お金に困りません」
「……」
「好きな仕事をして好きな場所に住めます。何をするのも自由です」
「それだけ?」
老人は首を横に振った。
「ただし、子供には恵まれません」
私は息を止めた。
「結婚しても構いません。結婚しなくても構いません」
老人は静かに言った。
「ただ、子供だけは生まれません」
私は紙を握りしめた。
「今いる子供たちは?」
老人は答えなかった。
その沈黙が答えだった。
「……私がやり直したら?」
「その人生では、あなたに子供はいません」
「今の子供たちは?」
「あなたの人生には、存在しません」