スパダリ御曹司はスパダリ偽装妻を溺愛で囲い逃がさない
「鷲見様、先ほどはどうもありがとうございました」

 私はレジデンススイートのダイニングにて、鷲見様に頭を下げていた。

「とんでもない。人気者は大変だね」

 鷲見様は備え付けのカートリッジ式コーヒーメーカーでコーヒーを淹れながら、くすりと笑った。独特の苦みと酸味のある香りが、かすかに鼻に届く。

「滅相もございません。お見苦しいところをお見せしてしまいました。あの場を収めてくださり、本当に感謝しております」

 ホテルマンとして、不甲斐ない。そう思ったが、ため息をのみ込み頭を下げ続けた。

 あの後、小野様は早乙女くんの迅速な動きで早々にお部屋へと移動された。穴山様はお部屋の案内にラウンジが利用できると書いてあったのに入れず、お怒りだったようだ。フロント課長に相談し、今回は特別に一度のみご案内をすることで納得していただけた。
 きっと今頃、ロビーはいつも通りの平穏を保ったまま、運営されているに違いない。

「頭を上げて。本当に、俺は君を待っていただけなんだから」

 鷲見様の言葉に、顔を上げて口を開く。

「ぜひ、本日の御礼を差し上げたく存じます」

 すると、鷲見様はなにかを考えるように顎に手を置いた。

「それなら、今はいらないよ。時期が来たら、その時にお願いさせてもらう」

 鷲見様はそう言うと、ふっと優しい吐息をこぼす。

 鷲見様の滞在予定は、あの二週間ほどのはずだ。『時期が来たら』とは、どういうことだろう。
 そんな疑問が浮かんだが、私はふと、今一番にしなければならないことを思い出す。

「大変お待たせしてしまいましたが、鷲見様からのご用件を伺いたく存じます」

 私に用事があったから、彼はずっと私を待っていてくれたのだ。

「実は、このコーヒーメーカーの使い方がよくわからなくて」

 彼は言いながら、カウンターに置かれたふたつのソーサーに、カップをそれぞれのせた。わからないと言う割には、とてもスムーズな動きだ。

 きっと穴山様の対応でお待たせしている間に、他の者に聞いたのだろう。二杯準備されたということは、来客でもあるのだろうか。
 そう思い、私は急いで背を正した。鷲見様に部屋に呼ばれたとはいえ、私はここに長居すべきではない。

「それでしたら、私はもう――」

 そう言って下がろうとしたが、鷲見様の声にそれを遮られてしまう。

「間違えて、二杯分淹れてしまったんだ。一杯、どう?」

 鷲見様はダイニングテーブルにカップをふたつ置き、こちらに笑みを向けてきた。

「いえ、私は――」

 慌てて否定するも、彼は首をかしげる。

「そう? やっと使い方がわかって、淹れてみたら二杯でてきてしまった。一杯無駄にしてしまうのは、もったいないと思わない?」

 やたらと滑らかな言い分に、違和感を覚える。

 私はふと、コーヒーメーカーにセットするカートリッジの、専用スタンドに目をやった。減っているカートリッジは、ひとつではない。
 それに先ほど、鷲見様はカウンターにソーサーをふたつ準備していた。つまり彼は最初から、二杯淹れるつもりだったということだ。

 これはきっと、鷲見様の計らい。〝私に用事がある〟というところから、嘘だったのかもしれない。

 それでも、私は業務中だ。お客様に同席し、淹れてもらったコーヒーを飲むなんて許されるわけがない。
 すると、鷲見様は動かない私を見て告げた。

「じゃあ、これは専属コンシェルジュの仕事として。主と一緒に、コーヒーを嗜むこと」

 そう言われては、断れない。

「失礼します」

 私が椅子に腰かけると、鷲見様は満足そうに私の前に腰かけた。

「お疲れ様」

 彼が小さな声で言う。その不意な労いの言葉に涙がこみ上げてしまい、私は慌ててカップを傾け目元を隠す。
 それ以降、鷲見様は私がコーヒーを飲み終わるまで、なにも言わずにそこに座っていた。
 
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