誰でもいい、にはなれなかった

第5部 ここまで来たんだから

「このあと、どうします?」

そう聞かれたのは、駅で別れる直前だった。

昨日の時点では。

明日会えればいい。

ご飯を食べて。

どこかへ行って。

夕方くらいに解散。

そんなつもりだった。

だから。

その提案を聞いた瞬間。

私は少し黙った。



「……ラブホテル?」

口に出してしまうと。

急に現実味が増した。

相手は少しだけ笑って、

「嫌だったら全然大丈夫です」

と言った。

強く誘われたわけじゃない。

断ろうと思えば。

普通に断れる。



「…………」

でも。

頭の中には。

昨日から自分に言い聞かせていた言葉が並んでいた。

恋愛じゃない。

遊び目的。

相手も分かっている。

私だって。

もう大学生だ。



「……私だって、もう大学生なんだから」

小さく呟く。

自分で言って。

なんとなく可笑しくなる。

「そうだよ」

誰に言うでもなく続ける。

「もう大学生なんだから」

別に。

何も知らない子供じゃない。

恋愛経験がゼロというわけでもない。

だったら。

もう。

いいんじゃない?



そして。

何より。

「……お手当」

そこだった。

別に。

それが目的というわけではない。

でも。

今日一日。

行きたいところに連れて行ってもらって。

ご飯も出してもらって。

そのうえで。

それなりのものを受け取れる。

「……まあ」

私は一度だけ考えて。

「……ラッキー、なのでは?」

また。

自分に都合のいい理屈を並べた。



「……いいですよ」

そう答えた。

口にした瞬間。

ほんの少しだけ胸が跳ねた。

相手も、

「本当に大丈夫ですか?」

と確認してくる。

「大丈夫です」

私は笑った。

「せっかくだし」

そう言った。



ホテルへ向かう道中。

私は。

妙に静かだった。

さっきまで普通に話していたのに。

急に。

何を話せばいいのか分からなくなった。

相手はいつも通りだった。

だから余計に。

自分だけが変に意識しているような気がした。



部屋に入る。

扉が閉まる。

「…………」

急に。

静かになった。

さっきまで街の音がしていたのに。

ここには。

二人しかいない。



「先、お風呂使います?」

そう言われて。

「いえ、お先にどうぞ。」

と答えた。

私は荷物を置く。

相手が先に浴室へ向かう。

しばらくして。

シャワーの音が聞こえ始めた。



「…………」

私はベッドの端に座った。

「……何してるんだろ」

さっきまで。

あんなに勢いで来たのに。

一人になった途端。

頭が急に冷えてきた。



でも。

別に嫌な人じゃない。

今日一日。

普通に楽しかった。

行きたかった場所にも連れて行ってもらえた。

話していても苦痛じゃなかった。

むしろ。

楽しかった。

だから。

大丈夫。



「……大丈夫」

もう一度。

口にする。

「大丈夫、大丈夫」

大学生なんだから。

子供じゃない。

自分で決めたんだから。



シャワーの音が止まった。

しばらくして。

相手が戻ってくる。

「どうぞ」

「ありがとうございます」

私は浴室へ向かった。



一人になった。

扉を閉める。

服を置く。

シャワーを浴びる。

温かいお湯が肩に落ちる。



そこで。

ようやく。

誰にも見られていないところで。

私は目を閉じた。

「…………」

なんだろう。

この感じ。



さっきまで。

「大学生なんだから」

「もういいんだから」

って。

自分に言い聞かせていた。

なのに。

今は。

その言葉が。

妙に空しく聞こえる。



私は。

本当にこれがしたいの?



その質問に。

すぐ答えられなかった。

「……」

嫌なのか。

嫌じゃないのか。

それすら。

よく分からない。



今日一日。

楽しかった。

それは本当。

この人が嫌いなわけでもない。

怖いわけでもない。

別に見た目だってそこまで悪くない。

だから。

断る理由だって。

特にない。



なのに。

胸の奥だけが。

ずっと。

小さくざわついている。



「……なんで?」

私は自分に問いかける。

相手は知らない人。

それはそう。

でも。

今日、一日一緒に過ごした。

話もした。

笑った。

だから。

もう「知らない人」でもない。



それなのに。

どうして。

この先を想像すると。

こんなにも。

心が落ち着かないんだろう。



シャワーを止める。

タオルで髪を拭く。

鏡を見る。

そこにいる自分と。

目が合った。

「……私、何を考えてるんだろ」

答えは出ない。



私は服を着る。

そして。

浴室のドアに手をかけた。

その向こうには。

さっきまで一緒にいた人がいる。

きっと。

何も変わらない。

今日の続きが。

そのまま始まるだけ。



そう思って。

ドアを開けた。

部屋へ戻る。

相手はベッドの近くに座っていた。

こちらを見る。

「お疲れさまです」

「……はい」

私は笑った。

笑えた。



けれど。

胸の奥のざわつきだけは。

消えなかった。

そして。

私はまだ。

そのざわつきが何を意味しているのか。

知らなかった。
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