黒衣の法官は春花に恋う
「お願いがございます。私を、ここで働かせていただけませんか」
「宰相室で?」
「はい。お給金は要りません。皇城に入る許可さえいただければ、できることは何でもいたします」
「父君を助けるために?」
「証拠を刑務省長官様に届けるには、皇城に来なければなりません。ですが、今日のように無理をすれば門を守る方々に迷惑が掛かりますし、刑務省へお願いしてもあの方には断られるでしょうから」
「間違いなく断られるでしょうねぇ」

 迷いなく言い切られ、一瞬言葉に詰まったものの、それくらいで諦めるつもりはなかった。

「書類の整理や帳簿の計算ならできます。文字も書けますし、ここで見聞きしたことを口外いたしません。役に立たないと判断されたなら、すぐに辞めます」
「お顔を上げてください」

 促されて顔を上げると、先ほどまで柔らかく笑っていたエヴァンの表情から、笑みが少しだけ薄れていた。

「皇城で扱う書類には、国の行く末を左右するものもあります。関係のない情報を勝手に見ないこと、ここで知ったことを家族や使用人へ話さないこと、必要がなくなれば許可証を返すこと。それから、貴女に触れていただく書類はこちらで選びます。事件に関係する記録や、閲覧する権限のないものをお任せすることはできません。それでも構いませんか?」
「はい」
「返事が早いですねぇ」
「父を助けたいのです」

 迷う理由などない。真っ直ぐ見つめ返していると、エヴァンはしばらく考えるように指先で机を軽く叩き、それから机の下から一冊の薄い帳簿と数枚の紙を取り出した。

「では、一つ試してみましょうか」

 差し出された紙には、各省から提出された先月分の備品購入記録が並んでいる。

「同じ品目が別々の箇所に書かれておりますので、それぞれの数と金額を合計してください。日が暮れる前には終わらせていただきたいですね」
「分かりました」

 リナリアはエヴァンから紙とペンを借り、机の前にある椅子へ腰を下ろした。

 一見したところ難しい計算ではないが、同じ品目でも呼び方が異なり単位も揃っていなかった。紙は大判と小判、蝋燭は箱と本数、インクは瓶と樽。記入した者によって字の癖まで違うため、目についた数字から足していけば、すぐに間違えるだろう。

 まずは品目ごとに小さな印をつけ、同じ単位へ揃えてから別紙へ書き出していく。

 一度計算を終えても、その数字だけを信じず、元の記録へ戻って照らし合わせた。どの記載を合計したのか後から見た者にも分かるよう、余白には元の単位まで残しておく。

 父と祖父が人を助けるたびに複雑になっていった帳簿を、バートンと二人で整理してきた。

 返済されたはずなのに記録がない。数字は合っているのに品物の数が違う。覚え書きには金額があるのに相手の名が記されていない――そんなものを一つずつ辿り、どこで数字がずれたのかを探す時間は、これまで伯爵家が困窮した理由を突きつけられているようにしか思えなかった。

 けれど今は、父の杜撰さに困らされながら身につけたことが、初めて父を助けるための力になろうとしている。

 最後にもう一度、元の記録と数字を照らし合わせ、間違いがないことを確認してから、リナリアはペンを置いた。
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