黒衣の法官は春花に恋う
セティは机に積まれていた書類の中から一冊を抜き取り、リナリアの前へ置いた。
表紙に記されているのは、父の名前である。
「軍へ納められる予定だった薬と保存食が、輸送の途中で別の商会に渡っている。取引を許可した書類には、お父上の署名と、ベルクール伯爵家の正式な印章がある」
淡々と告げながら、白い指先が一枚ずつ書類を捲っていく。
「物資が消えた後、取引に関わった商会から、お父上が管理する口座に金が入っていたことも確認されている」
「父は、そのお金を使っていません」
「お金が入ったことは否定しないんだね」
「今初めて聞きました。ですが、父が不正なお金を受け取っていたのなら、伯爵家が今のように困窮しているはずはありません。新しい衣装を仕立てる余裕もなく、長く仕えてくれている使用人たちに満足な給金さえ払えていないのですから」
「困窮していることは、不正に関わっていない証明にはならないよ」
「では、何があれば信じていただけるのですか」
問いかける声が情けないほど震えた。
セティは書類を捲っていた手を止めると、フードの影に沈んだ翠色の瞳で、机を挟んで立つリナリアを静かに見上げる。
「証拠」
短く告げられたその一言は、これまで投げかけられたどの言葉よりも重く、心の底へ沈んでいく。
「お父上が不正な金を受け取っていない証拠。署名を求めた者の名、取引へ至った経緯、物資が運ばれた道筋。誰かに利用されたと言うなら、それを示すものを持ってきて」
「今は……何も持っていません」
「なら、解放はできない」
「父の話を聞いてください。きちんと調べれば、誰かに利用されたことも、何かの間違いがあったことも分かるはずです」
「調べた結果、連行されているんだけど」
「刑務省の方が、何かを見落としたのかもしれません」
自分でも、随分と失礼なことを言っている自覚はある。けれど、ここで引き下がってしまえば、父は罪人として裁かれてしまうかもしれない。
唇を噛み、睨むようにセティを見つめていると、彼は怒るでもなく、むしろ何かを確かめるようにすうっと目を細めた。
「その可能性はあるね」
思いもよらなかった返答に、リナリアは大きく瞬きをする。
「刑務省の官が何かを見落とした可能性も、提出された証拠が偽造されている可能性もある。お父上が本当に何も知らなかった可能性だって、なくはないよ」
「それなら――」
「だから、証明して」
父の名が記された事件書類を、セティの白い指が押さえる。
「君の涙も、お父上の人柄も、証拠にはならない。無実だと言うなら、それを示すものを持ってきて」
セティは父を信じていないが、有罪だと決めつけてもいないようだ。
リナリアが泣こうと、伯爵令嬢という身分を振りかざそうと、きっと彼は判断を変えないのだろう。それでも、確かな証拠さえ差し出せば、それが没落寸前の伯爵家を救うものであろうと、見なかったことにはしない。
そう思った瞬間、先ほどまでただ冷たく見えていた翠色の瞳が、少しだけ違うものに見えた。
表紙に記されているのは、父の名前である。
「軍へ納められる予定だった薬と保存食が、輸送の途中で別の商会に渡っている。取引を許可した書類には、お父上の署名と、ベルクール伯爵家の正式な印章がある」
淡々と告げながら、白い指先が一枚ずつ書類を捲っていく。
「物資が消えた後、取引に関わった商会から、お父上が管理する口座に金が入っていたことも確認されている」
「父は、そのお金を使っていません」
「お金が入ったことは否定しないんだね」
「今初めて聞きました。ですが、父が不正なお金を受け取っていたのなら、伯爵家が今のように困窮しているはずはありません。新しい衣装を仕立てる余裕もなく、長く仕えてくれている使用人たちに満足な給金さえ払えていないのですから」
「困窮していることは、不正に関わっていない証明にはならないよ」
「では、何があれば信じていただけるのですか」
問いかける声が情けないほど震えた。
セティは書類を捲っていた手を止めると、フードの影に沈んだ翠色の瞳で、机を挟んで立つリナリアを静かに見上げる。
「証拠」
短く告げられたその一言は、これまで投げかけられたどの言葉よりも重く、心の底へ沈んでいく。
「お父上が不正な金を受け取っていない証拠。署名を求めた者の名、取引へ至った経緯、物資が運ばれた道筋。誰かに利用されたと言うなら、それを示すものを持ってきて」
「今は……何も持っていません」
「なら、解放はできない」
「父の話を聞いてください。きちんと調べれば、誰かに利用されたことも、何かの間違いがあったことも分かるはずです」
「調べた結果、連行されているんだけど」
「刑務省の方が、何かを見落としたのかもしれません」
自分でも、随分と失礼なことを言っている自覚はある。けれど、ここで引き下がってしまえば、父は罪人として裁かれてしまうかもしれない。
唇を噛み、睨むようにセティを見つめていると、彼は怒るでもなく、むしろ何かを確かめるようにすうっと目を細めた。
「その可能性はあるね」
思いもよらなかった返答に、リナリアは大きく瞬きをする。
「刑務省の官が何かを見落とした可能性も、提出された証拠が偽造されている可能性もある。お父上が本当に何も知らなかった可能性だって、なくはないよ」
「それなら――」
「だから、証明して」
父の名が記された事件書類を、セティの白い指が押さえる。
「君の涙も、お父上の人柄も、証拠にはならない。無実だと言うなら、それを示すものを持ってきて」
セティは父を信じていないが、有罪だと決めつけてもいないようだ。
リナリアが泣こうと、伯爵令嬢という身分を振りかざそうと、きっと彼は判断を変えないのだろう。それでも、確かな証拠さえ差し出せば、それが没落寸前の伯爵家を救うものであろうと、見なかったことにはしない。
そう思った瞬間、先ほどまでただ冷たく見えていた翠色の瞳が、少しだけ違うものに見えた。