黒衣の法官は春花に恋う
「……分かりました」

 リナリアは濡れた目元を袖で拭い、俯きかけていた顔を上げる。

「父が騙された証拠を見つけます。不正な利益を得ていないことも、署名を利用した者がいることも、私がすべて調べて持ってきます」
「できるの? 何を調べればいいかも分かってなさそうな顔だけど」
「今から考えます!」
「君も騙される側の人間に見えるね」
「父とは違います!」
「同じことを言いそうだけど」
「本当に失礼な方ですね!」
「知ってる」

 悪びれる様子もなく答えると、セティは再び本へ手を伸ばした。
 どうやら、これ以上話すつもりはないらしい。

「証拠を見つけたら、また参ります」
「来なくていいよ。刑務省の受付に提出して」
「貴方に直接お渡しします」
「どうして?」
「また証拠にならないと言われた時、その理由を聞かなければなりませんから」

 リナリアは踵を返し、執務室の扉へ向かった。

「リナリア・ベルクール」

 不意に名を呼ばれ、扉へ伸ばしかけた手が止まる。
 振り返ると、セティは本ではなく父の事件書類を開いていた。

「お父上に署名を頼んだ商人について、家の人は何か知っている?」
「執事か父の帳簿を管理している者なら、名前を聞いているかもしれません」
「なら、最初にそこを調べれば」
「……教えてくださるのですか?」
「今のは忘れて。自分で考えて」
「もう聞きました」

 勝手な言い分に呆れながらも、強張っていたリナリアの口元には、知らず小さな笑みが浮かんでいた。

「ありがとうございます、セティ様」
「気安く呼ばないで」
「また参ります、刑務省長官様」
「だから、来なくていいって言ってるよね?」

 返事の代わりに一礼し、リナリアは扉を開いた。

 廊下には、彼女を止めきれなかった官が困り果てた顔で立っている。その視線から逃れるように回廊へ出ると、背後で重い扉が静かに閉まり、それまで張りつめていたものがそこでようやくほどけていった。

「……お父様」

 掠れた声と共に、堪えていた涙が一粒だけ頬を伝う。
 父を助けるのだと息巻いて皇城まで来たものの、何をすればよいのかさえ分からない。証拠を探せと言われても、事件がどこから始まり、誰が父に近づき、どのような言葉で署名を求めたのかすら知らなかった。

 けれど、知らないのなら、これから調べればいい。
 父が誰を信じ、どのような説明を受け、何が書かれた書類へ署名したのか。伯爵家の口座へ入った金は、どこから何の名目で送られてきたのか。その一つひとつを辿っていけば、今は見えない何かに、いつか辿り着けるかもしれない。

 信じていると訴えるだけでは、父を救うことはできない。
 ならば、父が騙されたことも、罪を犯していないことも、自分の手で証明してみせる。
 目元を拭い、顔を上げたリナリアは、長く続く皇城の回廊を歩き始めた。
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