目覚めたら、最推しの腕の中でした~1度終わった私の人生、もう一度恋をしました。~

第11話 紗良を返してくれ

陽向が帰ったあと。

私は、しばらく玄関の前から動けなかった。

静かだった。

さっきまで。

陽向がここにいて。

話して。

怒って。

苦しそうな顔をして。

それでも最後には。

『また来る』

と言ってくれた。

だけど。

あの言葉が頭から離れない。

――紗良はどこにいる?

「……分からないよ」

誰もいない部屋で呟く。

私だって。

知りたい。

どうして私が紗良の身体にいるのか。

紗良はどこへ行ったのか。

そして。

もし紗良が戻ってきたら。

私はどうなるのか。

「……消えたくない」

声にした瞬間。

胸が痛んだ。

最低だ。

そう思った。

陽向は紗良に戻ってきてほしい。

当然だ。

三十四年間、一緒に生きてきた。

家族みたいに大切だった人。

それなのに。

私は。

紗良が戻ってくることを。

心のどこかで怖がっている。

「私……最低だな」

ソファに座る。

テーブルには。

陽向と一緒に選んだマグカップ。

薄いピンクと白。

昨日までは。

見るだけで嬉しかった。

初めてできた。

私と陽向の思い出。

でも今は。

見ているだけで苦しい。

だって。

この家も。

この身体も。

本当は全部。

紗良のものなのだから。

◇◇◇

それから三日。

陽向から連絡はなかった。

『少し考えさせて』

そう言われたのだから。

当然だと思う。

私からも連絡しなかった。

連絡してはいけない気がした。

その間。

私は一ノ瀬紗良のことを調べた。

出演したドラマ。

映画。

インタビュー記事。

過去のSNS。

画面の中の紗良は。

いつも綺麗だった。

堂々としていて。

自信があって。

インタビューでは自分の考えをはっきり言う。

私とは全然違う。

「……本当に、すごい人だったんだ」

昔の投稿まで遡っていく。

仕事。

友人。

食事。

風景。

そして。

ときどき。

ASTER。

陽向本人は写っていない。

でも。

ライブ会場の写真。

CDの写真。

『今日も最高だった』

短い言葉。

きっと。

誰にも気づかれないように。

幼なじみとして。

ずっと陽向を応援してきたのだ。

さらに遡る。

数年前。

一枚の写真で指が止まった。

夜空。

そこに書かれていた。

『近くにいることと、心が近いことって、同じじゃないんだね』

「……」

胸の奥が。

ズキンと痛んだ。

その瞬間。

視界が揺れる。

「っ……」

また。

記憶。

◇◇◇

暗い部屋。

テレビには陽向が映っている。

大勢のファンに囲まれて。

笑っている。

『陽向……』

紗良の声。

スマートフォンを握っている。

メッセージを入力する。

『今日のテレビ見たよ。お疲れさま』

でも。

送らない。

消す。

そして。

別の言葉を打つ。

『今度ご飯行かない?』

それも消す。

画面には。

陽向から届いている過去のメッセージ。

『ごめん今日無理!』

『収録押してる!』

『また連絡する!』

『今度絶対!』

それを見ながら。

紗良が小さく笑う。

『仕方ないよね』

『夢、叶えたんだもんね』

でも。

胸の奥では。

――寂しい。

――会いたい。

――私だけ、ずっと同じ場所にいるみたい。

そんな感情が。

押し寄せてくる。

そして。

最後に。

『こんなこと言ったら、困らせるだけだよね』

記憶が途切れた。

「……紗良さん」

私は胸を押さえる。

また。

知らなかった紗良の気持ち。

陽向は。

知っているのだろうか。

きっと知らない。

紗良は言わなかった。

私と似ている。

大丈夫と言って。

本当は大丈夫じゃない。

相手を困らせたくなくて。

自分の気持ちを飲み込む。

「……何で私なんだろ」

もし。

紗良と私に共通するものがあるとしたら。

それなの?

言いたいことを言えなくて。

自分の気持ちを後回しにして。

一人で寂しくなる。

それが。

私たちを繋いだ?

でも。

そんなこと。

分かるはずがない。

◇◇◇

四日目の夜。

インターホンが鳴った。

心臓が跳ねる。

もしかして。

急いで画面を見る。

そこにいたのは。

陽向だった。

「……」

一瞬。

足が動かなかった。

会いたかった。

ずっと。

でも。

怖い。

何を言われるのか。

私はゆっくり玄関へ向かった。

ドアを開ける。

「……陽向」

「よ」

いつもの。

『よ』

でも。

笑っていない。

「入っていい?」

「うん」

陽向が部屋に入る。

四日ぶり。

たった四日。

なのに。

ずっと会っていなかったような気がした。

「コーヒー……飲む?」

「うん」

いつものように聞く。

いつものように二人分淹れる。

薄いピンクのマグカップ。

白いマグカップ。

テーブルに置く。

向かい合って座る。

でも。

二人とも。

なかなか話せなかった。

先に口を開いたのは。

陽向だった。

「……調べた」

「え?」

「高瀬美月のこと」

心臓が跳ねる。

「事故の記事だけじゃなくて」

「……」

「できる範囲で」

陽向がスマートフォンを置く。

「本当にいた」

「……うん」

「三十四歳」

「うん」

「結婚してて」

「……うん」

「子どもが五人」

胸が締めつけられる。

「……うん」

「写真も」

私は顔を上げた。

「写真?」

「事故の記事の関連で」

陽向が少し迷う。

「家族で写ってるやつがあった」

息が止まった。

「……見たの?」

「うん」

「星も?」

「たぶん」

「一番上の女の子?」

私は頷く。

「……星」

名前を口にしただけで。

会いたくなる。

陽向が私をじっと見る。

「似てた」

「え?」

「美月に」

胸が。

ぎゅっとなる。

「……そう?」

「写真の美月に」

そうだった。

今の私は。

紗良の顔。

陽向が見たのは。

本当の私。

高瀬美月。

「どんな……感じだった?」

自分の写真なのに。

聞いてしまう。

陽向が少し笑った。

「普通のお母さん」

「何それ」

「いや、本当に」

「すっげえ笑ってた」

胸が痛む。

家族写真。

いつ撮ったものだろう。

思い出せない。

「……幸せそうだった?」

聞いた。

陽向が少し黙る。

「うん」

「そっか」

そうだ。

幸せだった。

全部が不幸だったわけじゃない。

子どもたちがいて。

笑った日だって。

楽しかった日だって。

たくさんある。

ただ。

その中で。

私は時々。

どうしようもなく孤独だった。

「だから」

陽向が言う。

「信じる」

私は顔を上げた。

「……え?」

「美月が高瀬美月だってこと」

心臓が止まったような気がした。

「本当に?」

「うん」

陽向は真っ直ぐ私を見る。

「全部理解できたわけじゃない」

「……」

「魂が入れ替わったとか」

「転生とか」

「正直、今でも意味分かんねぇ」

「……私も分からない」

「でも」

陽向が息を吐く。

「お前が紗良じゃないことは」

少し間を置く。

「もう分かった」

胸に。

重いものが落ちた。

認めてもらえた。

ずっと。

私は美月だと言い続けた。

やっと。

信じてもらえた。

なのに。

嬉しいだけじゃない。

陽向にとっては。

紗良がいなくなったと認めることだから。

「……陽向」

「ん?」

「ごめ……」

言いかけて。

止まる。

陽向が少しだけ笑った。

「止めた」

「……うん」

「偉い」

「子ども扱いしないで」

ほんの少し。

空気が和らいだ。

でも。

まだ。

陽向の中に何かある。

それが分かった。

「……他にもあるんでしょ?」

私が聞く。

陽向の笑顔が消える。

「何か言いたいこと」

「……」

「言って」

今度は。

逃げたくなかった。

陽向はしばらく黙った。

そして。

「美月」

「うん」

「紗良の記憶」

「……」

「どのくらいある?」

「本当に少しだけ」

「増えてる?」

「……たぶん」

「どんなの?」

私は。

今日見た記憶を話した。

陽向のテレビを見ていた紗良。

メッセージを打って。

消して。

寂しいと思っていたこと。

話しているうちに。

陽向の顔が。

どんどん苦しそうになる。

「……俺」

小さく呟く。

「そんなこと知らなかった」

「うん」

「紗良、一回も言わなかった」

「言えなかったんだと思う」

「なんで?」

「陽向の邪魔したくなかったから」

「邪魔って……」

陽向が顔を歪める。

「言えばよかったじゃん」

その言葉に。

私は少しだけ笑った。

「言えないんだよ」

「……」

「相手のこと大切だったら」

「余計に」

私は。

自分自身にも言っていた。

「自分が我慢すればいいって思っちゃうから」

陽向が私を見る。

「美月も?」

私は少しだけ迷って。

頷いた。

「……うん」

「前の家で?」

「うん」

陽向は。

それ以上聞かなかった。

そして。

しばらくして。

ぽつりと呟いた。

「似てんのかな」

「え?」

「美月と紗良」

「……」

「全然違うのに」

「似てるとこもある」

私も。

最近そう思い始めていた。

だから。

私なのかもしれない。

でも。

まだ。

答えは分からない。

「もしさ」

陽向が言った。

「紗良の記憶が全部戻ったら」

胸がざわつく。

「美月はどうなる?」

「……分からない」

「紗良も戻ってくんの?」

「分からない」

「美月が消える?」

喉が詰まる。

「……分からない」

陽向が。

拳を握る。

「全部それなんだよな」

「ごめ――」

また止めた。

「……うん」

陽向は。

頭を抱えた。

「俺さ」

「……」

「めちゃくちゃ最低なこと考えてる」

嫌な予感。

「何?」

「紗良が」

声が震える。

「まだどっかにいるんじゃないかって」

「……うん」

「美月の中に」

「……」

「記憶が残ってるなら」

陽向が私を見る。

赤い目。

「そのうち戻ってくるんじゃないかって」

胸が。

ズキンと痛む。

「うん」

「期待してる」

「……」

「美月がいるのに」

陽向は苦しそうに笑う。

「美月が消えたら紗良が戻るんじゃないかって」

息が。

できなくなる。

分かっていた。

そう思って当然だ。

でも。

実際に言葉になると。

苦しい。

「……そっか」

それしか。

言えなかった。

陽向がすぐに首を振る。

「違う」

「え?」

「違うんだよ」

「……」

「美月に消えてほしいって意味じゃない」

「分かってる」

「分かってない」

「分かるよ」

だって。

私だって。

逆なら。

同じことを思う。

「私が陽向でも」

無理に笑う。

「紗良さんに戻ってきてほしいって思うよ」

「美月」

「だから大丈夫」

言った瞬間。

陽向の顔が変わった。

「それ」

「え?」

「また大丈夫って言った」

「あ……」

「大丈夫じゃないだろ」

優しい声。

それだけで。

張っていたものが。

崩れそうになる。

「……大丈夫じゃないよ」

初めて。

素直に言った。

涙が落ちる。

「私だって怖い」

「……」

「消えたくない」

とうとう。

陽向の前で言ってしまった。

「紗良さんには戻ってきてほしい」

「本当にそう思ってる」

「でも」

涙が止まらない。

「私も生きたい」

「……」

「もう死んだのに」

「こんな身体で」

「こんな人生で」

「それでも」

胸を押さえる。

「生きたいって思っちゃう」

陽向は何も言わない。

「子どもたちにも会いたい」

「星が大人になるところも見たい」

「他の子たちも」

「ずっと」

「ずっと見たかった」

声が震える。

「だから」

「私が消えれば全部元通りになるって言われても」

「……」

「怖いよ」

陽向の顔が歪む。

「……ごめん」

「陽向が謝らないで」

「でも」

「陽向の気持ちも間違ってないよ」

二人とも。

間違っていない。

だから。

苦しい。

紗良に戻ってきてほしい陽向。

生きたい私。

どちらかを選べば。

どちらかが傷つく。

そのときだった。

突然。

頭の奥に。

激しい痛みが走った。

「っ……!」

「美月!?」

視界が揺れる。

また。

記憶。

でも。

今までより。

鮮明だった。

◇◇◇

雨。

車。

紗良。

事故の日。

ハンドルを握っている。

スマートフォンから。

ASTERの曲が流れている。

陽向の声。

紗良が。

泣いている。

『……もう』

『やめよう』

何を?

『陽向のこと』

胸が。

壊れそうに痛い。

『ずっと好きだった』

『でも』

『もう』

『終わりにしよう』

信号。

雨。

涙で。

前が滲む。

その瞬間。

光。

クラクション。

そして。

最後に。

紗良が叫んだ。

『陽向――!』

◇◇◇

「……っ!」

現実に戻る。

荒い息。

「美月!」

陽向が肩を掴む。

「何見た!?」

「……事故」

「え?」

「紗良さんの」

陽向の顔が強張る。

「何してた?」

「車……運転してた」

「……」

「ASTERの曲聴いてた」

「……」

「泣いてた」

陽向の手が。

震える。

「何で?」

私は。

言えなかった。

でも。

言わなければ。

「……陽向のこと」

「俺?」

「諦めようとしてた」

陽向が。

固まった。

「ずっと好きだったって」

「……」

「でも」

息を整える。

「もう終わりにしようって」

「……嘘だろ」

陽向が。

小さく呟く。

「そんなの」

「……」

「俺」

陽向の目から。

涙が落ちた。

初めて。

静かに。

「何も知らなかった」

「陽向……」

「ずっと近くにいたのに」

「……」

「何にも」

陽向が。

両手で顔を覆う。

そして。

その直後。

感情が。

一気に溢れたのだと思う。

「じゃあ何で!」

大きな声。

私はびくっとする。

「何で紗良がいなくなって」

「……」

「お前がいるんだよ!」

息が止まる。

陽向自身も。

言った瞬間。

しまったという顔をした。

でも。

もう止まらなかった。

「何で」

「なんでだよ……」

声が。

どんどん弱くなる。

「紗良……」

そして。

泣きながら。

陽向が言った。

「紗良を……」

胸が。

嫌な音を立てる。

「返してくれよ……」

時間が。

止まった。

陽向の声だけが。

耳の奥に残る。

――紗良を返してくれ。

分かっていた。

陽向が悪いわけじゃない。

悲しいだけ。

大切な人を失っただけ。

それでも。

胸が。

どうしようもなく痛かった。

私は。

何とか笑おうとした。

「……うん」

声が震える。

「そうだよね」

「美月、違――」

「ごめん」

今度は。

止められなかった。

「私も」

涙を拭う。

「返せるなら」

「返したいよ」

陽向の顔が青ざめる。

「待って」

「でも」

私は笑った。

笑えていたかは。

分からない。

「返し方が」

「分からないんだ」

陽向が。

何も言えなくなる。

私は。

テーブルの上を見る。

薄いピンクのマグカップ。

白いマグカップ。

私と陽向の。

最初の思い出。

それさえ。

急に。

ここにあってはいけないものに見えた。

この場所は。

紗良の場所。

陽向の隣も。

もしかしたら。

ずっと。

紗良の場所だった。

私は。

一体。

どこにいればいいんだろう。

その答えを。

私は。

とうとう見つけられなかった。
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