目覚めたら、最推しの腕の中でした~1度終わった私の人生、もう一度恋をしました。~

第12話 いなくなった美月

――紗良を返してくれよ。

陽向の言葉が。

何度も。

何度も。

頭の中で繰り返されていた。

陽向が帰ったあと。

私は。

しばらく何もできなかった。

ソファに座ったまま。

ただ。

ぼんやりと。

テーブルの上を見つめていた。

薄いピンク色のマグカップ。

陽向と一緒に選んだもの。

その隣には。

私の白いマグカップ。

二つ並んでいる。

つい数日前までは。

それを見るだけで嬉しかった。

私と陽向の。

初めての思い出。

そう思っていた。

でも。

今は違う。

「……私、何してるんだろ」

小さく呟いた。

ここは。

一ノ瀬紗良の家。

このソファも。

このテーブルも。

この服も。

この身体も。

全部。

紗良のもの。

なのに私は。

ここで暮らして。

紗良の幼なじみだった陽向と笑って。

一緒にご飯を食べて。

マグカップまで選んで。

少しずつ。

自分の居場所みたいに思い始めていた。

「……違うよね」

ここは。

私の場所じゃない。

陽向だって。

本当は。

私にいてほしかったわけじゃない。

目を覚ましたあの日。

泣きながら抱きしめたのも。

何度も家に来てくれたのも。

最初は全部。

紗良が心配だったから。

それなのに。

私は。

優しくされて。

嬉しくなって。

名前を呼んでもらって。

笑ってもらって。

いつの間にか。

もっと。

もっと。

と思うようになっていた。

「最低……」

涙が落ちた。

陽向は。

大切な人を失ったばかりなのに。

私は。

その人の身体で。

陽向のそばにいることを。

嬉しいと思ってしまった。

◇◇◇

その夜。

ほとんど眠れなかった。

目を閉じると。

いろんな顔が浮かんでくる。

星。

子どもたち。

夫。

そして。

陽向。

最後に。

鏡の中の紗良。

「……」

私はベッドから起き上がった。

時計を見る。

午前四時過ぎ。

まだ外は暗い。

寝室を出る。

そして。

リビングの棚に置かれている。

紗良の写真を手に取った。

そこには。

女優として笑う紗良。

堂々としていて。

綺麗で。

私とは全然違う。

「紗良さん」

写真に向かって呼ぶ。

「本当に……ごめんね」

何度謝っても。

返事はない。

「私」

胸の前で手を握る。

「あなたの人生を生きるつもりなんてなかった」

事故に遭って。

目を覚ましただけ。

それだけだった。

でも。

今は。

違う。

少しずつ。

この身体で生きることに。

慣れ始めている。

それが。

怖かった。

「このままだったら」

声が震える。

「私、本当に」

「あなたの人生を奪っちゃうのかな」

仕事も。

友達も。

家も。

そして。

陽向まで。

「……そんなの嫌だよ」

私は。

写真を元の場所に戻した。

それから。

決めた。

ここを出よう。

◇◇◇

朝。

私は最低限の荷物だけをバッグに詰めた。

財布。

スマートフォン。

充電器。

数日分の服。

それだけ。

紗良の物を持ち出すことにも。

罪悪感があった。

でも。

今の私には。

自分の物なんて何ひとつない。

「……借ります」

誰もいない部屋に向かって。

小さく言った。

そして。

玄関へ向かう。

途中。

テーブルの前で。

足が止まる。

二つのマグカップ。

白。

ピンク。

私は。

少し迷って。

白いマグカップを手に取った。

「……」

持っていきたい。

そう思った。

でも。

結局。

元の場所へ戻した。

これも。

ここに置いていこう。

陽向との思い出まで。

持っていったら。

本当に。

戻れなくなる気がした。

玄関で靴を履く。

一度だけ。

部屋を振り返った。

「……ありがとうございました」

誰に向けているのか。

自分でも分からなかった。

紗良に?

陽向に?

この場所に?

そして。

私はドアを閉めた。

◇◇◇

どこに行くかなんて。

決めていなかった。

ただ。

陽向の近くには。

いないほうがいい。

そう思った。

スマートフォンには。

何件か連絡が入っていた。

マネージャーから。

そして。

陽向から。

画面を見る。

昨日の夜。

『昨日はごめん』

そのあと。

『ちゃんと話したい』

さらに今朝。

『起きてる?』

胸が苦しくなる。

返信したい。

でも。

できない。

「……これでいいの」

陽向が落ち着けば。

きっと。

分かる。

紗良を取り戻したいなら。

私から離れたほうがいい。

私の顔を見るたび。

紗良を思い出す。

でも。

話せば。

中にいるのは私。

それは。

陽向にとって。

きっと残酷だ。

だったら。

会わないほうがいい。

私はスマートフォンを伏せた。

◇◇◇

その頃。

陽向は。

紗良のマンションの前にいた。

「……出ない」

何度インターホンを押しても。

返事がない。

電話も。

繋がらない。

「美月?」

嫌な予感がする。

管理人に事情を話し。

マネージャーにも連絡を入れた。

しばらくして。

部屋の中へ入る。

「……美月?」

静か。

寝室。

いない。

キッチン。

いない。

浴室。

いない。

そして。

玄関に。

いつも履いていた靴がない。

陽向の顔が強張る。

「……嘘だろ」

テーブルを見る。

二つのマグカップ。

そのまま。

白いカップも。

ここにある。

「……何で」

陽向は。

すぐにスマートフォンを取り出した。

電話。

繋がらない。

もう一度。

繋がらない。

メッセージを送る。

『どこにいる?』

既読にならない。

『美月』

『昨日のことなら謝る』

『ちゃんと話そう』

それでも。

返事はなかった。

「……っ」

陽向は。

頭を抱えた。

昨日。

言ってしまった。

紗良を返してくれ。

あの瞬間の。

美月の顔。

笑おうとして。

でも。

泣いていた。

『返せるなら返したいよ』

あの声。

どうして。

気づかなかったんだ。

自分だって。

美月に。

何度も言ってきた。

一人で全部決めるな。

我慢するな。

大丈夫じゃないときは。

大丈夫って言うな。

なのに。

一番。

追い詰めたのは。

自分じゃないか。

「……バカだろ、俺」

陽向は。

家を飛び出した。

◇◇◇

私は。

人目につかない場所を選びながら。

街を歩いていた。

一ノ瀬紗良は。

有名人。

帽子。

マスク。

なるべく顔を隠す。

でも。

行く場所がない。

高瀬美月の家には。

行けない。

紗良の友人のところにも。

行けない。

だって。

私には。

友人ですらない。

ホテルを取ろうにも。

一ノ瀬紗良の名前を使うことになる。

「……私」

道端で。

ふと立ち止まる。

本当に。

何にもないんだ。

高瀬美月としての家。

家族。

お金。

身分証。

全部。

死んだ私と一緒に。

なくなった。

一ノ瀬紗良としてなら。

何でもある。

家も。

仕事も。

お金も。

でも。

それは。

私のものじゃない。

「……どこに行けばいいの」

口に出した瞬間。

涙が滲んだ。

どこにも。

私の場所がない。

前の人生でも。

家族に囲まれながら。

何度も。

そう感じたことがあった。

自分だけ。

この家にいないみたい。

誰にも気持ちが届かない。

みんながいるのに。

一人みたい。

でも。

今は。

本当に一人だ。

「……星」

娘の名前を呼ぶ。

会いたい。

今すぐ。

会いに行きたい。

陽向と。

一緒に考えるはずだった。

遠くから。

子どもたちを見に行く方法。

でも。

もう。

陽向には頼れない。

いや。

頼っちゃいけない。

『紗良を返してくれよ』

また。

耳の奥で。

聞こえた。

「……分かってる」

私は。

小さく答えた。

「私が邪魔なんだよね」

その瞬間。

スマートフォンが震えた。

画面を見る。

陽向。

電話。

出ない。

切れる。

また。

すぐにかかってくる。

「……」

出たら。

きっと。

戻りたくなる。

陽向に。

『帰ってこい』

と言われたら。

私は。

帰りたくなる。

だから。

出ない。

スマートフォンをバッグにしまった。

◇◇◇

夕方。

私は。

一つの公園にいた。

ベンチに座り。

子どもたちが遊ぶ姿を。

遠くから眺めている。

母親を呼ぶ声。

「ママー!」

その声を聞くたび。

胸が痛む。

「はーい!」

母親が答える。

走ってきた子を。

抱きしめる。

私は。

その光景から。

目を逸らせなかった。

「……いいな」

私も。

やっていた。

転んだら。

大丈夫?

って駆け寄って。

泣いたら。

抱っこして。

嬉しいことがあったら。

一緒に喜んで。

それなのに。

あの日を境に。

全部。

なくなった。

「星……」

また。

名前が出る。

星だけじゃない。

全員。

会いたい。

一度だけ。

遠くからでもいい。

元気な姿が見たい。

私はスマートフォンを取り出した。

そして。

夫のSNSを開く。

更新されていた。

新しい投稿。

何気ない写真。

子どもたち。

胸が止まりそうになった。

「……!」

そこに。

星がいた。

久しぶりに見る。

娘。

写真の中では。

笑っている。

でも。

少し。

痩せたように見えた。

「星……」

画面に触れる。

触っても。

届かない。

「ママだよ」

涙が落ちる。

「ここにいるよ」

でも。

星には聞こえない。

そのとき。

写真の背景に目が止まった。

見覚えのある場所。

「あ……」

ここ。

知ってる。

子どもたちと。

何度も行った場所。

今いる公園から。

それほど遠くない。

もしかしたら。

まだ。

近くにいる?

考えるより先に。

立ち上がっていた。

◇◇◇

一方。

陽向は。

必死に美月を探していた。

マネージャー。

病院。

美月が話していた場所。

思いつくところ。

全部。

でも。

いない。

「どこ行ったんだよ……」

そして。

ふと思い出す。

美月が。

何度も口にしていたこと。

――子どもたちに会いたい。

「……まさか」

陽向は。

以前調べた。

高瀬美月の情報を。

もう一度開いた。

住んでいた地域。

家族。

そして。

SNS。

そこに上がった。

新しい投稿。

「……ここ」

写真の背景。

場所が分かる。

陽向は。

すぐに車を走らせた。

◇◇◇

私は。

少し離れた場所から。

その姿を見つけた。

「……っ」

星。

間違えるはずがない。

娘。

少し先を。

歩いている。

家族と一緒に。

「ひかり……」

声が震える。

走り出したい。

名前を呼びたい。

抱きしめたい。

ママだよ。

って。

言いたい。

足が。

一歩。

前に出る。

でも。

止まった。

だめ。

今の私は。

一ノ瀬紗良。

知らない女の人。

星からしたら。

突然知らない大人に。

名前を呼ばれるだけ。

怖い。

「……」

私は。

電柱の陰に隠れた。

何をしているんだろう。

自分の娘なのに。

隠れて。

見ることしかできない。

星が。

何か話している。

少し笑った。

その笑顔を見た瞬間。

涙が溢れた。

「……よかった」

笑えてる。

星が。

笑ってる。

「よかった……」

声を殺す。

そのとき。

星が。

突然こちらを向いた。

「……!」

目が。

合った。

一瞬。

ほんの一瞬。

私は。

動けなかった。

星が。

不思議そうに。

私を見る。

当然。

知らない女性だから。

でも。

なぜか。

星は。

しばらく。

私から目を逸らさなかった。

胸が。

大きく鳴る。

もしかして。

そんな期待が。

一瞬だけ。

浮かんでしまう。

でも。

「星ー!」

家族に呼ばれ。

星が振り返った。

そして。

そのまま。

歩いていく。

私は。

追えなかった。

ただ。

離れていく背中を。

見ているだけ。

「……星」

小さく呼ぶ。

「ママね」

涙が止まらない。

「ずっと」

「ずっと大好きだよ」

届かなくても。

言いたかった。

そのときだった。

「美月!」

後ろから。

聞き慣れた声。

心臓が跳ねる。

振り返る。

息を切らした陽向が。

そこに立っていた。

「……陽向」

陽向の顔。

怒っている。

でも。

それ以上に。

泣きそうだった。

そして。

私のところまで来ると。

何も言わず。

ぎゅっと。

抱きしめた。

「……っ」

「何してんだよ……」

耳元で。

声が震える。

「何でいなくなんだよ……!」

「陽向……」

「電話出ろよ!」

強い声。

でも。

抱きしめる腕は。

震えていた。

「俺」

「……」

「マジで」

「また誰かいなくなったかと思った……」

その言葉に。

胸が締めつけられる。

紗良を失った。

そして。

今度は。

私まで。

「……ごめん」

反射的に言う。

陽向が。

私を抱きしめたまま。

「今回だけ」

「……え?」

「今回だけは」

声が震える。

「ちゃんと謝って」

私は。

目を閉じた。

「……ごめんなさい」

「うん」

「勝手にいなくなって」

「うん」

「心配かけて」

「……うん」

陽向の腕に。

少しだけ力が入る。

「でも」

私は。

そっと身体を離した。

陽向を見る。

「戻れないよ」

陽向の顔が止まる。

「……何で」

「だって」

涙を拭う。

「私がいたら」

「陽向、辛いでしょ?」

「……」

「私を見るたび」

「紗良さんの顔なのに」

「中身は私で」

「……」

「紗良さんを返してほしいって思うでしょ?」

陽向の顔が歪む。

「昨日のは――」

「間違ってないよ」

首を振る。

「陽向は悪くない」

「……」

「私が陽向でも」

「同じこと思うから」

だから。

「私が」

声が震える。

「離れたほうがいい」

陽向は。

しばらく黙った。

そして。

「……それ」

低い声で言った。

「誰が決めた?」

「え?」

陽向が。

真っ直ぐ私を見る。

「美月が一人で決めただろ」

「……」

「俺が」

陽向の眉が寄る。

「離れてほしいって言った?」

「でも」

「言ってない」

「……」

「紗良を返してほしいって」

陽向は。

苦しそうに息を吐いた。

「言った」

「……」

「最低だった」

「違うよ」

「違わない」

陽向は首を振る。

「でも」

そして。

私を見る。

「だからって」

一歩。

近づく。

「美月までいなくなれなんて」

声が震えた。

「一回も言ってねえよ」

私は。

何も言えなかった。

「なんで」

陽向が言う。

「なんで一人で全部決めんだよ」

その言葉が。

胸の奥に。

深く。

突き刺さった。
< 12 / 60 >

この作品をシェア

pagetop