僕らのノイズ ※最後の願いは、よく考えたうえで送信してください。

 本番十分前のブザーが廊下に鳴り響く。
 私は、控室から次々に部員が出てきて、その後ろ姿をしみじみと眺めていた。

「夕夏、何してるの?」

 朋美がローファーのつまさきを床に当て、トントンと履き心地を整えていた。
 胸元には、制服用のリボンではなく、合唱部がステージ上の衣装として身に付けることになっている、紺色と金色のボーダー柄リボンが輝いていた。
 ――一番上を目指すための、願掛け。
 顧問の先生がそう言って、私たちが高校一年生の秋頃に変えられてしまった、ステージ用の衣装リボン。
 芝学は、それまでの紺色を基調とした深緑色のボーダーリボンから願掛けに走ったと、陰で馬鹿にされた時期があった。

 本当の意味での " 一番 " は、なんだったんだろう。
 まだ、私はわからない。
 たとえば、金賞は目に見えてわかりやすい。
 けれど、どうも、それとは違うような。

「考えごと。いろいろあったなあ、って」
「……寂しいんでしょ」

 朋美は私の左側にまっすぐ立って、腕を組んでいつものように少し偉そうにしている。
 ああ、いつもの朋美だ。
 プライドが高くて、負けず嫌いなところ。
 リーダーシップがあるから、自然とみんなが朋美についていくところ。
 そして、実は、私のことをこれでもかと理解してくれている、大切な――幼なじみだということ。
 私の気持ちを言い当てることが得意なのは、朋美だから。
 私ではなく、朋美が部長に選ばれたことも、今なら納得できる。

 あの事故と、その後のいじめさえなければ、きっと進級してからも、引退を迎えるまではみんなで歌えていた。きっと、そのはず。
 朋美にとっては大きな負担になっていただろうし、ひどく苦労かけただろう。
 大会に出られなくて、ただでさえ、どこにぶつけたらいいのかわからない気持ちにとっては、私が復帰して元気な姿を見せたことは、地雷でしかなかった。

 私がもう少し、みんなのこと、朋美や那月、陸たちの悔しさや負担を想像できていれば、十月の引退までは合唱部を辞めずにいられた。そんな気がして、少しだけ、涙が込み上げてくる。

「寂しいよ」

 朋美と一緒に歌えるのは、今日が最後。
 今日で、最後。心に穴があきそうで、私は咄嗟(とっさ)に、朋美を抱きしめた。
 朋美は、私の体を離すことなく、むしろ、強く抱きしめ返してきた。

「うちも寂しい……とか言ってみちゃった!」

 えへへと、抱きしめられたままで、バシンバシン背中を叩かれる。
 あの事故で負った怪我はすでに治ったけれど、古傷が痛むような気がして、私は朋美から体を離して、軽く朋美を睨んだ。

「冗談だってば」

 ごめんごめん、と朋美が今度は肩をすりすりとさすってきた。
 ああ、そういえば、と朋美が呟く。

「夕夏は考えてきた? 先生に頼まれた、あれ」

 顧問の先生に「歌い終わった後、アンコールの最後で部長とエース組代表の2人に、集大成として最後の言葉を話してもらうから」と頼まれた、あれ。

「まだ、最後だけ悩んでる」
「同じだね」
「うん、同じ」

 朋美も、私と同じように壁に背中を預けた。

「いっそのこと、本番一発勝負にしちゃう?」

 朋美が少し歯をのぞかせながら、いたずらっぽくにやりと笑う。

「私たちの人生は、いつだって本番一発勝負」

 私は朋美を励ましたくなって、朋美の左手と私の右手で拳を突きあい、そう宣言した。

 本番五分前のブザーが、廊下中に響き渡った。
 多くの卒業生をはじめ、サポートに徹する部員の保護者たちが、忙しなく動き回っては、小道具や楽器の準備をしていた。
 案内役のスタッフまでもが、廊下を駆け回っている。

「これだけたくさんの人に、芝学の合唱部や吹奏楽部、箏曲部は支えられて活動しているんだな」と、ありがたい気持ちが心の奥から溢れてきそうになる。
 
 朋美は、さて、と言いながら両手で制服を少し下に伸ばして、皺を直した。そして、私を置いて、先にステージ裏へ行ってしまった。
 私も朋美を追いかけるように、早足気味に歩き出した。
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