『十五年越しの願いは、歪んだ家族に砕かれて――身ごもり秘書は幼馴染CEOの重すぎる執着愛から逃げられない』
足が止まった。

「……お父様?」

『はい』

一拍置いて。

志水さんが続ける。

『本日、綾乃お嬢様のお宅へ伺いたいとのことですが、ご都合はいかがでしょうか』

「今日?」

『はい』

「聞いてないんだけど」

電話の向こうで。

志水さんが、ほんの少し苦笑したような気配がした。

『旦那様らしいと申しますか……決まってから伝えればいい、と』

「本当に変わらない」

思わず笑ってしまった。

「今日は休みだから大丈夫。来て」

『では、午後三時半頃に。私もご一緒いたします』

「分かりました。待ってます」

電話を切ってから。

しばらくその場に立っていた。

今日。

本当に。

いろいろなことが動く。

朝。

佐知子さんに秘密を見抜かれた。

病院で。

赤ちゃんを見た。

そして。

父が戻ってくる。

一年半前。

日本へ帰ってきた時には。

まだ何も終わっていなかった。

戻ってきただけだった。

それから少しずつ生活が変わり。

人が戻り。

遼河さんとの関係まで変わった。

そして今日。

ずっと止まったままだと思っていた過去まで。

ようやく。

動き始めるのかもしれない。



午後三時半を少し回った頃。

インターホンが鳴った。

「いらっしゃいましたね」

今日は予定を延ばして残ってくれていた佐知子さんが。

キッチンから顔を出す。

「うん」

返事をしたものの。

すぐには立てなかった。

モニターを見る。

志水さん。

そして。

その隣に。

父がいた。

「……お父様」

隣へ来た佐知子さんも。

画面を見た瞬間、わずかに息を呑んだ。

「……旦那様」

エントランスを解錠する。

やがて。

玄関のチャイムが鳴った。

扉を開ける。

父が。

そこに立っていた。

「久しぶりだな」

いつもの声だった。

少しだけ笑う顔も変わらない。

でも。

やっぱり痩せて。

以前より頬が落ちている。

長い治療が簡単なものではなかったことくらい。

何も聞かなくても分かった。

それでも。

私を見る目も。

背筋を伸ばして立つ姿も。

昔と変わらなかった。

「……何だ、その顔は」

「だって」

言葉が詰まる。

「もっと弱ってるかと思った」

「帰ってきた人間に最初に言う言葉か?」

「心配したんだもん」

「元気になったから来たんだ」

その一言を聞いた瞬間。

胸の奥で、ずっと張っていたものが。

ふっと緩んだ。

「……おかえりなさい」

やっと言えた。

父の目が。

柔らかく細められる。

「ああ。ただいま、綾乃」

その声を聞いた途端。

駄目だった。

目の奥が熱くなる。

「何で泣く」

「泣いてない」

「泣いてるだろ」

「見ないで」

「目の前にいるのに無理だろう」

そんな言い合いさえ。

懐かしく思えた。

気づけば一歩。

父へ近づいていた。

大きな手が。

そっと頭へ触れる。

子どもの頃から。

変わらない手だった。

「心配かけたな」

「……本当だよ」

「悪かった」

その時。

後ろから、小さく鼻を啜る音がした。

佐知子さんだった。

父も気づいて、そちらを見る。

「佐知子さん」

「……はい」

「留守の間、ありがとう」

佐知子さんは。

すぐには答えなかった。

目元を押さえ。

それから少しだけ、父を睨む。

「遅いです、旦那様」

父が小さく笑った。

「そうだな」

「本当に……」

声を詰まらせながらも。

佐知子さんは、きちんと頭を下げた。

「お帰りなさいませ、旦那様」

「ああ。ただいま」

< 112 / 162 >

この作品をシェア

pagetop