『十五年越しの願いは、歪んだ家族に砕かれて――身ごもり秘書は幼馴染CEOの重すぎる執着愛から逃げられない』
胸の奥が震えた。
十五年。
いや。
本当は、それよりもっと前からだったのかもしれない。
私が何も知らなかった頃から、すべては始まっていた。
父が椅子へ戻ると、今度はジュリアンが立った。
いつもの軽い笑みはない。
手元のタブレットを閉じ、机へ置く。
「ここからは、法務担当として僕が説明します」
流暢な日本語だった。
その瞬間、長谷川がわずかに顔をしかめた。
ジュリアンは気にする様子もない。
「一応、確認しておきます。僕はMVEグループ側の法務責任者であり、弁護士資格も持っています。本日提示される資料については、すでに国内外の複数の弁護士、会計士、関係機関による精査を受けています」
一拍。
「つまり――ここで『知らなかった』『記憶にない』『自分は関係ない』と言って終われる段階は、とっくに過ぎています」
早紀子の顔色が変わった。
「何を言っているの」
「そのままの意味です」
ジュリアンは淡々と答える。
「今回確認されている事案には、企業資金の不正流用、横領、架空取引、名義貸し、利益供与、情報の不正取得および利用、証拠隠滅を目的としたデータ操作など、刑事・民事の双方に関係するものが複数含まれています」
長谷川が椅子を引いた。
「待て。こんな場所で勝手に――」
「お座りください」
声を発したのは遼河さんだった。
静かだった。
けれど、長谷川の動きが止まる。
遼河さんは私の手を握ったまま、彼を見ていた。
「説明はまだ始まったばかりです」
「藤和君、君は――」
「藤和CEOです」
ぴたりと。
空気が止まった。
ジュリアンの口元がほんの少しだけ上がる。
私は思わず遼河さんを見た。
本人は何事もなかったような顔をしている。
……こういうところ、本当に容赦がない。
長谷川が苦々しい顔で座り直した。
ジュリアンが話を戻す。
「さらに今回の件では、日本国内だけではなく、海外法人および海外口座を経由した資金移動も確認されています」
直政の指が、机の上でわずかに動いた。
私はそれを見逃さなかった。
「そのため、国内資料だけを処分したところで意味はありません」
ジュリアンの声が少しだけ低くなる。
「残念でしたね」
直政が睨みつける。
けれど、ジュリアンは平然としていた。
「ここから先は、僕が説明するより、実際に調べた本人たちから話してもらった方が早いでしょう」
そう言って彼が視線を向けた先。
真崎と慎二が並んで座っていた。
慎二がゆっくり立ち上がる。
十八歳。
私の弟。
それなのに。
今の慎二の顔には、私が知っている弟とはまるで違うものがあった。
幼い頃から一人で抱えてきたもの。
誰にも言えず。
誰にも頼れず。
それでも、いつか真実へ辿り着くために手放さなかったもの。
「……十二年前」
慎二が口を開いた。
「俺が小学一年生だった頃からです」
早紀子が目を見開いた。
私も胸の奥を掴まれたような気がした。
分かっていた。
聞いていた。
それでも本人の口から聞くと、その重さが違う。
小学一年生。
まだランドセルを背負っていた慎二。
そんな小さな子が。
「家の中で、変なことが起きてるって気づいた」
慎二は母親を――早紀子をまっすぐ見た。
「最初は意味なんて分からなかった。でも、見ちゃったから」
早紀子の唇が震える。
「慎二……」
「今さら名前呼ばないで」
即座に返したその声に、私は息を呑んだ。
怒鳴ってはいない。
だから余計に痛かった。
「俺、ずっと考えてた。何を見たのか。誰と話してたのか。どうして父さんに隠す必要があったのか」
慎二は手元の端末を操作した。
正面の大型モニターに、複数の資料が映し出される。
古いメール。
送金履歴。
会社名。
日付。
数字。
「最初は意味が分からなかったから、とにかく残した」
次々と画面が切り替わる。
「パソコン覚えた。データの探し方を覚えた。消されたものを戻す方法も覚えた。関連する会社を調べて、役員を調べて、登記を調べて……」
一度、慎二は言葉を止めた。
そして隣を見る。
「途中から、この人に捕まりました」
「言い方」
真崎が即座に返した。
張り詰めていた空気の中で、一瞬だけ妙な間が生まれる。
慎二は真顔だった。
「間違ってないでしょ」
「保護したと言え」
「ネット上で小学生捕まえた人が言います?」
「お前が先に他人のシステムへ入ってきたんだろうが」
「脆弱性確認です」
「不正アクセスだ」
「結果的に役立ったじゃん」
「十二年前の話を今ここで正当化するな」
思わず。
ほんの少しだけ、息が抜けた。
遼河さんの口元もわずかに緩んでいる。
これが二人の十二年なのだ。
真崎が小学生だった慎二を見つけた。
その才能を放置せず。
止めるところは止め。
教えるところは教え。
慎二が道を踏み外さないように、ずっと見てきた。
ただの会社の同僚ではない。
ただの年の離れた友人でもない。
慎二にとって真崎は――。
「では、続きを」
真崎が淡々と言った。
「はいはい、師匠」
「誰が師匠だ」
「今さら否定する?」
「仕事しろ」
「してます」
……やっぱり師弟だと思う。
口には出さなかったけれど。
たぶん、この部屋にいる大半が同じことを考えた。
慎二が再び端末へ向き直った。
「俺一人で集められたのは、ここまでです」
画面に一本の線が表示される。
武村家。
河崎家。
複数の関連企業。
政治関係者。
そして――鷹宮。
点だったものが、線で繋がっていく。
「でも六年半前くらいから、おかしなことが起き始めた」
私は顔を上げた。
六年半前。
慎二が以前、話してくれた時期だ。
「俺たちが探しても見つからなかった古い内部資料が、突然出てくるようになった」
真崎が引き継ぐ。
「削除されたはずの台帳。閉鎖された法人のバックアップ。海外側にしか残っていない送金記録。こちらが一つの証拠へ辿り着くと、次へ進むための材料が、まるで道標のように現れた」
「送り主は?」
長谷川が低い声で聞いた。
真崎は彼を見る。
「分かりませんでした」
そして少し間を置いた。
「少なくとも、昨日までは」
十五年。
いや。
本当は、それよりもっと前からだったのかもしれない。
私が何も知らなかった頃から、すべては始まっていた。
父が椅子へ戻ると、今度はジュリアンが立った。
いつもの軽い笑みはない。
手元のタブレットを閉じ、机へ置く。
「ここからは、法務担当として僕が説明します」
流暢な日本語だった。
その瞬間、長谷川がわずかに顔をしかめた。
ジュリアンは気にする様子もない。
「一応、確認しておきます。僕はMVEグループ側の法務責任者であり、弁護士資格も持っています。本日提示される資料については、すでに国内外の複数の弁護士、会計士、関係機関による精査を受けています」
一拍。
「つまり――ここで『知らなかった』『記憶にない』『自分は関係ない』と言って終われる段階は、とっくに過ぎています」
早紀子の顔色が変わった。
「何を言っているの」
「そのままの意味です」
ジュリアンは淡々と答える。
「今回確認されている事案には、企業資金の不正流用、横領、架空取引、名義貸し、利益供与、情報の不正取得および利用、証拠隠滅を目的としたデータ操作など、刑事・民事の双方に関係するものが複数含まれています」
長谷川が椅子を引いた。
「待て。こんな場所で勝手に――」
「お座りください」
声を発したのは遼河さんだった。
静かだった。
けれど、長谷川の動きが止まる。
遼河さんは私の手を握ったまま、彼を見ていた。
「説明はまだ始まったばかりです」
「藤和君、君は――」
「藤和CEOです」
ぴたりと。
空気が止まった。
ジュリアンの口元がほんの少しだけ上がる。
私は思わず遼河さんを見た。
本人は何事もなかったような顔をしている。
……こういうところ、本当に容赦がない。
長谷川が苦々しい顔で座り直した。
ジュリアンが話を戻す。
「さらに今回の件では、日本国内だけではなく、海外法人および海外口座を経由した資金移動も確認されています」
直政の指が、机の上でわずかに動いた。
私はそれを見逃さなかった。
「そのため、国内資料だけを処分したところで意味はありません」
ジュリアンの声が少しだけ低くなる。
「残念でしたね」
直政が睨みつける。
けれど、ジュリアンは平然としていた。
「ここから先は、僕が説明するより、実際に調べた本人たちから話してもらった方が早いでしょう」
そう言って彼が視線を向けた先。
真崎と慎二が並んで座っていた。
慎二がゆっくり立ち上がる。
十八歳。
私の弟。
それなのに。
今の慎二の顔には、私が知っている弟とはまるで違うものがあった。
幼い頃から一人で抱えてきたもの。
誰にも言えず。
誰にも頼れず。
それでも、いつか真実へ辿り着くために手放さなかったもの。
「……十二年前」
慎二が口を開いた。
「俺が小学一年生だった頃からです」
早紀子が目を見開いた。
私も胸の奥を掴まれたような気がした。
分かっていた。
聞いていた。
それでも本人の口から聞くと、その重さが違う。
小学一年生。
まだランドセルを背負っていた慎二。
そんな小さな子が。
「家の中で、変なことが起きてるって気づいた」
慎二は母親を――早紀子をまっすぐ見た。
「最初は意味なんて分からなかった。でも、見ちゃったから」
早紀子の唇が震える。
「慎二……」
「今さら名前呼ばないで」
即座に返したその声に、私は息を呑んだ。
怒鳴ってはいない。
だから余計に痛かった。
「俺、ずっと考えてた。何を見たのか。誰と話してたのか。どうして父さんに隠す必要があったのか」
慎二は手元の端末を操作した。
正面の大型モニターに、複数の資料が映し出される。
古いメール。
送金履歴。
会社名。
日付。
数字。
「最初は意味が分からなかったから、とにかく残した」
次々と画面が切り替わる。
「パソコン覚えた。データの探し方を覚えた。消されたものを戻す方法も覚えた。関連する会社を調べて、役員を調べて、登記を調べて……」
一度、慎二は言葉を止めた。
そして隣を見る。
「途中から、この人に捕まりました」
「言い方」
真崎が即座に返した。
張り詰めていた空気の中で、一瞬だけ妙な間が生まれる。
慎二は真顔だった。
「間違ってないでしょ」
「保護したと言え」
「ネット上で小学生捕まえた人が言います?」
「お前が先に他人のシステムへ入ってきたんだろうが」
「脆弱性確認です」
「不正アクセスだ」
「結果的に役立ったじゃん」
「十二年前の話を今ここで正当化するな」
思わず。
ほんの少しだけ、息が抜けた。
遼河さんの口元もわずかに緩んでいる。
これが二人の十二年なのだ。
真崎が小学生だった慎二を見つけた。
その才能を放置せず。
止めるところは止め。
教えるところは教え。
慎二が道を踏み外さないように、ずっと見てきた。
ただの会社の同僚ではない。
ただの年の離れた友人でもない。
慎二にとって真崎は――。
「では、続きを」
真崎が淡々と言った。
「はいはい、師匠」
「誰が師匠だ」
「今さら否定する?」
「仕事しろ」
「してます」
……やっぱり師弟だと思う。
口には出さなかったけれど。
たぶん、この部屋にいる大半が同じことを考えた。
慎二が再び端末へ向き直った。
「俺一人で集められたのは、ここまでです」
画面に一本の線が表示される。
武村家。
河崎家。
複数の関連企業。
政治関係者。
そして――鷹宮。
点だったものが、線で繋がっていく。
「でも六年半前くらいから、おかしなことが起き始めた」
私は顔を上げた。
六年半前。
慎二が以前、話してくれた時期だ。
「俺たちが探しても見つからなかった古い内部資料が、突然出てくるようになった」
真崎が引き継ぐ。
「削除されたはずの台帳。閉鎖された法人のバックアップ。海外側にしか残っていない送金記録。こちらが一つの証拠へ辿り着くと、次へ進むための材料が、まるで道標のように現れた」
「送り主は?」
長谷川が低い声で聞いた。
真崎は彼を見る。
「分かりませんでした」
そして少し間を置いた。
「少なくとも、昨日までは」