【完結済】すべて失った廃妃のはずが、隣国で幸せになりました ~ 追放先で加護の力が復活し、新王妃として大歓迎されています ~

22.

 そんな日々がふた月ほど続いた、ある日のことだった。
 数軒の慰問を終えたその帰路で、街道脇の小さな泉のそばに立ち寄った。
 馬に水を飲ませるため、馬車が停車する。
 夕暮れ色に美しく染まった景色を小窓から見ていた私は、ふと外の空気を吸いたくなった。それを伝えると、エミナとロゼルが扉を開け、私を外へと誘ってくれる。
 馬が水を飲んでいる泉の水面には、沈みかけた夕日の光がぼんやりと揺れている。遠くに視線を向けると、小さな村から上がる煙が、人々の暮らしを想像させた。
 ひんやりとした風を頬に受けながら、私は自然と目を閉じ、胸の前で両手を組んだ。
 このオルセリエの民たちが、一日も早く、平穏で豊かな暮らしを取り戻せますように。
 願いを込めて祈っていると、そばに人の立つ気配があった。
 瞼を開きそちらへと顔を向けると、そこにいたのはヴォルグだった。黄金色の目は、相変わらず感情を読ませない。ただ淡々と、私のことを見下ろしていた。
「……何をなさっておいでなのです」
 静かな低い声が、若干怪訝な色を帯びていて、私は何となく苦笑する。
「村の景色を見て、祈っていたのよ。ここに生きる人々の平穏を」
「……」
 そう答えた私のことを、ヴォルグはただ黙って見つめる。
「……祈りを捧げることは、私の人生の一部なの。物心ついた時から、毎日こうして、何度も祈ってきたわ。以前はエヴァンシアの民たちのためだったけれど、今はこのオルセリエの民たちのためにね」
 すると、しばらく黙っていたヴォルグが、ゆっくりと口を開いた。
「……あなた様にとって、この王国の民たちはそこまで大切な存在ですか? 望んでここに来られたわけではないのでしょう」
 その質問に、私は思わず目を見開いた。
「たしかに、そうね。でも今の私は、このオルセリエの王妃よ。ならば王妃として、この国に生きる人々の生活と命を守るために、身を尽くさなくては。それが私の役目だもの」
「……」
 ヴォルグはまた黙り込むと、何かを確かめるように私の目をじっと見つめた。私もまた、彼を見つめ返す。
 やがてヴォルグは、再び口を開いた。
「……他国から嫁いで来られたばかりのあなた様は、これまでのオルセリエの在り方に何の責も負ってはおられませんでした。それなのにあなた様は、民たちに真っ先に頭を下げられた」
 慰問先でのことを言っているのだろう。けれどそれは王族として当然のことだし、私はすでに、オルセリエ王家の一員なのだ。
 するとふいに、ヴォルグが驚くべきことを打ち明けた。
「私はこの戦により、妻と息子を亡くしております」
(……え……っ)
 突然の告白に、一瞬呼吸が止まる。
 呆然と見つめる私に、ヴォルグは顔色一つ変えず淡々と語った。
「私は王国騎士団長でありながら、ブレイス伯爵領の当主でもあります。嫡男であった息子は、一昨年、二十になったばかりでした。徴兵され、前線に送られ、そのまま戻りませんでした」
「……」
 言葉が出ない。この厳しく静かな顔の裏に、彼もまた、大きな喪失を抱えていたのか。
 けれど先に続いた言葉は、それ以上の衝撃を私に与えた。
「私の妻は、息子亡き後も変わらず領地の救護院や集落を回っておりました。その時に疫病をもらったようです。昨年の冬の終わりのことです。あっという間でした」
「……ヴォルグ……」
 その告白の重みが、私の胸と喉を締め付けた。
 それ以上言葉にならず、私はただ彼の目を見つめ続ける。ヴォルグは凪いだ眼差しで私を見ていた。
「各施設にいる民たちは、私にとって他人ではないのです。戦災孤児、未亡人、負傷兵……。彼らは皆、私の人生と繋がっている。家族や家を失い、傷を負う者たちを、これ以上増やすわけにはいかない。そう思い、セルジュ国王陛下にオルセリエ王国の未来を託しました」
 ヴォルグはそこで言葉を区切り、口を閉じた。まるで、込み上げてきた痛みをもう一度、胸の底に押し戻すように。
 そしてまた、静かに口を開く。
「おそばに仕えふた月以上、あなた様の行動を間近で見ていて感じました。民たちに寄り添い、献身的に尽くしてくださるあなた様ならきっと、セルジュ国王陛下とともにこの王国を救ってくださると。……妃陛下」
 ヴォルグはそう言うと、ふいにその場に膝をつき、胸に手を当てた。驚く私に、彼は静かに、そして力強く言った。
「私はあなた様に賭けます。この身と、この剣をもって、陛下と妃陛下の御志のために尽くすことを誓います。オルセリエ王国の騎士として、あなた様に忠誠を」
(……ヴォルグ……)
 その先の思いは、聞かずとも分かった。
 どうかこの国を、民たちを救ってほしいという彼の願いは、言葉にせずとも伝わってくる。この真摯な思いに報いることができずに、王妃の座にいる資格などない。
「……ありがとう、ヴォルグ。力を尽くすわ。どうか私をそばで支え、ともに歩んでほしい」
 精一杯の気持ちを込め、私はそう短く返したのだった。
 再び乗り込んだ馬車が走り出すと、向かいに座っていたエミナが口を開いた。
「アリスティーヌ様。先ほどブレイス騎士団長が、ご自身の話をしていらっしゃいましたよね」
「……ええ」
 ちょうどそのことを考えていた私は、小さくそう答える。エミナは少し悲しげに微笑んだ。
「王宮にいる者たちも、皆多かれ少なかれ、戦の被害を被っております」
 彼女は静かに言葉を続ける。
「私の家は男爵家なのですが、戦費の徴収で領地運営が立ち行かなくなり、今は家計を切り詰めながら細々と暮らしています」
 彼女の隣に座っていたロゼルが頷く。
「我が家は子爵家です。父は疫病で倒れ、嫡男の兄は戦から戻りましたが、片足を失いました。今は領地の立て直しをするべく、どうにか頑張っているようです」
「……そう」
 彼女たちにも、重い事情があったのだ。長年続いたこの王国の戦の爪痕は、至るところに深く残っている。
 沈んだ空気を変えるように、エミナが明るい笑顔を見せた。
「ですから私たちも、アリスティーヌ様には感謝しているんです! こちらに来られたばかりで慣れるだけでも大変なはずなのに、毎日朝から晩まで、本当にありがとうございます」
 するとロゼルも、同じように笑みを見せた。
「ええ、本当に。王国の母である王妃陛下の献身的なお姿は、多くのものを失い傷付いた民たちにとって、きっと大きな希望となっているはずです。ありがとうございます、アリスティーヌ様」
「私たちも、騎士団長と同じです! お支えしてまいります」
「……あなたたち……」
 胸がいっぱいになり、言葉が出ない。
 二人こそ、そんな事情を抱えていたことなど今日までおくびにも出さず、毎日にこやかに私に仕えてくれていたのだ。
 夫と友人に謀られ、廃妃にされ、生まれ育った王国を追われた自分を、不運だと思っていた。幼少の頃からひたすらに重ねてきた努力が水泡に帰したことに傷心し、失望した。
 けれど、そんなことが一体何だと言うのか。
 愛する人たちの命を理不尽に奪われ、積み重ねてきた全てを壊された者たちの苦しみに比べれば、何ということはない。
 私もここで、再生すればいいのだ。
 この王国の民たちとともに。
 そう思った瞬間、これこそが私の生まれてきた本当の意味なのではないかとさえ感じた。
「……ありがとう、エミナ、ロゼル。あなたたちの思いも、胸に刻みます。この王国の王妃として、務めを全うするわ」
 二人の目を真っ直ぐに見つめそう言うと、エミナとロゼルは嬉しそうに微笑んだのだった。

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