【完結済】すべて失った廃妃のはずが、隣国で幸せになりました ~ 追放先で加護の力が復活し、新王妃として大歓迎されています ~

32.

 それから一週間後。私たちは初めて二人で王宮を出て、王都へと向かった。二人で馬車に乗るのも、もちろん初めてのこと。何だか少しドキドキしてしまう。
 浮つく気持ちに蓋をし、私はセルジュ様の向かいに座ると彼に念を押した。
「セルジュ様、まだお体が本調子ではないのですから、どうぞご無理はなさらず。何かあれば遠慮なく、私におっしゃってくださいね」
 するとセルジュ様は困ったように小さく笑う。
「分かっている。大丈夫だ、側近たちも来ていることだし。……君は心配性だな」
「そ、そんなことは……。国王の体調が万全でなければ、心配するのは普通のことです」
 そう答えると、彼はまた笑みを見せた。
 エミナとロゼルは、今日は後続の馬車に乗っている。セルジュ様の侍従たちもだ。私たちの馬車の周囲は、騎士たちがしっかりと固めている。
 本来ならば騎士団長のヴォルグも同行予定だったのだが、指揮に赴いている王都遠方で問題が発生したらしい。予定通りに王宮へは戻ってこられず、今日は不在だった。
 王宮を出た馬車は、ゆるやかな石畳の道を進む。小窓から外を窺うと、遠くにまだ修繕の途中と思しき家屋や、崩れかけた石壁を積み直している人々の姿が見えた。
 しばらくの間、セルジュ様は静かに外を見つめていた。
「……こんな風に街を見るのは、随分と久しぶりだ」
 その声色に、ほんの少し感傷的なものを感じた。長年幽閉され、ようやく解放されるやいなや王宮で新国王としての日々に忙殺されてきたセルジュ様だ。思うところはたくさんあるのだろう。
 深くは追及せず、私はそっと口を開く。
「私が慰問を始めた頃に比べると、人の動きが増えています。商隊の往来も、少しずつ増えてきていますし」
 そう告げると、セルジュ様は私に顔を向け、わずかに目を細めた。
「ああ。街道警備隊を入れた効果は出はじめているようだな」
 短くそう言い、彼は言葉を続ける。
「だが、やはりまだ足りないな。道を使う者の数に対して、警備の密度が追いついていない」
 再び窓に移した彼の視線の先では、荷を引く馬車が慎重に進んでいる。
「ええ。今は主要な街道を優先しておりますが、もう少し余裕が出てくれば、その他の街道にも手を回していかなくてはなりませんね」
 私が応じると、セルジュ様は「そうだな」と小さく頷いた。
 
 街道に差しかかると、警備に当たっている兵たちの姿が目に入る。
 すれ違う商隊の荷車はやはり以前よりも多く、道の脇では子どもたちがその様子を眺めていた。
 その光景を馬車から眺めながら移動し、私とセルジュ様はいくつかの施設を訪問した。
 これまで私一人で訪れていた児童養護施設や救護院の人々は皆、セルジュ様の姿を見て一様に驚愕した。
「こっ……! ここ、国王、陛下……っ!?」
 救護院の女性たちはセルジュ様を見上げあんぐりと口を開けると、顔を青くしたり赤くしたりしながら慌てふためいていた。
 けれど、セルジュ様はそんな民たちに気さくに話しかけ、暮らしぶりや困っていることなどを尋ねてまわる。
「顔を出すのが遅くなってしまった。皆、苦労をかけてすまない。生活はどうだ? 子どもたちの様子は?」
 そんなセルジュ様の姿に、皆も徐々に強張りを解く。新国王が前王とは全く違う人物であることを知った民たちは、安心した表情を見せていた。
 予定していた全ての施設の訪問が終わると、馬車に戻った私はそっと息をついた。
「……皆、とても安心した様子でしたわ」
「ああ。だが、顔を見せて安心させるだけではな。形にして示し続けなければ、一度失った民たちの王家への信頼を取り戻すことはできないだろう」
 セルジュ様はそう言い、窓の外へと視線を移した。
 帰路の途中、街道脇の小さな広場で一度馬車を止めることになった。簡素な井戸と木陰がある。行き交う人々が休息を取るための場所らしい。
「疲れただろう、アリスティーヌ。馬が休憩している間、俺たちも外の空気を吸おう」
 セルジュ様にそう声をかけられ、私は頷く。
「ええ、喜んで」
 馬車の扉が開き、セルジュ様に続いて私も外へ出ようとした。するとセルジュ様が、さりげなくこちらへと手を差し出す。
(……え?)
 驚いて一瞬固まった後、私はその手に自分の手をおずおずと乗せた。
 セルジュ様は私の手をしっかりと握り、馬車から降りる私を自らエスコートしてくださった。
 繊細な見目の彼の手は意外にも骨ばっていて大きく、私の手がすっぽりと包み込まれるほどだった。
「あ……、ありがとうございます」
 戸惑いつつもそうお礼を言うと、セルジュ様は無言のまま優しく微笑んだ。
 おおらかなその笑顔は、まるで手だけではなく私の全身を包んでくれるような、そんな温かさだった。
 後続の馬車は遅れているのか、まだ到着していない。
 広場にはいくつかの荷馬車と、旅人たちの姿があった。井戸のそばでは、汲み上げた水を桶に移し、馬に与えている者がいる。乾いた地面には木陰がわずかに落ち、そこに腰を下ろして休む者や、簡単な食事をとる者の姿も見えた。
 けれど、その場にいた皆が王家の馬車と私たちの姿を認め、広場の空気が変わった。
 休息をとっていた人々は顔を強張らせ、次々と立ち上がる。
 戸惑いと緊張の入り混じった視線が、次々にこちらへと向けられた。
 慌てて頭を下げる者、子どもを背に隠す母親、距離を取るように一歩下がる男。
 皆息を潜め、こちらを窺っている。
 するとセルジュ様はひらりと片手を上げ、誰にともなく声を発した。
「驚かせてすまない。我々も帰路の途中でただ休憩をとっているだけだ。皆気にせず、ゆっくりしてくれ」
 そう言うとセルジュ様はすたすたと歩き出し、丸太を切り出して作られた素朴なベンチに腰を下ろした。そうして私を見ると、ご自分の隣を軽く叩く。
「おいで、アリスティーヌ」
 その声に従い、私は素直に彼のそばへ行くと、並んで腰を下ろした。
 人々はそんな私たちの姿を少し気にしながらも、それぞれの休憩に戻っていく。
(本当に気さくな方なんだな、セルジュ様って……)
 休んでいる民たちに礼儀を尽くした挨拶を求めるわけでもなければ、厳めしい表情で威圧するわけでもない。
 穏やかな彼の雰囲気が、不思議とこの場の空気を和ませる。隣にいるとほっとするし、それでいて、何だか妙にそわそわする。
 王宮で接している時には知らなかったセルジュ様の一面を見て、私の胸の奥はざわめいていた。
 護衛の騎士たちが周囲へと散開する。二名が馬の手綱を取り、井戸の方へと導いた。別の騎士たちは人の流れをさりげなく制しながら、視線を巡らせている。
 セルジュ様は、凪いだ表情で周囲を見渡す。
 私も彼に倣い、それぞれに休息をとる民たちの様子を、見るともなしにぼんやりと見ていた。
 夕暮れのひんやりとした風が、優しく頬を撫でる。
「寒くないか?」
 ふいにセルジュ様が、私を気遣い声をかけてくださった。
「ええ、大丈夫です。風は少し冷たいですが、気持ちがいいので」
 そう答えると、セルジュ様は何も言わずに着ていた外套を脱ぎ、おもむろに私の肩へとかける。
 その瞬間、清潔で甘い香りが、私の鼻腔をふわりとくすぐった。嗅ぎ慣れないその香りに心臓が跳ねる。
「セ、セルジュ様……。どうぞお気遣いなく。セルジュ様が風邪をひかれては大変ですので」
 ドギマギしながら外套を返そうとすると、セルジュ様が静かにそれを制する。
「俺は寒くないからいい。君が体調を崩す方が心配だ。かけていてくれ」
「……ありがとうございます……」
 そう言われればそれ以上固辞できず、私はそのまま大人しく座った。
(セルジュ様こそ、まだ本調子じゃないのに……)
 その優しさと、自分のものではない香りに、鼓動は大きくなるばかりだ。
 そんな私の動揺など全く気付いていない様子のセルジュ様は、辺りを見ながらのんびりとした口調で呟く。
「こうして外で休むのも、悪くないな」
「……ええ。王宮とは違う空気で、気分が変わりますね」
 そう答えると、セルジュ様が私の方を向く。
「君はいつもこうして、慰問を続けてくれているんだな。たくさん歩くし、疲れるだろう」
「たしかに、いくつもの施設を見て回るので足は使いますが、王妃として当然の務めですもの。それに、母国でも幼い頃からずっと続けてきたことです。私にとって、視察や慰問は特別なことではありませんので。大丈夫です」
 するとその私の言葉に、セルジュ様が小さく息をついた。
「いや、なかなかの体力仕事だぞ。慣れているからこそ、自分の無理に気付いていないだけかもしれない」
 思いがけない言葉に、私は少し言葉を失う。
「……なるほど。そうかもしれませんわね」
「ふ……。他人事のように」
 セルジュ様は呆れたように小さく笑うと、すぐに真剣な表情に戻り、言い聞かせるように再び口を開く。
「気付かぬうちに限度を超えるのは、慣れている者の方だ。休める時は、無理せずしっかり休んでくれ」
 その言葉に、私は思わず言い返した。
「……あの、いえ。それはセルジュ様の方こそなのですが……」
「俺は」
 言いかけて、セルジュ様はわずかに言葉を切った。
「……そうだな。少し前まで倒れていたのだ。俺が言っても説得力はないな」
 淡々とした言い方に、思わずくすりと笑いが漏れる。
「ええ。全くございません」
「ひどいな」
「事実ですもの」
 そう返すと、私たちは束の間顔を見合わせ、そして同時に噴き出した。
(……あれ。こんな風にセルジュ様と笑い合うのも、初めてだな……)
 二人で馬車に乗り、ともに街を視察し、慰問に行き。
 そして今、帰り道の途中で丸太のベンチに並んで座り、くすくすと笑い合っている。
 ふと、初めてオルセリエ王宮の謁見の間でセルジュ様と会った時のことを思い出す。
 疲れ切った気怠げな様子で、自分の方へと歩み寄る私のことを、冷めた眼差しで見つめていたセルジュ様。
 あの頃に比べたら、私たちの距離は確実に縮まっている。
(この方とこうして肩を並べて座り、楽しくお喋りできる日が来るなんて……)
 何だかとても温かい気持ちになり感慨に耽っていると、後続の馬車が到着し、エミナとロゼルが降りてくるのが見えた。
 二人は周囲の様子を窺いながら、こちらへ歩み寄ろうとしている。
 同じく後続の馬車から降りたセルジュ様の侍従たちは、馬車の脇で荷物の確認を行い、うち一人は騎士と言葉を交わしはじめた。
 広場には人の出入りも多く、警戒のために距離を取った騎士たちの視線は、自然と四方へと散っている。
 その時、私とセルジュ様の一番近くで辺りを見張っていた騎士が、近くの民たちの動きに気を取られ、わずかに背を向けた。
 人の流れも一瞬だけ緩み、私たちの前に、ぽっかりと小さな空白が生まれる。
 その隙間を縫うように、一人の女性が前へと出てきていた。
 何気なくそちらに視線を向けた私は、その存在を認識した。
 女性の血走った目と引きつった口元を見た瞬間、私の脳裏に警鐘が鳴る。
 その時だった。彼女が地を這うような、低く震えた声を発した。
「──何が新しい王だ。ふざけるな……! あの人を返して……!!」
 途中から甲高い叫びとなったその声とともに、彼女は私たちを、いや、セルジュ様を目がけて走り寄ってきた。
 その手に光るものが握られていることに気付いた瞬間、考えるより先に体が動いた。
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