【完結済】すべて失った廃妃のはずが、隣国で幸せになりました ~ 追放先で加護の力が復活し、新王妃として大歓迎されています ~
34.(sideセルジュ)
王宮に戻ったのは夜だった。
今夜はそれぞれの私室で食事をとって休もうということになり、アリスティーヌと別れた後、俺は自分の部屋に戻った。
ソファに体を投げ出すようにして座り、深く息をつく。そして目を閉じ、今日の出来事を脳内で反芻した。
それなりに増えはじめた、人の往来。
だが、民たちの間にいまだ強く残る、不安と警戒心。
街の様子を見、また各施設を回り、そのことを痛感した。
広場での事件も──。
目の前のテーブルに置かれたグラスを手に取り、冷えた水を喉に流す。
喉から胸、腹にまで冷たい感覚が広がり、俺はもう一度ゆっくりと息をついた。
いまだ体調が万全ではないことを痛感する。このままソファに横になり眠ってしまいたいという欲求にかられるほど、体は疲れ果てていた。
奥の文机に積まれた書類の束に視線を送り、もうひと仕事せねばと自分を戒める。
「……」
帰り着くまで馬車の中で何度も思い出していたあの女の顔が、また脳裏をよぎる。
絶望と怒り、己の抱える苦しみの全てを必死で訴えていた、あの目。
彼女は体中に滾る憎しみを、俺にぶつけていた。
目の前に現れた国王相手に、そうするしかなかったのだろう。そうでもしないと耐えられないほどの悲しみを、彼女は背負っているのだ。
胸の奥に、また鈍い痛みが走る。
父王が始めた戦の負債を引き受けるのは、今この国を治めている俺だ。
民たちから悪感情の全てを向けられることは織り込み済みで、王座に就いたはずだった。
けれど、あの場で実際に向けられた痛みは、覚悟していても重かった。
思い返していると、俺のそばに来た侍従が静かに尋ねる。
「陛下、お食事をご準備してもよろしいでしょうか」
「……ああ。軽いもので頼む」
「承知いたしました」
侍従が下がると、ふと、切羽詰まったアリスティーヌの声が耳に蘇った。
『セルジュ様っ……!!』
──あの場で一人の女がこちらに向かってきたことは、視界の端に捉えた瞬間に気付いた。そしてその俺よりも早く、そばにいた騎士が反応し動いたことも分かっていた。
一瞬のことだったが、俺は落ち着いていた。近衛騎士たちの実力は分かっていたからだ。
だが、俺や騎士の即断になど気付かなかったであろうアリスティーヌは、俺に抱きついてきたのだ。
なぜだか突然立ち上がり、まるで俺を自分の体で覆うように。
視界が隠れ、一瞬頭が真っ白になった。怯えているのかと思ったが、それならこんな抱きつき方ではなく、俺の腕の中に隠れようとするだろう。
顔を覆う布越しの柔らかな感触と、野花のような、嗅ぎ慣れぬ優しい香り。そして、頭の奥がジンと痺れるような温かさ。
それらを感じると同時に思い至った事実が、俺を混乱させた。
(……この俺を、守ろうとしている……?)
アリスティーヌは咄嗟にその身を盾にし、俺を守ろうとこんな行動に出たのだ。
それを悟った瞬間、経験したことのない何かが体の中を駆け巡り、一気に体温が上がった。
熱でも出たのかと思うほどの体の火照りと、激しくなる鼓動に動揺し、俺は一人狼狽し続けた。
いかん。落ち着け。冷静になれ。ともかく状況を把握し、速やかに対応しなければ。
ひとまずはアリスティーヌの腕から逃れねばと、俺は自分の中に渦巻くあらゆる感情を必死で制し、わざとらしい咳払いをしたのだった。
『コホン。ア……、アリスティーヌ』
みっともないほど上擦った声で呼びかけると、数秒の後、アリスティーヌが俺から飛び退いた。
『しっ……! 失礼いたしました! わ、私ったら……!』
彼女の声も、上擦っていた。可愛い。咄嗟にそう思ってしまい顔が上げられず、俺は目を逸らしたまま訳の分からぬ言葉をもごもごと口にし、ごまかしたのだった。
昼食をとってから随分経っているにもかかわらず、食欲はあまりなかった。
疲労のためでも、襲撃を受けたショックのためでもない。
今日一日そばで見たアリスティーヌの様々な表情が、俺の頭から離れないのだ。
行きの馬車の中で見せた、いつもよりわずかに高揚しているような笑顔。
行く先々で街の様子を観察する、真剣な眼差し。
慰問先の子どもたちが彼女に駆け寄ってきた瞬間の、満面の笑み。
施設の中を歩きながら、時折俺の体を気遣い言葉をかけてくれる時の、窺うような上目遣い。
これまで知らなかった彼女の表情を見るたび、自分でも戸惑うほど急速に彼女に惹かれていった。
そんな俺に、あの広場でのアリスティーヌの振る舞いが、とどめを刺したのだ。
「……はぁ。参ったな……」
ため息とともに、思わずそんな言葉が漏れる。
恩着せがましく押し付けられた、隣国の元妃。その存在が、当初は疎ましくさえあったはずなのに。
大臣らからは、加護の力とやらが本当にあるのかどうか疑わしい、いまだ我が国には何の影響も見られないではないかと、不満の声も上がりはじめた。
だが、それが何だというのか。
特別な力などあろうがなかろうが、アリスティーヌが王妃として隣にいてくれることが、俺はこんなにも心強いのだ。
彼女の有能さ、献身的な働き、そしてこの王国と民たちを思ってくれる気持ちは、もう疑いようがない。
そのうえ、この俺のことまであんなに──。
(……もう惚れずにいられる理由がないじゃないか……)
はっきりと自覚した途端、彼女への愛おしさで息が詰まる。
諦めるわけにはいかない。たとえ思うように進まずとも。
アリスティーヌの働きを、無駄にはしたくない。
彼女と二人でこの王国を再建し、豊かに暮らす民たちの幸せな姿を、俺は彼女と並んで見届けたいのだ。
そう思うと、疲れ果てていたはずの体に、力が戻ってくるような気がした。
「陛下、湯浴みの準備はいかがいたしましょう」
食事を止め立ち上がった俺に、侍従が声をかけてくる。
「まだいい。先にもうひと仕事する」
そう答え、俺は書類が積まれた文机の前に向かった。
今夜はそれぞれの私室で食事をとって休もうということになり、アリスティーヌと別れた後、俺は自分の部屋に戻った。
ソファに体を投げ出すようにして座り、深く息をつく。そして目を閉じ、今日の出来事を脳内で反芻した。
それなりに増えはじめた、人の往来。
だが、民たちの間にいまだ強く残る、不安と警戒心。
街の様子を見、また各施設を回り、そのことを痛感した。
広場での事件も──。
目の前のテーブルに置かれたグラスを手に取り、冷えた水を喉に流す。
喉から胸、腹にまで冷たい感覚が広がり、俺はもう一度ゆっくりと息をついた。
いまだ体調が万全ではないことを痛感する。このままソファに横になり眠ってしまいたいという欲求にかられるほど、体は疲れ果てていた。
奥の文机に積まれた書類の束に視線を送り、もうひと仕事せねばと自分を戒める。
「……」
帰り着くまで馬車の中で何度も思い出していたあの女の顔が、また脳裏をよぎる。
絶望と怒り、己の抱える苦しみの全てを必死で訴えていた、あの目。
彼女は体中に滾る憎しみを、俺にぶつけていた。
目の前に現れた国王相手に、そうするしかなかったのだろう。そうでもしないと耐えられないほどの悲しみを、彼女は背負っているのだ。
胸の奥に、また鈍い痛みが走る。
父王が始めた戦の負債を引き受けるのは、今この国を治めている俺だ。
民たちから悪感情の全てを向けられることは織り込み済みで、王座に就いたはずだった。
けれど、あの場で実際に向けられた痛みは、覚悟していても重かった。
思い返していると、俺のそばに来た侍従が静かに尋ねる。
「陛下、お食事をご準備してもよろしいでしょうか」
「……ああ。軽いもので頼む」
「承知いたしました」
侍従が下がると、ふと、切羽詰まったアリスティーヌの声が耳に蘇った。
『セルジュ様っ……!!』
──あの場で一人の女がこちらに向かってきたことは、視界の端に捉えた瞬間に気付いた。そしてその俺よりも早く、そばにいた騎士が反応し動いたことも分かっていた。
一瞬のことだったが、俺は落ち着いていた。近衛騎士たちの実力は分かっていたからだ。
だが、俺や騎士の即断になど気付かなかったであろうアリスティーヌは、俺に抱きついてきたのだ。
なぜだか突然立ち上がり、まるで俺を自分の体で覆うように。
視界が隠れ、一瞬頭が真っ白になった。怯えているのかと思ったが、それならこんな抱きつき方ではなく、俺の腕の中に隠れようとするだろう。
顔を覆う布越しの柔らかな感触と、野花のような、嗅ぎ慣れぬ優しい香り。そして、頭の奥がジンと痺れるような温かさ。
それらを感じると同時に思い至った事実が、俺を混乱させた。
(……この俺を、守ろうとしている……?)
アリスティーヌは咄嗟にその身を盾にし、俺を守ろうとこんな行動に出たのだ。
それを悟った瞬間、経験したことのない何かが体の中を駆け巡り、一気に体温が上がった。
熱でも出たのかと思うほどの体の火照りと、激しくなる鼓動に動揺し、俺は一人狼狽し続けた。
いかん。落ち着け。冷静になれ。ともかく状況を把握し、速やかに対応しなければ。
ひとまずはアリスティーヌの腕から逃れねばと、俺は自分の中に渦巻くあらゆる感情を必死で制し、わざとらしい咳払いをしたのだった。
『コホン。ア……、アリスティーヌ』
みっともないほど上擦った声で呼びかけると、数秒の後、アリスティーヌが俺から飛び退いた。
『しっ……! 失礼いたしました! わ、私ったら……!』
彼女の声も、上擦っていた。可愛い。咄嗟にそう思ってしまい顔が上げられず、俺は目を逸らしたまま訳の分からぬ言葉をもごもごと口にし、ごまかしたのだった。
昼食をとってから随分経っているにもかかわらず、食欲はあまりなかった。
疲労のためでも、襲撃を受けたショックのためでもない。
今日一日そばで見たアリスティーヌの様々な表情が、俺の頭から離れないのだ。
行きの馬車の中で見せた、いつもよりわずかに高揚しているような笑顔。
行く先々で街の様子を観察する、真剣な眼差し。
慰問先の子どもたちが彼女に駆け寄ってきた瞬間の、満面の笑み。
施設の中を歩きながら、時折俺の体を気遣い言葉をかけてくれる時の、窺うような上目遣い。
これまで知らなかった彼女の表情を見るたび、自分でも戸惑うほど急速に彼女に惹かれていった。
そんな俺に、あの広場でのアリスティーヌの振る舞いが、とどめを刺したのだ。
「……はぁ。参ったな……」
ため息とともに、思わずそんな言葉が漏れる。
恩着せがましく押し付けられた、隣国の元妃。その存在が、当初は疎ましくさえあったはずなのに。
大臣らからは、加護の力とやらが本当にあるのかどうか疑わしい、いまだ我が国には何の影響も見られないではないかと、不満の声も上がりはじめた。
だが、それが何だというのか。
特別な力などあろうがなかろうが、アリスティーヌが王妃として隣にいてくれることが、俺はこんなにも心強いのだ。
彼女の有能さ、献身的な働き、そしてこの王国と民たちを思ってくれる気持ちは、もう疑いようがない。
そのうえ、この俺のことまであんなに──。
(……もう惚れずにいられる理由がないじゃないか……)
はっきりと自覚した途端、彼女への愛おしさで息が詰まる。
諦めるわけにはいかない。たとえ思うように進まずとも。
アリスティーヌの働きを、無駄にはしたくない。
彼女と二人でこの王国を再建し、豊かに暮らす民たちの幸せな姿を、俺は彼女と並んで見届けたいのだ。
そう思うと、疲れ果てていたはずの体に、力が戻ってくるような気がした。
「陛下、湯浴みの準備はいかがいたしましょう」
食事を止め立ち上がった俺に、侍従が声をかけてくる。
「まだいい。先にもうひと仕事する」
そう答え、俺は書類が積まれた文机の前に向かった。