【完結済】すべて失った廃妃のはずが、隣国で幸せになりました ~ 追放先で加護の力が復活し、新王妃として大歓迎されています ~

4.

 その日、私は王命に従い王宮へと向かった。
 私的な謁見用の応接間に通され、そこでしばらく待っていると、国王陛下ご夫妻が姿を現した。緊張しながらも、私は丁寧に挨拶をする。国王陛下は小さく頷くと、私に座るよう指示をした。ローテーブルを挟み、国王陛下ご夫妻と向かい合う形で、私はソファに腰を下ろす。陛下はゆっくりと口を開き、その事実を私に告げた。
「結論から言おう。そなたを、ディオネルの婚約者と定めることに決めた」
「……っ」
 心臓が大きく音を立て、私は思わず息を呑んだ。
「本来であれば、王太子妃の座に最も近かったのは、筆頭公爵家の娘であるロジーナ嬢であった。条件だけを見れば、彼女は申し分ない。だが、そなたの加護の力はロジーナ嬢とは比較にならぬほど大きく花開いた。それはひとえに、そなた自身の努力と献身、そして民を思う慈悲深い心によるもの。この王国と、王太子であるディオネルを支えることができるのは、そなたであると期待している」
 座しているだけで存在感と威厳を感じさせる国王陛下の、額に刻まれた皺と、低くしゃがれた声。
 貫禄に満ちたその言葉に緊張しながらも、私は深く礼をした。
「身に余るお言葉を賜り、感謝申し上げます。ディオネル王太子殿下をお支えし、このエヴァンシア王国の安寧と民の暮らしを守り導く王太子妃となるべく、日々研鑽を重ねてまいります」
 かすかに声が震えた。国王陛下の隣に座していた王妃陛下が、私に顔を上げるよう言い優しく微笑んだ。
「王太子妃とは、国を背負う覚悟がある者が納まるべき地位です。あなたにはその素質があると、陛下も私も確信しているわ。大丈夫よ、アリスティーヌ嬢。自分の力を信じて。ディオネルを頼みますよ」
 気品と包容力の漂う王妃陛下は、国王陛下よりいくつか年下だったと記憶している。お二人はすでに、五十代半ば。現在十八歳のディオネル殿下の上に三人の王女を産んだ王妃陛下の頭には、金髪に混じって多くの白髪があった。
 やがて応接室に、ディオネル殿下が姿を現した。
 十八歳の殿下は、目が眩むほどの美青年に成長していた。長く伸ばした銀色の髪は、後ろで緩やかに結ばれている。翡翠色の切れ長の目は、この部屋に入ってきた瞬間に私をとらえた。
「……」
 殿下は無言のまま私を一瞥し、視線を逸らした。ほんの束の間のことだったけれど、その目に宿っていた強い拒絶の色を、私は見逃さなかった。胸に鋭い痛みが走る。
 国王陛下はディオネル殿下に、私の隣に座るよう声をかけた。殿下は私から距離をとるかのように、端の方に腰を下ろした。
「ディオネル、以前から話していた通り、このベルロワ侯爵家のアリスティーヌ嬢を、そなたの婚約者と決定した」
 陛下がそう口にしても、ディオネル殿下は何も反応を返さない。視線はご自身の膝に置いた手の辺りにある。
「これまで何度も伝えてきたが、王太子妃としての素質は、全ての面においてロジーナ嬢よりもアリスティーヌ嬢の方が上だ。身に付けてきた知識、民を思う献身の心……」
 すると突然、ディオネル殿下が顔を上げ、国王陛下の言葉を遮った。
「全ての面においてではございません。我が国の筆頭公爵家は、グリダ公爵家です。家柄は重要視なさらないと?」
 頑なな意志の滲むその声色に、私は思わず呼吸を止めた。私との婚約に対するディオネル殿下の不満は、もはや明白だった。そして本人も、それを私に隠す気はないらしい。
 一旦口を閉ざした国王陛下が、眉間に深く皺を刻んだ。そして先ほどよりも低い声を発する。
「……ディオネル。いい加減にしろ。そなたには王太子としての自覚が欠落しておる。これまで再三話してきたはずだ。たゆみない努力によって身に付けた高い知性と、民たちへの献身の心。その結果として寄せられる、民たちからの信頼。それらが初めて本人の持つ加護の力を開花させる。そして今、加護の力を開花させているのは、ロジーナ嬢ではなく、ここにいるアリスティーヌ嬢だ。神殿での度重なる測定により、それは結果として明確に出ている。受け入れろ、ディオネル。百年に一度とも伝えられる稀有な力を開花させたアリスティーヌ嬢を妃とするのは、我がエヴァンシア王国の王太子であるそなたの使命だ」
 ディオネル殿下を説得する国王陛下の言葉を聞いているうちに、どうしようもない虚しさが込み上げる。この十六年間ひたすらに続けてきた努力を、真っ向から否定された気分だ。「ロジーナと結婚したいのだろうが、我慢してアリスティーヌと結婚しろ」と、国王陛下は私の目の前でディオネル殿下にそう言っているのだ。
 殿下に対する怒りにも近い不快感が、お腹の底からふつふつと湧いてくる。
(私だって、決してあなたに恋情を抱いているわけではないのですが。幼い頃からあれほど露骨にロジーナばかりを見つめ、私のことなど見向きもしなかった殿方に、好意が育つはずがないでしょう。こっちだって責務を果たそうとしているだけなのよ。人生をかけた責務をね)
 一介の貴族令嬢の私でさえ、この運命を受け入れる覚悟を決めたというのに、この方は。
 あなた王族でしょう?と言ってやりたくなる。けれど私はその感情を表に出すことなく、姿勢を正したまま座っていた。
 国王陛下の隣に座っている王妃陛下は、困ったように、そしてとても悲しそうにディオネル殿下のことを見つめている。私と目が合うと、その眉尻はますます下がった。申し訳なく思っていらっしゃるのがお顔に出ている。
 しばらくの沈黙の後、ディオネル殿下が再び口を開いた。
「……僕は受け入れられません。伝承など、馬鹿げている。ロジーナにだって、知性と慈悲深さが備わっています。彼女はとても繊細だ。筆頭公爵家の娘として、そしてこの僕の婚約者候補として、多方面から寄せられる期待に重圧を感じているのです。それが力の開花を遅らせてしまっているのでしょう。王太子妃にさえなれば、ロジーナの力は必ず花開きます」
「そんな曖昧な期待に賭けて、全てが備わっている令嬢を選ばぬというつもりか!」
(……っ!)
 怒りをあらわにした国王陛下の、これまでに一度も聞いたことのない荒々しい言葉。
 私だけでなく、王妃陛下もディオネル殿下も、そしてこの部屋の壁際に控えている侍従や衛兵たちまでもが、一様に凍り付いた。
 その直後だった。
 突如大きな咳の音がしたかと思うと、国王陛下が目の前のローテーブルに片手をついた。
 次の瞬間、陛下は苦しげに胸元を押さえると、激しく咳き込みはじめたのだ。
「っ! へ、陛下……」
 驚いた私はつい声を漏らし、中途半端に腰を上げる。その時、王妃陛下が国王陛下を支えるよう背中に手を回した。
「陛下……! どうぞお気を確かに! ……すぐに侍医を」
「はっ!」
 王妃陛下が顔を上げ、声をかけるやいなや、国王陛下のそばにいた侍従の一人が部屋の外へと駆け出した。
 右往左往する者たちで、室内は一気に慌ただしくなる。私もディオネル殿下も、ただ息を詰めて国王陛下の様子を見守るしかなかった。
 少しすると、ようやく国王陛下の激しい咳が治まってきた。駆け付けた侍医が、陛下にすぐさま薬を飲ませる。陛下はその後、大きく肩を上下させ、何度も深い呼吸を繰り返した。
(……びっくりした……。陛下、まさか重大な病を抱えていらっしゃる……?)
 王妃陛下や侍従の手慣れた対応を目にし、私はそう感じた。
 しばらくして、何度か水を口にした陛下が顔を上げた。
「すまなかった。驚かせてしまったな」
 こちらを見てそんなことを言う陛下に、私は「いえ……」と、曖昧な言葉を返すしかなかった。陛下は充血した目で、ディオネル殿下を睨めつけた。
「……分かっておろう、ディオネル。私はいつまでも玉座にはおられぬ。私が倒れれば、国王の座に就くのはそなたなのだぞ。この王国の行く末を私情一つで左右することは、王族として断じて許されないのだ」
(陛下……。やはり病を患っておられるのね……)
 公にはされていないけれど、この口ぶりからして間違いないだろう。
 そっと様子を窺うと、ディオネル殿下は強張った表情で唇を引き結び、下を向いている。
 その目は、ご自分の膝の上に置かれた小刻みに震える拳を見つめていた。

 こうして私とディオネル殿下は、正式に婚約する運びとなった。
 婚約締結の書面を交わす日、両親とともに王宮へ出向いた私は、ディオネル殿下に丁寧に挨拶をした。
「殿下、至らぬ点もあるかと存じますが、どうぞよろしくお願いいたします。殿下をお支えできるよう、精一杯務めてまいります」
「……」
 ディオネル殿下は私の挨拶を露骨に無視し、書面へのサインだけを淡々と済ませる。そして入ってきたばかりの応接間から、さっさと出ていってしまった。
 その後ろ姿を見送った私と両親は、あっけにとられたのだった。
(いくら何でも……あまりにも幼稚すぎない?)
 これにはさすがに、怒りが湧いた。
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