【完結済】すべて失った廃妃のはずが、隣国で幸せになりました ~ 追放先で加護の力が復活し、新王妃として大歓迎されています ~

43.(sideロジーナ)

「……はぁ。何だっていうのよ、全く……」
 私室に戻ってソファに身を投げだすと、疲れと怒りが押し寄せてくる。
 臣下のくせに、皆して偉そうに。あいつらの最近の増長した態度は許しがたいわ。
 そう思う反面、彼らの批判的な目と、このエヴァンシアの現状に、言いようのない不安も押し寄せてくる。
(……くだらないわ。ディオネル様だって以前言っていたじゃないの。長く国が続けば、多少の浮き沈みはあると。今までが異常だったのよ。大陸各地で紛争や災害が起こる中で、この国だけが何の被害もなく、豊かに暮らしてきた。たまにはこんな時期もあるわ)
 頭の中で意識的にそう呟き、目の前のローテーブルから果実水の入ったグラスを取る。
 その瞬間、真紅の花が視界に飛び込んできた。
「……」
 テーブルの上の花瓶は、以前よりもかなり小ぶりなものに変わっていた。
 私のお気に入りだったルゼナリアが、ほとんど咲かなくなってしまっているのだ。季節を問わず一年中咲き誇っていた、華やかな国花。毎朝庭園で見繕った最も美しい花々だけを厳選して飾らせていたけれど、大きな花瓶を満たすだけの量は、もうない。
 枯れたルゼナリアの花は、それは禍々しく、醜いものだった。
 ぐったりと首を折り、どす黒く変色したそれらは、腐った果物のようなツンとした匂いを発する。
 いつの間にか、王国中にその匂いが漂うようになっていた。
 花までもが、私たちの治世に不満を訴えているかのようだ。
 見ているうちに不快な気持ちになり、私は侍女に乱暴な口調で命じた。
「この花瓶、下げてちょうだい。目障りだわ」
「承知いたしました、ロジーナ様」
 目が合った侍女が、すぐさま歩み寄ってくる。態度が気に入らなかったり、小さな粗相をしたりした侍女たちをこれまで何人も処分してきたから、いまや皆必死になって私の顔色を窺う。
 望む地位は手に入れた。
 ディオネル様の寵愛も。
 そして、思うがままに贅沢を享受できる日々も。
 私はただ、この暮らしを続け、自分らしい人生を謳歌したいだけなのに。
「……今後はもうこの花を飾るのは止めて。別の花にしなさい」
「かしこまりました、ロジーナ様」
 従順に頭を下げる侍女たちの姿から目を逸らし、果実水を喉に流し込む。
(早く景気が上向かないかしら。何かあるたびに私のせいみたいに会議を開かれたのでは、たまらないわ)
 そんなことを考え、私はその後もこれまでと同じように日々を過ごした。
 謁見や執務をこなし、茶会や夜会を楽しみ。
 けれど、私たちにはこの後、想像もしなかった破滅が待っていたのだ。

 寄進の徴収を始めてから、事態は一気に悪化した。
「……市井に物がない? どういう意味だ……?」
 額に汗を浮かべ報告する宰相の顔を、私とディオネル様は口を開けたまま凝視した。
 王都の大通りに並ぶ商店の棚からは、装飾品や衣服のみならず、食料や日用品のほとんどが姿を消したというのだ。
 代わりに並びだしたのは、王都では見かけたことのないような、粗末な品ばかり。それさえも値は日を追うごとに跳ね上がっているというではないか。
 街の異変は、これだけでは終わらなかった。
 飢えに耐えかねた者たちによる盗みや暴動が激化しはじめたのだ。路地では常に争いが起き、所持品を奪われる者が続出しているという。
 さらに数日後、恐ろしい報告が上がった。
「……民たちが、国を去っております」
 今や日に何度も、重臣らが私室を訪れ、震える声で報告を行うようになっていた。
「徴税と寄進に耐えかねているのでしょう。多くの者が家族ごと土地を捨て、他国へと流れております。このままでは耕す者がいなくなり、農地は完全に死にますぞ……!」
 その言葉通り、各地の畑は見る間に荒れていった。国中の作物が枯れ、土はひび割れた。
 人の手を失った土地は、あっという間に死んでいく。
 そして、ついに。
「……国外からの商隊が、完全に来なくなりました」
 その報告が上がった時、私とディオネル様は凍りついた。
 外からの物資まで途絶えたのだ。
 それはつまり、このエヴァンシア王国が完全に孤立したということに他ならない。
 王都には異様な静けさが広がっている。時折聞こえてくるのは、遠くで響く怒号だけ。
 三百年続いた安寧の瓦解は、一瞬のことだった。
 
 私とディオネル様は慌てて離宮の王太后を訪ね、助力を仰いだ。
 けれど彼女は、悲しげな顔をするばかりだった。
「私とて、もちろん、この離宮にて日々祈り続けておりました。けれど、すでに弱まっている私の加護の力では、滅びゆくこのエヴァンシアの破滅を止めることはできなかったわ」
 王太后は私を見据え、言葉を続ける。
「ロジーナさん、あなたの持つ変革の力は、本来瓦解しかかった国を再生させる強力なもの。国や民を真摯に思い、育てれば、その力はこのエヴァンシアの豊かさを守り続けてくれたでしょう。けれど……、もしもあなたの心が、自分たちのためだけに向けられてきたのなら」
 王太后は言葉を区切り、私と、そしてディオネル様のことを、ゆっくりと見定めた。
「正しい行き場を失ったその力が、歪んだ形で現れたとしても不思議ではないわね。強大な力の種が、芽吹くことのないまま逆の変革を起こしていたとしても」
「な……っ!」
 その言葉にカッとなり、私は思わず彼女に抗議した。
「い、言いがかりは止めていただきたいわ! 私は日々真剣に祈りを捧げ、常に民たちの幸せを願い続けてまいりましたわ。それなのに……逆の変革、ですって!? そんな話聞いたこともないわ! ね!? ディオネル様」
 当然私の援護をしてくれると思い、彼の顔を見上げた。けれど。
(……っ!?)
 ディオネル様は、汚れた野良犬を見るような冷たい視線を、この私に向けていた。
 ──ディオネル様の心が、私から離れている……?
 子どもの頃からただの一度も、こんな目で見られたことはなかった。
 まずい。まずいわ。このままじゃまずい。
 王宮の私室に戻った私は、初めて必死に祈った。
(神よ、お願いです……! どうかこのエヴァンシアを、もとの豊かな国に戻してください。これから頑張りますから。真面目に祈りを捧げ、下々の者たちに優しい気持ちを持ちます。だからお願い……! このままじゃ私、ディオネル様に見限られてしまう。廃妃にされてしまうわ……!)
 胸元の王妃のペンダントを握りしめ、私は来る日も来る日も必死で祈った。
 侍女たちの冷たい視線や、ぞんざいになった態度に文句を言う余裕さえなく、ただひたすらに祈り続けた。
(お願いします。今すぐ私の力を開花させて……! ディオネル様に捨てられずに済むように。また平穏で優雅な生活に戻れるように。この美しさと地位に相応しい、強大な力を早くください……! そうしたら私、もっともっと頑張りますから……!!)
 けれど、私の懸命な祈りも虚しく、王国に再生の兆しが見えることはなかった。それどころか、各地で起こる暴動の規模は大きくなるばかり。
 大臣たちは日々私に詰め寄り、ディオネル様は顔を合わせてくれることさえなくなった。
 やがて民たちは、驚くべき行動に出た。
 ある日の午後のことだった。
 ふと気付くと、窓の外で人の声が重なり合っている。いつも遠くで聞こえている怒号とは違った、低く濁った、大きな声。
 まるで、すぐそこに大勢の人間がいるような……。
(……何?)
 執務室にいた私は気になって立ち上がり、窓辺へと歩み寄った。
 その瞬間。
「──きゃあっ!!」
 鋭く乾いた音とともに、窓硝子が割れた。壁際の侍女たちも叫び声を上げ、次々に耳を塞いでしゃがみ込む。
(な、何なの一体……!)
 息を呑んだ私は、おそるおそる窓の端に寄り、外を見下ろした。
「な……、何よこれ……!」
 そこには、群衆の姿があった。
 王宮の正門前に、びっしりと人が押し寄せているのだ。
「寄進なんて払えるか! 食料を寄越せ!!」
「悪逆無道な国王夫妻め! 俺たちを殺す気か!!」
「出てこい!! 自分たちばかり楽な生活をしやがって……!!」
 彼らの怒号は大波のように、この王宮へと押し寄せる。
「ひぃ……っ!!」
 凄まじい怒りの渦に、恐怖で喉が鳴った。
 衛兵たちが、彼らを必死に押し返そうとしている。けれど、次から次へと石や棒が投げ込まれ、門は激しく打ち鳴らされていた。
 地獄のようなその光景を、私は歯をガチガチと鳴らしながら呆然と見つめた。
 
 その日の暴動は、衛兵たちがかろうじて抑えきったようだった。
 王宮に不安と混乱、焦燥が渦巻く中、その翌日緊急重臣会議が開かれた。
 会議室の空気は、もはや制御の効かないものへと変わっていた。
「どうなさるおつもりですか、両陛下!」
「このままではもう、民らを抑えておくことはできません!」
「全ては陛下の無謀な施策と、妃陛下の怠慢の結果ですぞ!」
 大臣らから次々と投げつけられる、無礼な声。
 あんなに私たちの機嫌を窺い続けていた宰相でさえ、目を吊(つ)り上げて偉そうに抗議してくる。
 耳障りな怒声に、苛立ちが募った。
(何よ、誰も彼も偉そうに……!)
 隣に座るディオネル様は、私から顔を背けるように反対側を向いているので、どんな表情をしているのか分からない。大臣らの詰問を制するでもなく、ただ黙っているだけだ。
 すると、外務大臣である私の父がぽつりと言った。
「……オルセリエ王国」
「……何ですかな? グリダ公」
 一人の大臣が問うと、父はディオネル様に顔を向けた。
「現在、この大陸で最も安定した国力を有しているのは、隣国オルセリエであるとの情報が入っております」
「……は?」
 思わずそう声が漏れた。
 大臣たちが静まり返る。
(……あの小国が?)
 前王が繰り返した戦のせいで疲弊しているはずの隣国が?
 一体、いつの間に……?
「かつての交戦国との和解は進み、近隣諸国との通商も急速に拡大し、食料や資源の供給も安定。治安も回復し、民の生活は著しく改善されているとのことです」
「なんと……!」
「そんな……いつの間に……」
 困惑する大臣たちの声が、会議室に響く。
 私だって、信じられない。あり得るはずがない。
 そう思う反面、脳内でその理由に辿り着き、喉の奥がひりつく。
(……アリスティーヌだわ……)
 あいつの力だ。
 あの女の持つ変革の力が、オルセリエに作用したんだわ。
 アリスティーヌは、かの国でも民たちの信頼を集め、皆に愛され、力を開花させたんだわ……。
 膝に置いた両手でドレスを強く握りしめ、歯を食いしばる。悔しい。何でそんなに上手くいくわけ!?
 あの女が向こうに嫁いで、まだ二年も経っていないのに……!! 何であいつばっかり……!!
 戦後の混乱を極める貧しい小国で、さぞ惨めに暮らしているのだろうと思っていた。
 だけどアリスティーヌは、自分の地位を確立しているんだわ。
 嫉妬と怒り、そして激しい苛立ちを抑えるために、私は一度大きく息をついた。
 気を取り直し、大臣たちの顔を見渡す。すると。
(……な、何よ……!!)
 皆が一斉に、私のことを睨みつけているではないか。責め立てるように。非難するように。
 まるで、『アリスティーヌはこんなに立派にやり遂げているのに、お前はどうだ』と言わんばかりだ。
 皆気付いている。小国を立て直したのは、アリスティーヌの持つ変革の力にほかならないと。
 そして、私と比べている。
 私はごくりと喉を鳴らし、必死で頭を回転させた。
 とにかくこの場を収め、乗り切らなくては。
 胸の内の動揺をひた隠し、私は隣に座しているディオネル様に声をかける。
「……支援を求めるべきかもしれませんわね、ディオネル様。心外ではございますが……。我が国が持ち直すまでは、近隣国の協力を仰がねば。オルセリエならば、前王妃も嫁いでいることですし……」
 すると、私から露骨に目を逸らしていたディオネル様がゆっくりとこちらに顔を向け、冷たく言い放った。
「黙れ、ロジーナ。貴様の意見など聞いていない」
「な……っ、ディ、ディオネル様……っ!?」
 私を睨めつけるその翡翠色の目には、温度がなかった。
 氷のように冷ややかな視線に鳥肌が立ち、言葉を失う。
 まるで愛玩動物のように私を甘やかし、この美しさを愛で続けてくれたディオネル様の姿は、もはやその影さえもなかった。
 彼は冷めきった表情で私からすっと視線を逸らすと、全員に向かって宣言した。
「……アリスティーヌを呼び戻す。やはり我が国の王妃は、アリスティーヌだけだ」
(──っ!?)
 心臓が強く跳ね、全身から血の気が引いていく。
 私は反射的に声を上げた。
「お待ちくださいませディオネル様……!! た、たしかに、現状は看過できるものではございませんが、だからといってそのご判断は、あまりにも拙速ではございませんか!?」
 私は思わず立ち上がり、彼に向かって必死に訴えた。
「彼女はすでに他国へ嫁いだ身。オルセリエ国王も黙ってはいないでしょうし、今さら呼び戻すなど、王国の体面にも関わりますわ! 民たちもなおさら混乱します。今必要なのは、この体制を維持したまま、王家の威信を取り戻すこと……。そのためにこの私が、全力を尽くします。どうか、もう少しだけお時間を──」
「黙れと言ったはずだ」
「……っ!」
 感情を削ぎ落としたその低い声に、体が硬直する。
 ディオネル様は、再びゆっくりと私に視線を向ける。温度を失っていたその目は、今は怒りに燃えていた。
「体面だの威信だの、そんなものはもう地に落ちている。お前のせいでな。結果を出せぬ者がその地位に居座り続けることは、王国の多大なる損失にほかならない」
 そう言い放つと、ディオネル様はついに、死刑宣告にも等しい言葉を口にした。
「アリスティーヌが戻れば、お前は廃妃だ。ロジーナ」
「そ、そんな……、ディオネル様!!」
 耳を疑い、私は金切り声を上げた。あり得ない。どうしてこんなことに。
 私はこの場にいる全員を見渡した。
 かつてディオネル様がアリスティーヌを廃妃とし、オルセリエ王国に嫁がせる案を伝えた時、大臣たちは狼狽え必死で反論してきたという。宰相なんて、アリスティーヌに王命を下したあの国事の謁見の間でも、真っ青な顔でディオネル様に盾突(たてつ)いていた。
 廃妃など、そう簡単に下していい決断ではない。それをこの人たちは、よく分かっているはずだ。きっと止めてくれる。
 けれど、大臣たちは皆、口を閉ざしたままだった。誰一人狼狽する様子も、ディオネル様に異を唱える様子もない。
(ど……、どうしてよ!? 誰か止めてよ!!)
 私は縋る思いで父の目を見つめる。だが目が合った父は、射殺すような視線で私を貫いた。そして低く冷徹な声で言ったのだ。
「全ては妃陛下の慢心が招いた結果でございます」
「っ!! お父様……!!」
 私は思わず、父に向かってそう呼びかけた。けれど父の表情は変わらない。
 大臣たちも、何も言わない。まるで私の廃妃をすんなりと受け入れているかのようだ。
 冷めきった皆の目。私を見捨てた父。
 私への愛を失ったディオネル様。
「……く……っ!!」
 ふつふつと込み上げる怒りが、またたく間に全身を駆け巡る。
 取り繕うことも忘れ、私はその怒りを全員へと向けた。
「……いい加減にしてよ。さっきから誰も彼も、私だけのせいみたいに……! それを言うなら、ディオネル様だって同罪でしょう!?」
 平然と座っている男を、私は真っ直ぐに指差した。
 ディオネル様はぎょっとした表情でこちらを見上げる。その情けない顔を見た途端、私の中にあったはずのこの男への愛情は、跡形もなく消え失せた。
「民の困窮ぶりを知っていながら、寄進を課すと決めたのは誰よ!! アリスティーヌを廃妃にして国外へ追い出したのも、私を妃に据えて甘やかしてきたのも、王家の体面を口実に際限なくお金を使い続けてきたのも、全部この人でしょう!!」
 叫びだしたら止まらなかった。ふざけないでよ。土壇場になって、この私に全ての責任を押し付け切り捨てて、しれっと自分だけ逃げようとするなんて。
 そんなこと、させるはずがないでしょう!?
「私を廃妃にするというのなら、この人だって同じように裁かれるべきだわ!!」
「…………」
 室内は静寂に包まれた。私の荒い呼吸音以外、何も聞こえない。
 誰一人として、言葉を発しない。
 重苦しい沈黙が満ちる。
 大臣たちは時折視線を絡め合い、そしてその後、無言のままディオネル様を見据えた。
 口にせずとも、皆の思いは同じなのだと悟った。
 ディオネル様自身も、きっと察したのだろう。
 誰もが彼の王政を終わらせたいと望んでいることを。
 額に汗を浮かべたディオネル様は、唇の端を小刻みに痙攣させながら、強張った顔で私をちらりと見上げ、そして大臣たちを見渡す。その後すぐに俯き、眉間に皺を寄せたり、息をついたり、空咳をしたりしている。
 無様だった。凍てついた心にひびが入る。
 栄華を極めたあの頃はもう二度と戻ってはこないのだと気付き、私はその場に頽れたのだった。
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