【完結済】すべて失った廃妃のはずが、隣国で幸せになりました ~ 追放先で加護の力が復活し、新王妃として大歓迎されています ~
6.
それからおよそ二年の時が経ち、私とディオネル殿下は結婚した。
この二年間、彼から私への個人的な接触は、ただの一度もなかった。
本来ならば、婚約者同士の定期的な茶会などがあってもいいはずだったが、殿下の方からの誘いは皆無だった。こちらから声をかけるのは憚られたけれど、少しずつでも話し合っておきたいことがいくつもあった。
王太子妃として私に求められる役割の範囲についてや、公の場における立ち位置や振る舞い、役割分担。それに、神殿との関係についての基本方針に、地方案件の扱いや、緊急時の連絡と判断経路……。数え上げればきりがない。
それらについてディオネル殿下がどのような考えをお持ちなのか、きちんと把握しておきたかった。
そのため私は、おそるおそる殿下に手紙を出してみた。けれど、【婚約者として、定期的な顔合わせの機会を設けることが望ましいと考えております。ご都合のよろしい日時をお教えいただければ幸いです】と記した幾度かの手紙に、殿下から返事が来ることはなかった。そのためこの二年間は、王妃陛下との謁見や、王太子妃教育を受けるためだけに王宮に通っていたのだった。
大聖堂での結婚式が終わり、王宮のバルコニーから、集まった民たちへの挨拶、その後大広間での盛大な祝宴と、定められた通りの一日が終わる。
感慨と呼べるものはなかった。目も眩むようなウェディングドレスをまとった時も、ディオネル殿下と誓いの言葉を交わした時も、国内外の重鎮たちから次々と賛辞を贈られた時も。
私は公務の一環として、それらの業務を淡々とこなした。だって、隣にいるディオネル殿下は一切私に話しかけてこないうえに、ただの一度も私と目を合わせようとさえしない。さらには、時折聞こえよがしなため息までつくのだ。
こちらはどんどん気が重くなるのを必死で耐えながら、『国民のため、ベルロワ侯爵領民のため、そしてベルロワ侯爵家のため』と心の中で唱え続けることで、気力を保つしかなかった。
そして、その夜。全てが終わり、王太子宮に用意された私室へと入った私は、王太子妃付きの侍女たちの手を借り、湯浴みや夜着への着替えを済ませた。
その後、私室から扉続きになっている夫婦の寝室へと向かい、そこでディオネル殿下の訪れを待つ。
ソファに腰掛けた私の目の前には、ローテーブルがあった。その上には、このエヴァンシア王国の国花であるルゼナリアの真紅の花が、美しい花瓶に品良く飾られていた。細い花弁が中心から放射状に伸び、幾重にも重なって円を描くように広がるその花は、王国のいたるところに咲き乱れており、幼い頃から見慣れたものだった。
優しい夜は、最初から期待していなかった。教えられてきた閨教育の内容を、気が進まないことを隠そうともしない殿下の手によって淡々と施される。そんな流れを想像していた。
けれど、長い時間待ち、深夜になってようやく寝室に現れたディオネル殿下から言われた言葉に、私はあ然とするほかなかった。
突如乱暴に扉を開け、ソファに腰掛ける私の近くまで歩み寄ってきた殿下は、数年ぶりに私に個人的な言葉をかけた。
「最初にはっきりと言っておく。僕は君に触れるつもりは一切ない。この心の伴わない結婚生活が続く限り、ずっとだ」
美しい翡翠色の目は、まるで汚らわしいものでも見るかのように、私を見下ろしていた。
私はみっともなく口を半開きにしたまま、まばたきもせずに殿下のその目を見つめ返した。
形の整った彼の唇は、さらに冷酷な言葉を紡ぐ。
「僕は幼い頃からずっと、一人の美しい女性のことを愛し抜いている。この世で最も気高く華やかで、麗しく、そしてとても可愛らしい人だ。地味で堅苦しいその辺の女の肌になど、指先一つ触れるのも気持ちが悪い」
「…………は?」
私の喉から、思わず低い声が漏れた。不躾で屈辱的なその言葉が脳内に浸透していくと同時に、どす黒い怒りがふつふつと湧き上がる。
我慢し続けてきたものが決壊しそうになり、私は小刻みに震えはじめた指先を、強く握った。
私の様子など気にも留めない殿下の口からは、私の尊厳を踏みにじる痛烈な言葉が続く。
「僕に何かを期待しているのなら、心底不愉快だ。父と母に取り入り、上手いこと僕の妃の座を得たからといって、僕の心まで手に入れたつもりになっているのなら大きな間違いだ。……努力? 賢さ? 伝承でもてはやされている、稀有な力の開花? ……はっ、くだらない。そんなものは、愛されない女が高貴な地位を得たさに縋るための盾だろう。だが、残念だったな。僕の心は微塵も揺らがない。言いたいことはそれだけだ。今後一切、この僕に近付こうとするな。用件は全て、側近や侍従たちを通して言ってもらおう」
信じがたいことに、ディオネル殿下はご自分の言いたいことだけを一方的に言い切ると、そのまま私に背を向けたのだ。そして躊躇なく、扉の方へと歩きはじめた。
かっとなった私は、思わず大きな声を出す。
「お待ちください、殿下!」
ディオネル殿下の肩が、ビクリと跳ねた。そして強張った表情でゆっくりと振り返る。何をそんなに怯えているのだろう。まさか、これまでずっと大人しくしていた私だから、何も言わず黙って見送るとでも思っていたのか。
私は静かに立ち上がると、ディオネル殿下のもとへと歩く。彼の表情がますます引きつった。
「……それではあなた様は、王家の世継ぎに関してどのようにお考えなのでございますか? 後継をもうけるのは、王太子であるあなた様の重要な役目の一つでございましょう。いかに互いが望まぬ閨とはいえ、それを拒むということは、王太子としての責務を放棄することと同義でございますよ」
溜め続けてきた不満をほんの少しだけ漏らしながら、私は殿下を非難した。殿下はまるで、自分より強い男の子から喧嘩をふっかけられた子どものような顔をする。けれどすぐに取り繕い、私を睨みつけてきた。
「今すぐ急いでどうにかする必要はない。君なんかに言われなくとも、世継ぎのことはしかるべき時に、僕がきちんと考える。……君のそういうところが本当に嫌いだ。この僕を理詰めで攻撃して閨を済ませ、自分の地位を盤石なものにしようとしているのだろう。可愛げの欠片もない。僕の想い人とは天と地ほども差があるな」
「自分の地位がどうとか、そんな問題ではございませんよ。あなた様が私を好きか嫌いかも、関係ございません」
(それを言うなら、私もあなたのことは嫌いですし)
最後の言葉は、さすがに口にはしなかった。
「私たちは、私情など最も後回しにすべき立場にあるのです。このエヴァンシア王国と民たちの安寧を守るために、私はあなた様のもとへ嫁いでまいりました。閨も責務の一つと心得ております。殿下の想い人のように可愛らしくなくて申し訳ございませんが、互いにこの王国の未来を担う者として、割り切っていただけませんか」
「……本当に嫌いだ。嫌みったらしくて、閨をねだる時にさえ甘えた表情も、素直な言葉もない。地味で真面目なだけの、鬱陶しい女。もううんざりだ」
ディオネル殿下は吐き捨てるようにそう言うと、毒虫でも見るような目で私を見て、今度こそ寝室を出て行ってしまったのだった。
私への拒絶を表すかのように、乱暴に閉ざされた扉。一人になった寝室はシンと静まり返り、その中に立ち尽くしている自分が、どうしようもなく惨めだった。
私だって、こんな結婚はしたくなかった。愛されないどころか、徹底的に嫌われ、屈辱的な態度や言葉に耐え続けなくてはならない結婚なんて。
『可愛げの欠片もない』
『地味で真面目なだけの、鬱陶しい女』
「……ふ……、うぅ……っ」
唇が小刻みに震えたかと思うと、突然自分の喉から、意識しない声が漏れた。
体中の力が抜け、私はその場にうずくまる。
何年もずっと歯を食いしばって堪えてきた涙が、溜まっていた分を全て吐き出すかのように次々とこぼれ落ちた。
続きの間に控えている侍女たちに聞かれぬよう、私は必死で声を押し殺し、泣き続けた。
物心ついた頃にはすでに、ひたすら勉強漬けの毎日。子どもの時からずっと、自分の気持ちは常に後回しにするものだと言われ続けてきた。
『あなたは百年に一度とも言われる、特別な加護の力を持って生まれてきました。だからこそ、この王国のために人生を捧げ、全ての民のことを思い生きていくのです。それがあなたの生まれてきた意味なのですから』と。
両親や教育係たちから、まるで洗脳するように何度も同じことを告げられ、心折れることなど決して許されなかった。ディオネル殿下を支えていくためにあらゆる科目の勉強をし、領民たちへの奉仕も欠かさなかった。
私の中の加護の力よ、皆の幸せと平穏な生活を守るために花開け。そう毎日祈りながら、休む間もなく日々を過ごした。
その結果が、これなのか。
私には、夫となった人からのほんのわずかな労いの言葉も、温かな眼差しの一つさえも、与えられないのか。
自分があまりにも哀れで、私は肩を上下させながら気が済むまで泣いた。
そうして数十分が経った頃、ようやく涙も枯れてきた。
(……もういい。気が済んだわ。自分を憐れむのは、これが最初で最後よ。私は王太子妃になったのだから。自分の感情に振り回されている場合じゃない。なすべき公務に邁進し、これからはエヴァンシア王国の全ての民たちのために、私の加護の力を使わなくては。毎日忙しく働いていたら、自分の惨めさになんて浸っている暇はなくなるはずよ)
何度も深く呼吸を繰り返しながら、私は頭の中で自分にそう言い続けた。そうするうちに、気持ちはすっかり落ち着いた。
私の中にある加護の力のためだろうか。民たちのことを考えると、不思議なほどに気持ちが凪いでいく。
(……うん。大丈夫。この調子でいよう。ディオネル殿下だって今はまだ心が追いついていないのかもしれないけれど、時が経てば受け入れてくださるはずだわ。何と言っても、この王国の王太子なのだから。私も彼を嫌いだと決めつけるんじゃなくて、鷹揚な心で待ってさしあげなくては)
そう何度も自分に言い聞かせ、私は一人広々とした寝台に入り、目を閉じた。
(殿下はどちらのお部屋でお休みになるのかしら。私がここを使わせてもらっていてもいいのかな。……いいわよね。勝手に出ていったのはあちらなのだし。ああ……、明日の朝は目が腫れるわね。言い争う声も聞こえていただろうし、侍女たちからどう思われることやら)
私はあえて楽観的に考えようとしていた。どんなに今思い悩もうとも、どうにもできないからだ。
いつかきっと、事態は好転する。
私はその日まで、なすべき公務と勉強に励むだけだ。ディオネル殿下にも、私の誠意が届く日は来るはず。
そう信じ、前を向いて頑張ろう。そう思っていた。
自分が早々にここから追放されることになるなんて、思いもせずに──。
この二年間、彼から私への個人的な接触は、ただの一度もなかった。
本来ならば、婚約者同士の定期的な茶会などがあってもいいはずだったが、殿下の方からの誘いは皆無だった。こちらから声をかけるのは憚られたけれど、少しずつでも話し合っておきたいことがいくつもあった。
王太子妃として私に求められる役割の範囲についてや、公の場における立ち位置や振る舞い、役割分担。それに、神殿との関係についての基本方針に、地方案件の扱いや、緊急時の連絡と判断経路……。数え上げればきりがない。
それらについてディオネル殿下がどのような考えをお持ちなのか、きちんと把握しておきたかった。
そのため私は、おそるおそる殿下に手紙を出してみた。けれど、【婚約者として、定期的な顔合わせの機会を設けることが望ましいと考えております。ご都合のよろしい日時をお教えいただければ幸いです】と記した幾度かの手紙に、殿下から返事が来ることはなかった。そのためこの二年間は、王妃陛下との謁見や、王太子妃教育を受けるためだけに王宮に通っていたのだった。
大聖堂での結婚式が終わり、王宮のバルコニーから、集まった民たちへの挨拶、その後大広間での盛大な祝宴と、定められた通りの一日が終わる。
感慨と呼べるものはなかった。目も眩むようなウェディングドレスをまとった時も、ディオネル殿下と誓いの言葉を交わした時も、国内外の重鎮たちから次々と賛辞を贈られた時も。
私は公務の一環として、それらの業務を淡々とこなした。だって、隣にいるディオネル殿下は一切私に話しかけてこないうえに、ただの一度も私と目を合わせようとさえしない。さらには、時折聞こえよがしなため息までつくのだ。
こちらはどんどん気が重くなるのを必死で耐えながら、『国民のため、ベルロワ侯爵領民のため、そしてベルロワ侯爵家のため』と心の中で唱え続けることで、気力を保つしかなかった。
そして、その夜。全てが終わり、王太子宮に用意された私室へと入った私は、王太子妃付きの侍女たちの手を借り、湯浴みや夜着への着替えを済ませた。
その後、私室から扉続きになっている夫婦の寝室へと向かい、そこでディオネル殿下の訪れを待つ。
ソファに腰掛けた私の目の前には、ローテーブルがあった。その上には、このエヴァンシア王国の国花であるルゼナリアの真紅の花が、美しい花瓶に品良く飾られていた。細い花弁が中心から放射状に伸び、幾重にも重なって円を描くように広がるその花は、王国のいたるところに咲き乱れており、幼い頃から見慣れたものだった。
優しい夜は、最初から期待していなかった。教えられてきた閨教育の内容を、気が進まないことを隠そうともしない殿下の手によって淡々と施される。そんな流れを想像していた。
けれど、長い時間待ち、深夜になってようやく寝室に現れたディオネル殿下から言われた言葉に、私はあ然とするほかなかった。
突如乱暴に扉を開け、ソファに腰掛ける私の近くまで歩み寄ってきた殿下は、数年ぶりに私に個人的な言葉をかけた。
「最初にはっきりと言っておく。僕は君に触れるつもりは一切ない。この心の伴わない結婚生活が続く限り、ずっとだ」
美しい翡翠色の目は、まるで汚らわしいものでも見るかのように、私を見下ろしていた。
私はみっともなく口を半開きにしたまま、まばたきもせずに殿下のその目を見つめ返した。
形の整った彼の唇は、さらに冷酷な言葉を紡ぐ。
「僕は幼い頃からずっと、一人の美しい女性のことを愛し抜いている。この世で最も気高く華やかで、麗しく、そしてとても可愛らしい人だ。地味で堅苦しいその辺の女の肌になど、指先一つ触れるのも気持ちが悪い」
「…………は?」
私の喉から、思わず低い声が漏れた。不躾で屈辱的なその言葉が脳内に浸透していくと同時に、どす黒い怒りがふつふつと湧き上がる。
我慢し続けてきたものが決壊しそうになり、私は小刻みに震えはじめた指先を、強く握った。
私の様子など気にも留めない殿下の口からは、私の尊厳を踏みにじる痛烈な言葉が続く。
「僕に何かを期待しているのなら、心底不愉快だ。父と母に取り入り、上手いこと僕の妃の座を得たからといって、僕の心まで手に入れたつもりになっているのなら大きな間違いだ。……努力? 賢さ? 伝承でもてはやされている、稀有な力の開花? ……はっ、くだらない。そんなものは、愛されない女が高貴な地位を得たさに縋るための盾だろう。だが、残念だったな。僕の心は微塵も揺らがない。言いたいことはそれだけだ。今後一切、この僕に近付こうとするな。用件は全て、側近や侍従たちを通して言ってもらおう」
信じがたいことに、ディオネル殿下はご自分の言いたいことだけを一方的に言い切ると、そのまま私に背を向けたのだ。そして躊躇なく、扉の方へと歩きはじめた。
かっとなった私は、思わず大きな声を出す。
「お待ちください、殿下!」
ディオネル殿下の肩が、ビクリと跳ねた。そして強張った表情でゆっくりと振り返る。何をそんなに怯えているのだろう。まさか、これまでずっと大人しくしていた私だから、何も言わず黙って見送るとでも思っていたのか。
私は静かに立ち上がると、ディオネル殿下のもとへと歩く。彼の表情がますます引きつった。
「……それではあなた様は、王家の世継ぎに関してどのようにお考えなのでございますか? 後継をもうけるのは、王太子であるあなた様の重要な役目の一つでございましょう。いかに互いが望まぬ閨とはいえ、それを拒むということは、王太子としての責務を放棄することと同義でございますよ」
溜め続けてきた不満をほんの少しだけ漏らしながら、私は殿下を非難した。殿下はまるで、自分より強い男の子から喧嘩をふっかけられた子どものような顔をする。けれどすぐに取り繕い、私を睨みつけてきた。
「今すぐ急いでどうにかする必要はない。君なんかに言われなくとも、世継ぎのことはしかるべき時に、僕がきちんと考える。……君のそういうところが本当に嫌いだ。この僕を理詰めで攻撃して閨を済ませ、自分の地位を盤石なものにしようとしているのだろう。可愛げの欠片もない。僕の想い人とは天と地ほども差があるな」
「自分の地位がどうとか、そんな問題ではございませんよ。あなた様が私を好きか嫌いかも、関係ございません」
(それを言うなら、私もあなたのことは嫌いですし)
最後の言葉は、さすがに口にはしなかった。
「私たちは、私情など最も後回しにすべき立場にあるのです。このエヴァンシア王国と民たちの安寧を守るために、私はあなた様のもとへ嫁いでまいりました。閨も責務の一つと心得ております。殿下の想い人のように可愛らしくなくて申し訳ございませんが、互いにこの王国の未来を担う者として、割り切っていただけませんか」
「……本当に嫌いだ。嫌みったらしくて、閨をねだる時にさえ甘えた表情も、素直な言葉もない。地味で真面目なだけの、鬱陶しい女。もううんざりだ」
ディオネル殿下は吐き捨てるようにそう言うと、毒虫でも見るような目で私を見て、今度こそ寝室を出て行ってしまったのだった。
私への拒絶を表すかのように、乱暴に閉ざされた扉。一人になった寝室はシンと静まり返り、その中に立ち尽くしている自分が、どうしようもなく惨めだった。
私だって、こんな結婚はしたくなかった。愛されないどころか、徹底的に嫌われ、屈辱的な態度や言葉に耐え続けなくてはならない結婚なんて。
『可愛げの欠片もない』
『地味で真面目なだけの、鬱陶しい女』
「……ふ……、うぅ……っ」
唇が小刻みに震えたかと思うと、突然自分の喉から、意識しない声が漏れた。
体中の力が抜け、私はその場にうずくまる。
何年もずっと歯を食いしばって堪えてきた涙が、溜まっていた分を全て吐き出すかのように次々とこぼれ落ちた。
続きの間に控えている侍女たちに聞かれぬよう、私は必死で声を押し殺し、泣き続けた。
物心ついた頃にはすでに、ひたすら勉強漬けの毎日。子どもの時からずっと、自分の気持ちは常に後回しにするものだと言われ続けてきた。
『あなたは百年に一度とも言われる、特別な加護の力を持って生まれてきました。だからこそ、この王国のために人生を捧げ、全ての民のことを思い生きていくのです。それがあなたの生まれてきた意味なのですから』と。
両親や教育係たちから、まるで洗脳するように何度も同じことを告げられ、心折れることなど決して許されなかった。ディオネル殿下を支えていくためにあらゆる科目の勉強をし、領民たちへの奉仕も欠かさなかった。
私の中の加護の力よ、皆の幸せと平穏な生活を守るために花開け。そう毎日祈りながら、休む間もなく日々を過ごした。
その結果が、これなのか。
私には、夫となった人からのほんのわずかな労いの言葉も、温かな眼差しの一つさえも、与えられないのか。
自分があまりにも哀れで、私は肩を上下させながら気が済むまで泣いた。
そうして数十分が経った頃、ようやく涙も枯れてきた。
(……もういい。気が済んだわ。自分を憐れむのは、これが最初で最後よ。私は王太子妃になったのだから。自分の感情に振り回されている場合じゃない。なすべき公務に邁進し、これからはエヴァンシア王国の全ての民たちのために、私の加護の力を使わなくては。毎日忙しく働いていたら、自分の惨めさになんて浸っている暇はなくなるはずよ)
何度も深く呼吸を繰り返しながら、私は頭の中で自分にそう言い続けた。そうするうちに、気持ちはすっかり落ち着いた。
私の中にある加護の力のためだろうか。民たちのことを考えると、不思議なほどに気持ちが凪いでいく。
(……うん。大丈夫。この調子でいよう。ディオネル殿下だって今はまだ心が追いついていないのかもしれないけれど、時が経てば受け入れてくださるはずだわ。何と言っても、この王国の王太子なのだから。私も彼を嫌いだと決めつけるんじゃなくて、鷹揚な心で待ってさしあげなくては)
そう何度も自分に言い聞かせ、私は一人広々とした寝台に入り、目を閉じた。
(殿下はどちらのお部屋でお休みになるのかしら。私がここを使わせてもらっていてもいいのかな。……いいわよね。勝手に出ていったのはあちらなのだし。ああ……、明日の朝は目が腫れるわね。言い争う声も聞こえていただろうし、侍女たちからどう思われることやら)
私はあえて楽観的に考えようとしていた。どんなに今思い悩もうとも、どうにもできないからだ。
いつかきっと、事態は好転する。
私はその日まで、なすべき公務と勉強に励むだけだ。ディオネル殿下にも、私の誠意が届く日は来るはず。
そう信じ、前を向いて頑張ろう。そう思っていた。
自分が早々にここから追放されることになるなんて、思いもせずに──。