【第2部】 エモパレ ~舞踏会編~ ―偽装夫婦になった私が、オジさま副局長に本当に選ばれるまで―
第58話 愚かなヴァルグレイの物語 其の二
黒い人影が二つ。 薄暗い裏路地で向かい合っている。
何かを受け渡しているかのように見えた。
……急に場面が変わった。
……やはり夢だ。
……これは、私の過ちを追っているのだ。
長年の捜査員としての勘が、それが違法な取引だと告げていた。
――追ってみよう。
そこまでは良かった。
しかし私はここで、選択を誤った。
買い手らしい気弱そうな青年と、頭巾を被った見るからに怪しい商人風の男。
少々迷った末、商人風の男を追ってしまった。
人通りを避け、狭い道を歩いていく頭巾の男。
辺りはもう薄暗かったが、尾行の技術にはそれなりの自信があった。
ふと立ち止まった男を監視しつつ、これからの事を考える。
方角からして、南街の水路沿いの下街か?
クソっ、部下がいれば客っぽい気弱な男の方も追えたのだが……
この後、部下と共に、南街ギルドから紹介された薬を扱う香房へと行く予定だった。
遅くなってしまうかもしれない。
予定が押している理由は明白。 西街で見掛けた、あの可憐な乙女。
任務とは全く関係の無い、私情での尾行。
……泣かせてしまった。 胸がチクリと痛む。
あの後、きちんと帰れただろうか?
元気な足取りは見せていたが、とても……心配だった。
彼女の名前は?
どこに住み、どんな暮らしをしているのだろうか。
あれだけ愛らしい女性だ。 言い寄る男も少なくないに違いない。
……忌々しい。
服装も華やかで良く似合っていた。 春色のケープが印象的で……
――ハッとした。
物思いに耽っていたと自覚したのも束の間、監視していた男の姿は消えていた。
言い訳のしようのない失態だった。
今となって思えば、香房を襲ったのは、あの気弱な客の方だった。
あちらを追うべきでもあったのだ。
……だが、そちらを追えば、未然に防げたのだろうか?
あるいはその場合でも、私はやはり尾行に失敗したのだろうか?
―――――――
すっかり日の暮れた頃、レルガが薬香房の前で腕を組んでいる。
……またしても場面が飛んだ。
……ああ、ここもまた、見せつけられるのか……
「遅いッスよ、隊長」
レルガの軽い文句を無視する。
別件で任せていた聞き込みの報告を受け、これからの段取りを話しあう。
南街ギルドから紹介されたこの店――サフラン香房。
原材料のノクセラ草を取り扱っているとはいえ、ここでノクセリウムが製造されているとは思っていなかったが、話を聞く必要はあった。
随分と遅い時間になってしまったが。
――ズバアァァンッ!!
響く破裂音。
どこから聞こえてきたなど問われるまでもない。 店の中だ。
レルガと共に、店の壁に貼りつき、窓際から様子を伺った。
すると、そこには……
先ほど、教会で私が泣かせてしまった、あの彼女がいた。
凛々しく、勇ましく、そして愛らしい彼女が、杖を持って悪漢らしき男と対峙していた。
「何してんスかっ!? 早く飛び込みやしょう!」
「……いや、待てっ!」
逸るレルガを、なぜか私は制した。
自分が助けていいのか?
私情では無いのか?
また、怖がらせてしまうのではないか?
どう考えても、危急の今、考えるべきことでは無い。
しかし私は、躊躇してしまっていた。 ……部下を抑えてまで。
私は……凛然と危機に立ち向かう彼女の姿に、目を奪われていた。
迷っている内に、店内の灯りが消える。
連続した細かな破裂音が響いた後、
――ゴッ、ガッシャーーーンッ!!
入り口の扉が派手に吹き飛ばされ、店内から黄色い歓声が聞こえた。
扉をぶち抜き、吹っ飛ばされた異形の男が、二度三度と地面を打って、転がっていく。
彼女が、これをやったのか……
転がってきた男を見る。
異形なシルエットだと思っていたソレは、随分と線の細い、ヒョロい男だった。
ふと、風に吹かれたか、焼け焦げたケープの切れ端が地面を滑り、目の前に落ちた。
それが、彼女が身に着けていた春色のケープの端切れだとすぐに気付いた。
じっとケープを観察した後、気づけばポケットへと押し込んでいた。
周りを見ると、派手な破壊音だったせいか、人が集まってきているようだった。
倒れていたヒョロ男を確認する。
……その姿は、無かった。
「そろそろっスか?」
レルガのイラつきの混じった声に返事をする間もなく……
私は、反射的に店内へと飛び込んでいた。
……………
「死ねええぇぇぇぇ!!!!」
ナイフを手に、絶叫と共に彼女へ突進するヒョロ男。
その後ろ姿を捕え、瞬時に制圧を試みる。
距離から見て、間に合うかどうかは五分と五分。
店前での自分の判断を……すぐに飛び込まなかった事を激しく後悔した。
だが、ここで間に合わなければ……
助けられなければ……
自分はこの世で一番の、愚か者だっ!
恐怖に染まっていた彼女の表情。
それが……諦めへと変わった。
――諦めるなっ!!
渾身の力で地を蹴った。
――諦めさせて、なるものかっ!!
脚が軋むほど踏み込み、視界が一瞬で流れる。
……ダメかっ!?
いや、踏み込めっ!
間に合えっ!!
「……っっっ!!」
思考すら放棄。
視界は真っ白に染まり、その速度が臨界を超えた、刹那――
――轟音が弾ける。
鈍い衝撃音とともに、殴り飛ばしたヒョロ男の身体が宙を舞う。
吹き飛ぶ姿には目もくれず、私はその先へと手を伸ばす。
勢いのままに、彼女を両腕で抱き留めた。
その柔らかな身体を、衝撃ごと胸の内へと包み込む。
ああっ…………
「……間に合って、よかった」
―――――――
泣いている。
嗚咽を漏らすことなく、まるで宝石のような大きな涙粒だけが……
ポロポロと頬を、伝っていた。
彼女は顔を上げ、その美しい泣き顔を隠しもせずに、じっと私を見つめている。
まるで何かを言いたげな表情。
まさか、感謝を伝えるつもりなのだろうか?
……違うのだ。
キミのその涙、全ては私のせいなのだ……
むしろ責められるべきなのは、私なんだ……
そんな、無垢な瞳で……見ないでくれ!
私は、合わせる顔もなく、彼女に背を向けた。
それでも、背後で涙が落ち続けている気配に、耐える事は出来なかった。
……せめて、これくらいは。
振り返り、懐から取り出したハンカチで、その涙をそっと拭った。
決して、その肌に触れぬよう。
決して、彼女を汚さぬよう。
決して、彼女に想いを寄せぬよう。
そんな私の内心を知らず、彼女の蜂蜜色の瞳はじっと、私と視線を合わせ続けていた。
―――――――
目の前には一枚の書類。 一心不乱に必要事項を書き込み、確認する。
なんたる失態。
なんたる愚かさ。
後悔、衝動、安堵、自己嫌悪、そして罪悪感。
その夜の私は、かつてないほど多くの感情と戦っていた。
もしも彼女が失われるような事態にでもなっていれば、私は生涯、自分を許せなかっただろう。
最悪の事態にはならずに済んだ。
だが、自身の汚れた欲望と愚かな判断が、彼女に恐怖を……そして危険をもたらした。
その事実は、私の心に深い楔を打ち込んだ。
結果的にケガが治ったから事なきを得たなどとは、露ほども思ってはいない。
許せない。
絶対に、ユルセナイ……
調査局に帰還した後、ある決断をした。
もう、この時すでに、私は狂っていたのだろう。
付帯書類などは特に必要は無い。
自身の権限だけで事足りる。
優先するモノを……変えるのだ。
――彼女を、危機から遠ざけろ。
――私の監視下へ。 檻に、入れてしまえ。
私は愚かだった。 ……愚かな行為だコレは。
私は間違っていた。 ……間違っているのは承知の上。
これが洗練された方法なのか? ……みっともなくても構わない。
どんな事をしても。
なんとしても。
絶対に。
キミを、守らねば、ならんのだっ!
例え、キミの意志に、反しても……っ!!
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下記店舗に対し、当局による調査の結果、当該営業活動において
看過できない問題が認められたため、営業停止を命ずる。
対象: 南街商会ギルド所属 サフラン香房
署名: 軍務省第二調査局副局長 ヴァルグレイ・ゼオファルド
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