【第2部】 エモパレ ~舞踏会編~ ―偽装夫婦になった私が、オジさま副局長に本当に選ばれるまで―
第75話 ヴァルグレイ vs ギルトハルト
ヴァルグレイとギルトハルト、互いの剣が幾度となくぶつかり合う。
甲高い剣戟がホールに響き、その衝撃が床や壁を軋ませた。
互いに一歩も譲らない。
だが、戦いの熱は、少しずつ噛み合わなくなっていった。
ギルトハルトの剣には、相手を探るような慎重さが混じる。
一方のヴァルグレイの剣は、鋭さを保ちながらも、どこか精彩を欠いていた。
剣だけは激しく交わりながらも、二人の意識は、お互いではない何かに向いているようだった。
キィィンッ、と甲高い音が響く。
ギルトハルトが、ヴァルグレイの剣を大きく受け流した。
「……っ」
大きく一歩、距離を取るヴァルグレイ。
ギルトハルトは、つまらなさそうに鼻を鳴らした。
「フン、興ざめだ。 お前、迷っているな?」
「……何だと?」
渇望に突き動かされているギルトハルトの方が冷静で、カームによって正気を保てているヴァルグレイの方が、むしろ焦りを露わにしていた。
「今更、我を傷つけることを躊躇っているのか? ……いや、違うな。 お前は容赦はせん男だ」
「……」
「我がハルネ嬢を狙った直後のお前は良かった。 あの時のお前の剣は、迷いなど一欠片も感じなかった。 ……だが逆に、そこからだ」
ギルトハルトは呆れた様子で、ヴァルグレイを指差す。
「そこからお前の剣に、迷いが生じた。 焦りが生まれた」
「……黙れ」
「弱くなったなゼオファルド。 不思議なものだ。 守る者が出来て、お前はずっと……弱くなった」
ギリッという歯ぎしりと共に、ヴァルグレイの眉間が歪む。
返答の代わりに、模造刀を鋭く振りぬいた。
逆上したヴァルグレイの剣を、あっさりとギルトハルトは受け止める。
繰り返し打ち込まれる剣撃を、ギルトハルトは危うげなく捌いていく。
互角だった天秤が、徐々に一方へと傾いていく。
「なるほどな、理解したぞ。 お前たちは夫婦では無いのだな。 互いへの好意は存在していたとしても」
「うるさい! 黙れえぇっ!!」
ギィィンと高い音が響き渡る。
ヴァルグレイの渾身の一撃は、それすらも、あっさりと防がれた。
「直線的過ぎるぞ。 だがやはりそうか。 お前は、ハルネ嬢の事になるとあまりに……あまりに露骨だ。 ふっ……まるで、恋する腑抜けのようだな」
ギルトハルトが、模造刀を大きく振りかぶる。
過剰に警戒したヴァルグレイの視線は、振り上げた刃へと吸い寄せられた。
だが、斬撃は来ない。
次の瞬間、素早く振り下ろした柄頭が、肩口に深くめり込んだ。
ヴァルグレイは膝を着く。
「がっ……」
「この程度の虚に引っ掛かるとは……残念だ、ゼオファルド。 我はそんなザマの貴様を倒したいワケではなかった」
「……う、ぐっ」
「だが、これも我の決意である。 引導を、くれてやる!」
ギルトハルトは膝を着いたヴァルグレイに、渾身の一撃を振り下ろす。
地面を転がり、ギリギリで躱すヴァルグレイ。
「ほう。 さすがに一筋縄ではいかんか。 だが、どうする? ゼオファルド」
「…………」
……忌々しい事に、彼奴の言う通りだった。
私は、未だに答えを出せずにいた。
ハルネが欲しい。 ……独占したい。
その感情は、もはや認めざるを得ない。
いつかの夜、みっともない私を受け入れてくれた慈愛。
傍にいるだけで、私に活力を与えてくれる存在そのもの。
失う事など考えられなかった。
だが、「恋する腑抜け」だと嘲られ、ようやく気づかされた。
……私は、逃げている。
歳の差。
過去の過ち。
汚らわしい欲情。
分不相応な嫉妬。
どれもが、踏み込まない「理由」だった。
何かにつけて理由を振りかざし、うじうじと自分を否定してきた。
お前は、相応しくない、と。
欲しくて欲しくてたまらないのに、自分から離れようとしている。
私はなぜ、ハルネと共にいる事を選択出来ないのか。
私はきっと……彼女を「不幸にすること」が怖いのだ。
幸福の形すら知らない自分に、誰かを幸せに出来ようはずもない。
それでも、「守る事」なら出来るはずだった。
だが、もしも、彼女と本当に歩みを共にしたいと願うのならば……
守る者と守られる者ではなく、互いが、互いの人生を背負わねばならない。
……そうか。
やっと分かった。
私は、保護者でいたかったのだ。
ハルネをずっと、上から守る立場でいたかった。
その階段を下りて、彼女の横に並び立つ勇気が、持てなかったのだ。
彼女の人生に、醜く弱い自分が入り込むことが、怖かった。
その恐れに、どうしても勝てなかった。
そのくせ、彼女を失う事だけは、どんなことよりも――自分の死よりも、恐ろしかった。
選べぬ迷いが判断力を奪い、覚悟の無さが臆病を生んだ。
ああ……ギルトハルトの言う通りだ。
私は、守る事に逃げ続けて、弱くなったのだ……
「くたばれぃ! ゼオファルドォっ!」
ギルトハルトの剣が、ヴァルグレイを突き刺そうと引き手を絞り、力が籠められる。
迷いに縛られたヴァルグレイは、動く事が出来なかった。
「えいっ! ピカパフ!」
突如、カッ、と割り込んで来た眩い閃光に阻まれ、ギルトハルトは大いに怯んだ。
ヴァルグレイも反射的に転がるように距離を取った。
二人の決着を阻んだのは……
メイド服に身を固めた、ハルネの妹、シャリエナだった。
「……シャリエナ嬢」
「ヴァルグレイさん! やられちゃダメだよ! お姉ちゃんを助けてくれるんでしょ!」
シルエットや性格は違えど、ハルネとよく似た顔立ちに、よく似た声。
迷いに沈んだヴァルグレイには、その声が、深く染み通った。
「お姉ちゃん、昨夜も楽しそうだったよ? ううん、昨夜だけじゃない。 ヴァルグレイさんと会ってから、お姉ちゃん、ずっとずっと楽しそうだった!」
「…………」
「毎晩毎晩オジさまが~って聞かされて……! お店のこともそっち退けになっちゃうくらい、浮かれてて……!」
肩で息をしながら、シャリエナが懸命に声を張りあげる。
「でもきっと……お姉ちゃん、意気地なしでニブチンだから、絶対に自分からは言えないよ! だから、もしも、お姉ちゃんを選んでくれるなら……!」
震える叫びが、広いホールへ響き渡る。
「ちゃんと……言葉にしてあげてよっ! ヴァルグレイさん!!」
その訴えは、ヴァルグレイの迷いを真っすぐに貫いた。
……ハルネ。
あの夜の、彼女の身体の柔らかな熱を思い出す。
あの朝の、彼女の手の静かなぬくもりを思い出す。
私は、幾度、彼女に救われた?
感情に飲まれ、自我を失いかけた時。
私を守るように、毅然と立った彼女の背中はなんだった?
何度、彼女に守られた?
「横に並び立つ勇気」だと? それは驕りだっ!
もう既に、彼女の方から並びに来ていたではないかっ!
年若いシャリエナ嬢に言われて、ようやく気づく己を恥じろっ!
奮い立てっ! 決断しろっ!
私は……ハルネと共に、歩むんだっ!!
腹を、決めろ!
ヴァルグレイ……ゼオファルドっ!!
「うおおおぁぁっっ!!」
「ぬっ! ぐおぉっ!」
刹那、神速の踏み込みを見せたヴァルグレイの剣が、ギルトハルトの胸を切り裂いた。
浅い一撃。
しかし、ギルトハルトを怯ませるには、十分過ぎる気迫を伴っていた。
「……すまなかったな、ギルトハルト。 もう、貴様に負ける事はない」
「ほざけっ!」
肉薄したギルトハルトの連撃が迫る。
風切り音から分かる、人間離れした剣捌き。
ヴァルグレイはそれを、刃を逸らし、半歩で躱し、あっさりと切り返していく。
「ぬっ……!」
先ほどまで追い詰められていた男とは思えなかった。
迷いを捨てたヴァルグレイの動きには、一切の無駄がなかった。
一方へ落ち切ったはずの天秤が、今度は逆側へと急速に傾いていく。
――キィィンっ!
ギルトハルトの手から、激しく剣が弾き飛んだ。
痛めた手首を押さえ、苦悶の表情を浮かべる。
「ぬぐっ……」
「……拾え。 決着をつけてやる、ギルトハルト」
圧倒的なヴァルグレイの力に、ギルトハルトの口元が歓喜に歪む。
「そうだ……」
痺れた腕を押さえながら、ギルトハルトは笑った。
「それがお前だ。 さすがは我が追い続けた……”鬼のヴァルグレイ”よ」
ギルトハルトが懐に手を伸ばす。
取り出されたのは、紫色の小瓶。
「…………」
小瓶とヴァルグレイを交互に見つめた。
「……ふっ……このような物で、勝ったとて!」
吐き捨てると、小瓶を床へと放り捨てた。
そして、持っていた剣も投げ捨てる。
「我が渇きは、拳での決着を望む! 受けろゼオファルドっ!」
「…………」
ヴァルグレイも同様に、黙して剣を捨てた。
互いに徒手空拳の構えで向き合う。
だが、ヴァルグレイは、ふと隙を見せる。
半身になり、力を抜いたように両腕を静かに下ろした。
その姿に、ギルトハルトの眉が吊り上がった。
「愚弄するか!」
「……来い」
「るおおぁぁっ!!」
ギルトハルトが床を蹴り砕く。
巨大な体躯の突進が、弾丸のようにヴァルグレイへと襲いかかった。
だが……
「なっ……」
ヴァルグレイの身体が拳の軌道から滑るように消え、そのままその腕を絡め取った。
「……ふっ!」
突進の勢いをそのまま利用し、ギルトハルトの巨体が宙に浮いた。
次の瞬間、その背中が床へと叩きつけられる。
「がはぁっ!! ……っ!」
「…………」
まだ負けまいと、瞬時にギルトハルトが上体を起こす。
しかし、すでにヴァルグレイはギルトハルトの背後へと回り込んでいた。
そのまま腕を回し、首を締めつける。
「は、離せ……! 我は、このような決着は……っ!」
「……終わりだ、ギルトハルト」
踵を床に叩きつけ、首元のヴァルグレイの腕を必死に掴むが、まるでビクともしなかった。
段々と抵抗する力を失い、やがてギルトハルトの意識は闇へと沈んだ。
悔いを残したかのようなギルトハルトの表情。
それを見たヴァルグレイは、ほんの少しだけ、寂しさを浮かべた。
「……やったぁ!」
張り詰めた空気を吹き飛ばすように、シャリエナが快哉を響かせた。
シャリエナの背後には、いつからそこにいたのか、二人組の姿があった。
リゼラとルシアンだった。
「……ハルネが惚れるワケだ」
「強いな、ゼオファルド卿は」
リゼラの半ば呆れるような口調に対し、ルシアンの口ぶりには悔しさが滲み出ている。
やがてルシアンは、小さく溜息を吐いた。
……………
勝負を終えたヴァルグレイは、階下を一瞥する。
ガッツポーズをしているシャリエナ。
微笑みを浮かべているリゼラ。
どこか吹っ切れたような表情のルシアン。
彼らの様子を確認した後、急ぎ、階段を駆け上がろうとした。
だがそこへ……
「……なっ!」
突然、何かが階上から激しい勢いで突進してきた。
ヴァルグレイはその何かに襲われ、吹き飛ばされた。