【第2部】 エモパレ ~舞踏会編~ ―偽装夫婦になった私が、オジさま副局長に本当に選ばれるまで―
第5章
第45話 第5章・序幕 舞踏会場入場――ゼオファルド夫妻(仮)
中央街に広大な敷地を構えるエスタラン侯爵邸は、街中にあるにも関わらず、荘厳な存在感を際立たせていた。
過剰な装飾は無いが、重厚さを感じさせる門柱とアーチが、建物の格を静かに語っている。
高く伸びた大きな窓という窓からは、オレンジ色の灯りが溢れかえり、
ガラス越しに浮かぶシャンデリアが、平民には手の届かない世界だと知らしめるように輝いていた。
その、格調高いエスタラン侯爵邸の前――石畳の私道を、馬車が一台、滑り込んでくる。
御者が手綱を引くと、馬は従順に足を止め、黒塗りの車体に、暖色の灯りが鈍く反射する。
足音を立てずにステップを降りたのは、黒い狼を彷彿とさせる、一人の紳士――
―――――――
――ヴァルグレイ・ゼオファルドは、先んじて馬車を降りた。
身に纏うのはブルーのゴシックな官制服ではなく、漆黒のタキシード。
格調高く仕立ての良いジャケットとベストは、カジュアルさなど欠片も感じられない。
普段と違う装いながら、彼はどこか着慣れた様子だった。
着丈はやや長め。 銀色に輝くシャツのボタンが清潔感と品格を示している。
手袋は、いつもの白ではなく、髪と同系色の銀灰。
今は外され、胸ポケットの飾りとなっていた。
大人の男性らしい落ち着きと力強さを備えた手が、馬車の中の人物へと伸ばされる――
――馬車の奥から姿を現したのは、苺茶色の髪を華やかに結い上げたハルネだった。
デコルテを上品に見せる、シャンパンベージュのエンパイアドレス。
胸下で切り替えられたハイウエストのシルエットは、ハルネの柔らかなラインを優雅に包む。
それは、いつものふっくらとした彼女に、淑やかな華やぎを加えていた。
通常のドレスの輪郭よりも、ボリュームがある。
それは身体でなく、布の量。
ドレープの目立つ布とオーガンジーが重ねて縫われ、光を受けるたび、やわらかい艶と奥行きを生んでいる。
揺れる布たちは、丸みを帯びた曲線を上品に見せるために配置されていた。
服を人に合わせる。
それをまさしく形にしてしまう、針子の腕前が表れていた。
ハルネはヴァルグレイの手に自らの手をそっと添え、ゆっくりとステップを降りる。
サフラン香房で見せる機敏さを、微塵も感じさせない、慎み深い所作として見えた。
ステップを降りる度、耳元で揺れる琥珀が、光を拾って視線を奪う。
足を下ろす度に揺れるオーガンジーが、まるで透明な花びらのように踊った。
コツ、コツと、安定感のある低めのヒールの音が、辺りに響く。
履き慣れないチャンキーヒールのため、ハルネの視線は足元に釘付けだった。
一方のヴァルグレイは、ハルネの横顔に釘付けだった。
ハーフアップに上げた後ろ髪から覗くうなじ。
控えめローズベージュのリップに、血色を浮かすチーク。
素直で明るい、いつもの彼女とは違う艶やかな姿。
彼の口から、ぽつりと一言が漏れた。
「……キレイだ」
ヴァルグレイは、そのまま何事もなかったようにハルネを見つめていた。
反応したのはハルネだった。
パッチリしたタレ目をさらに大きく見開き、ぐりん、とヴァルグレイの方へと顔を向ける。
(今、なんて言ったの!?)
……………
「……とても、似合っている」
「ありがと。 オジさまもとってもステキよ」
スマートに応えられたけれど、さっきの「キレイだ」はやばい不意打ちだった。
めちゃくちゃびっくりした。
逆に今の「似合っている」は、ちゃんと褒めてくれた言葉。
どちらもとっても嬉しくて、騒がしい胸の鼓動を抑えるのに必死だった。
オジさまが右腕を軽く差し出す。
自然な動作のエスコート。
あたしはそれに応じるように、左手を添えて、その腕に軽く絡ませる。
オジさまの漆黒のタキシードと、あたしの薄いベージュのドレスのコントラストがとても綺麗だった。
そして、ふんわりと香るアンバー系の香水の香り。
密着する腕と身体に、胸の高鳴りがさらに加速する。
いやいや……「任務」だから!
「……ハルネ嬢、キミの仕事は、私と共に入場し、侯爵に挨拶をする所までだ。 あとは私の仕事となる。 気負う必要は無い」
「大丈夫よオジさま。 ちゃんと覚悟はしてきたもの」
女に二言は無いのよ!
「……本当にすまない。 キミに大変な手間を取らせている事は承知しているが……」
「だから大丈夫よオジさま。 あたし、感謝もしてるし、正直ワクワクもしてるの!」
だってさ!
こんな事、普通に暮らしてたんじゃ体験できない事だもん!
こんなあたしでも、とっても綺麗に魅せてくれるドレスも用意してくれて……
そして、なによりも、エスコートしてくれるオジさまの隣に立てるのが……
こんなにも嬉しい!
「さ、行きましょオジさま! いざ、戦場へ!」
「……ふっ、戦場、では無いが。 行くとしよう」
あたしのちょっとした冗談に、表情を柔らかくさせたオジさま。
大きく重厚な扉を、門番の衛兵が二人がかりで開ける。
そして、あたし達は、エスタラン侯爵邸の舞踏会へと、入場した。
―――――――
重厚な音を響かせながら、開け放たれた扉から、音と光が一斉に溢れ出した。
まず目に飛び込んできたのは、幾重にも吊るされた黄金のシャンデリア。
魔石ランプから漏れる暖かな光が、ガラスにキラキラと反射し、舞踏会場全体に降り注ぐ。
高い天井、そして壁面には金糸を施した深紅の装飾布。
おそらく刺繍されているのは侯爵家の紋章だろう。
大きな柱はあるが、上手く空間を使い、開放的な広間に見せている。
楽団の演奏する弦の音が、大きくも軽やかにその空間を彩っていた。
辺りを見渡す。
色とりどりのドレスの花が咲き乱れ、それを囲む、蝶のように着飾った紳士たち。
派手さが品を落としそうなモノだが、場の格調高さと各々の洗練された所作が、上品さを巧みに醸し出していた。
『場違い』
そんな言葉が脳裏をよぎる。
ここは日常とはまるで別の世界だ。
香房の賑やかな声も、商店街の喧騒も、それら全てが遠く切り離された空間。
気圧され、身体が勝手に後ろに下がろうとすると、腕に抵抗を感じた。
見上げると、オジさまはこちらをじっと見ていた。
いつもの柔らかい表情でなく、仕事中に見せる隙のない顔。
ふと、何かの合図のように、オジさまは、左手の指で自身の左眼の眼帯を指差した。
?? 眼帯?……魔眼…………エモパレ!
即座に瞳に意識を向け、エモパレをアクティブにする。
――色とりどりの感情色。疚しさ、楽しさ、訝しみ、下心、葛藤や苛立ち……
いつも見ている感情色を視たせいか、心が、少しだけ落ち着いた。
「……普段行っている事をすれば、自然と心は落ち着くモノだ」
オジさまの言う通り、まだ多少の緊張はあるものの、さきほどより心が凪いでいた。
……なんだか、あたしよりあたしを理解してくれてる感じがする。
その事実に気付くと顔が熱くなった。
う~、恥ずかしいような嬉しいような?
よく分からないテンションになって、目をぎゅっと瞑る。
これでエモパレの感度もリセット。 うん。
目を開け、「もう大丈夫」とオジさまの方を見る。
オジさまは、会場内の様子を窺っていたが、こちらに気が付き、視線が向く。
振り向きざまに、琥珀のピアスが揺れたのが、やけに目に付いた。
……同じ、だ。
そう、同じピアスを、あたしも身に着けている。
耳を意識して、そっと顔を揺らす。
ふるふると揺れる琥珀の感触が返ってくる。
落ち着いたはずのあたしの心は、再びいっぱいになってしまった。
それを誤魔化すよう、絡ませていたオジさまの腕にぎゅうーっとしがみついた。
胸を思い切り押し付けてしまっている気がするが、あたしの内心はそれどころではない。
「…………」
あたしにされるがまま、オジさまはじっと黙っていた。
なんだか、あたしを労わる気持ちが伝わってきて、安心をくれた。
「……もう、大丈夫か?」
「……うん」
幸い、今のやりとりが、周りに気にされた様子は無い。
何人かは、入り口にいるこちらを強い好奇で伺ってはいるけれども。
「……いいか。 平常心でいるのは大切な事だが、ここではあまり隙を見せすぎるのも良くない。 付け込まれる一因となる」
「っ……そうよね。 ごめんなさいオジさま!」
「……いや、構わない。 だが、その……」
「あっ、そっか!」
オジさまの注意に、馬車での打ち合わせを思い出す。
そうだ、もう入場した時から、あたし達は夫婦(仮)なんだ。
あくまでお仕事のお手伝い。
まずは主催の侯爵さまへの挨拶。 そこまでは、ちゃんとやり切らなきゃ。
あたしは気合を入れ直そうと、オジさまの腕から一度手を離し、両手でぺちぺちと頬を叩く。
場所が場所だからあまり強くは叩けないけど、気持ちは切り替わった。
今からあたし達は、夫婦(仮)……
「…………」
オジさまの目は優しい。
いつかまた、その眼帯の下の左眼で、あたしを見てほしい。
あたしにしては前向きな気持ち。
きっと、このステキなドレスのおかげだね。
勇気とキレイをありがとう。
頬を叩くという一連の奇行を見届けていたオジさま。
再び、紳士なサマで、右手を軽く差し出してくれる。
あたしも淑女を意識して、そっと左手を差し出して、ふんわり腕を絡ませる。
「さあ、行こう。 ……ハルネ」
「はい。 ……ヴァルさま」