死病の花嫁は薬商伯爵に溺愛される~大正政略結婚、不遇令嬢の幸福論~
「悔しかったですし、悲しかったです。ハンカチで口もとを覆われたときは、胸がえぐられるような思いでした。でも……旦那様が真っ先に、私をかばってくださったから。それだけで私は十分でした」

 外の景色を眺めながら、私はそっと目を伏せた。
 紹子さんから言われた言葉は、これからも時折思い出して胸を痛めることになるだろう。
 だけどそれ以上に、篤志さんが迷いなく私の味方になってくれたことのほうが、しっかりと記憶に残っている。

 ◇◇◇

 天澤の屋敷に戻ると、夕暮れの光が廊下に差し込んでいた。
 玄関でちょうど居合わせたお義母様が、私たちの様子に何かを感じ取ったのか、珍しく心配そうな顔でこちらを見つめている。

「……嵯峨野様のお宅で、何かあったの?」

 いつもなら深く踏み込んでこないお義母様の問いかけに、私は少し驚いた。

「少し、いろいろとございました。でも大丈夫です」

 微笑んでそう答えると、お義母様はそれ以上尋ねず、静かに居間のほうへ戻っていった。
 やはり噂のことが気がかりなのだろうか。

 自室に戻って着替えを済ませた私は、なんとなく気持ちが落ち着かず、鏡台の前でぼんやりと座り込んでいた。
 労咳という言葉を聞くたびに、あの日々の記憶が呼び起こされる。
 父の咳、母の涙、千太の痩せていく身体――どれだけ時間が経っても、完全に癒えることのない傷が私の胸には残っているのだ。
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