死病の花嫁は薬商伯爵に溺愛される~大正政略結婚、不遇令嬢の幸福論~
「萬代のことも、噂のことも、俺が必ずどうにかする。だから……」
「いいえ」

 私は彼の胸に顔を埋めたまま、小さく首を横に振った。

「旦那様おひとりに背負わせたくありません。私も妻として、堂々と胸を張って生きていきます。今日みたいに」

 しばらく沈黙が流れたあと、彼の小さく笑う気配がした。

「そうだったな。琴乃はそういう人だった」

 それはからかうような口調ではなく、感心する気持ちが込められていた。
 篤志さんは身体を少しだけ離すと、真っすぐに私の顔を覗き込む。

「なら、俺は隣で支えるだけにしよう。琴乃が立ち向かうときは、いつもそばにいる」
「はい」

 私はようやく自然な笑みを浮かべることができた。
 窓の外はすっかり日が暮れて、部屋には行灯のやわらかな灯りが揺れている。

 ふと、篤志さんと触れ合ったこれまでの記憶が頭をよぎった。
 宴席の帰り、車の中で初めて握られた手の温もり……。
 あのときも十分に胸が高鳴ったけれど、今夜のように真っすぐ抱きしめられたのは初めてだ。
 私たちのあいだにある遠慮がちな距離が縮まり、夫婦としての絆が強まったような気がして、胸の奥がじんと熱くなる。

「琴乃」

 篤志さんが、もう一度静かに私の名を呼んだ。

「あらためて思ったんだ。琴乃は……この家にとっても、俺にとっても、なくてはならない人なんだと」

 その言葉が嬉しくて、胸がいっぱいになって、うまく返事ができなかった。
 代わりに私はもう一度、彼の胸にそっと頬を寄せた。

「……ありがとうございます」

 やっとの思いで声を絞り出した。
 彼はそんな私の頭を、壊れ物にでも触れるように、優しく撫でてくれた。

 私は篤志さんと一緒なら、これから先、どんな噂や偏見にも立ち向かっていける。
 そんなふうに確信した夜だった。

 この日を境に、天澤家の中の空気が、少しずつ変わり始めていることに、私はまだ気づいていなかった。
 それらはまだ小さな兆しに過ぎなかったけれど、ゆっくりと何かが動き始めていた――。
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