死病の花嫁は薬商伯爵に溺愛される~大正政略結婚、不遇令嬢の幸福論~
第十章 百年でも、この手を離さない
 真夜中に庭先で篤志さんと過ごしたあの日から、数日が経った。

 早朝に目を覚ますと、障子越しにやわらかな光が差し込んでいる。
 しばらくのあいだ、布団の中で天井をぼんやりと見上げながら、私はあの夜の記憶を辿っていた。
 額に触れた唇の感触、月明かりの下で見つめ合った篤志さんの力強い瞳……。
 不意に思い出すだけで、自動的に胸がきゅんとして高鳴ってくる。

 この家に嫁いできたばかりのころには、これほどまでに彼の存在を大きく感じることになるなんて、まったく想像していなかった。
 父の縁で天澤家に引き取られたようなものだと思っていたけれど、私たちは夫婦なのだと改めて意識してしまった。

 朝食を食べたあと、仕事に向かう篤志さんを送り出す。
 その後、居間へ向かおうとしたところ、千草さんと廊下で出くわした。

「お義姉様、おはようございます!」

 満面の笑みで声をかけられた私は、一瞬驚いて、返事をするのが遅れてしまった。
 彼女は本を買いに行ったあの日以来、朝に顔を合わせることがあると、こうして自分から挨拶をしてくれるようになったのだ。
 それまでは挨拶どころか、目を合わせてすらもらえなかった。
 ツンとした表情で、すれ違いざまに視線を逸らされるのが日常だった。それはまだ記憶に新しい。
 だからこそ、こんなふうに屈託のない笑みを向けられることに、まだどこか違和感がある。
< 134 / 151 >

この作品をシェア

pagetop