この恋は、業務提携外につき。 ―最悪の相手と、最高の商品を。―
会議が終わった。



――正確には。




終わらせた。

これ以上続けたら、たぶん私が何か余計なことを言う。

もしくは、向こうがまた何か言って、今度こそ本当に私の堪忍袋の緒が切れる。

そう判断した蓮が、かなり強引に会議を淡々と進めて締めたのだ。

「では本日の意見を一度両社で持ち帰り、次回までにそれぞれ具体案を整理するということで――」

最後のまとめも。

「本日はありがとうございました」

という挨拶も。

私は、ほとんど上の空だった。

そして今。

私は白樹食品本社ビル、一階。

自動販売機の前にいた。

「……ありえない」

ガコン。

ボタンを押す。

落ちてきたペットボトルを、乱暴に取り出す。

隣では蓮が私をなだめる。

「いや、アカリ」

「何あれ、何なの、ほんとに」

「アカリ」

「人の会社に来て初回の会議であれ言う!?」

「声」

「しかもお父様に大事に育てられたんでしょうねって何!?」

「声大きいって」

「聞かれたっていい!」

「よくない!」

蓮が慌てて辺りを見回す。

幸い、昼前のロビーはそこまで人が多くない。

それでも、受付付近にいる社員が何人かこちらを見ていた。

「ちょっと冷静になれって」

「なれるわけないでしょ!」

私はペットボトルの蓋を勢いよく開けた。

「そもそもさ!」

「うん」

「今日って何の会議?」

「……合同プロジェクトの初回会議」

「そう!」

私は蓮を指差す。

「今日は、お互いがどういう方向性で考えてるのか意見を出し合う場でしょ?」

「まぁ、そうだな」

「別に、こっちだって『白樹案で絶対進めます』なんて一言も言ってない」

「うん」

「ハンウ側に違う考えがあるなら、それを出せばいいじゃん。『うちはこう考えています』って」

「うん」

「なのにいきなり『その方向性では業務提携する意味が薄い』って何!?」

また声が大きくなって、蓮が、しーっと口元に指を当てる。

私は一応、少しだけ声を落とした。

「こっちの案を否定するところから入る必要ある?」

「まぁ……言い方は強かったよな」

「強かったっていうか。」

ごくごくと水を飲む。

全然、怒りが収まらない。

「意見が違うのはいいの。むしろ違って当然だと思ってる」

「うん」

「日本と韓国で市場だって違うし、会社の考え方だって違う。だから一緒にやる意味があるんでしょ?」

「そうだな」

「だったら最初は、お互いの考えを知るところからでいいじゃん」

私は、ふぅっと息を吐いた。

「それなのに、なんであんな喧嘩売るみたいな言い方するのよ」

「……」

「人の案を潰す会議じゃないの。意見を出す会議なの」

そう、それが、私が一番腹が立っていた。

私だって。

ハンウ食品側がまったく違う案を持ってくることくらい想定していた。

むしろ、違う考えが出てきた方が面白いと思っていた。

だからこそ、今日決めたかったのは、正解じゃない。

方向性だった。

両社が何を大切にしているのか。

どこまで挑戦したいのか。

どこにリスクを感じているのか。

それをすり合わせる。

最初の会議とは、そういうものだと思っていた。

なのに。

あの男は…。

「……気に入らない」

「知ってる」

「ほんっとうに気に入らない」

「さっきからそれしか言ってない」

「もういっそ、このプロジェクト白紙にしてやろうかな」

「は?」

蓮の目が丸くなる。

「ちょっと待て」

「だって無理」

「無理じゃない」

「無理」

「アカリ!」

「あの人と何ヶ月も新商品作るんでしょ?」

「…仕事だからな」

「毎回あんな感じなら、絶対無理」

「だから冷静に――」






「白樹部長は、感情でプロジェクトを白紙にするんですか?」

――え。

低い声が。

背後から落ちた。

私は、ゆっくり振り返る。

数メートル先。

エレベーターホールの前に。

ハン・スヒョンが立っていた。

その隣には、イ・セヨンさん。

「……」

…おそらく、聞いてたのだろう。

普通なら、ここで顔が青くなるんだと思う。

やばい!とか聞かれた。

どうしよう――とか。



でも、スヒョン…この男の顔を見た瞬間。

そんな気持ちは、一ミリも湧かなかった。

むしろ。

「……感情だけだと思ってます?」

口から出た。

「アカリ」

蓮が即座に私の腕を掴む。

「ちょっと待て」

「離して」

「いや、離さない」

「白樹部長」

スヒョンがこちらへ歩いてくる。

その顔は相変わらず冷静で。

それがまた腹立つ。

その高い身長で、私を見下ろしながら言う。

「先ほどは随分と立派なことをおっしゃっていましたが」

「何でしょう」

まだ、言いたいことがあるのか。

私は受けてたった。

「意見された程度で、プロジェクトそのものを白紙にしたいと言う。それこそ、随分と感情的では?」

「程度?」

私の眉が、思わずぴくっと動く。

「あなた…考えを最初から否定しておいて、程度?」

「否定したのではありません」

「しましたよね?」

「問題点を指摘しただけです」

「だから、その言い方が――」

「では」

スヒョンが言葉を被せた。

「本当に良い案だと思いましたか?」

「……何がですか」

「白樹食品が提示した案です。

両社ともに、すでに乾麺やインスタント麺では十分な実績がある」

淡々と。

スヒョンは続ける。

「それにもかかわらず、共同開発の一つ目も同じカテゴリー。既存技術を掛け合わせて、失敗しない商品を作る」

「失敗しない商品なんて言ってません」

「発想としては同じでしょう」

「違います」

「私にはそう見えました」

「……」

「正直に言えば」

一拍。

この男が、わざと間をためて言う。




「がっかりしました」





「……は?」

また…こいつ!

「こんな大掛かりな提携をして」

スヒョンの目が、まっすぐ私を見る。

「両社の名前を使い、予算を使い、人員を集める。それなのに、最初に出てくる案が『これまで得意だったものを、これまで通り作る』だった」

「これまで通りなんて言ってません!」

「カテゴリーを出ないという意味では同じです」

「だから、そこを一緒に考えるための会議でしょう!」

私は思わず一歩前へ出た。

蓮がすぐに止める。

「アカリ、いい加減に…!」

「だって!」

私は蓮の手を振りほどく。

「私は、今日の段階で完成した答えを持ってこいなんて思ってない!」

スヒョンを見る。

「今日は初回なんです!お互いが何を考えてるか、それを知るための会議だった」

「私は違います」

彼は即答だった。

「……何ですって?」

「初回だからこそ、どこまで考えてきたかが分かる」

「……」

「この規模のプロジェクトに参加する以上、少なくとも自社の既存枠から抜け出すくらいの発想は必要だと思っています」

「それはあなたの考えでしょう」

「ええ」

「だったら、それを出せばいいじゃないですか!」

「出しました」

「人の案を頭ごなしに馬鹿にする前に!」

「馬鹿にはしていません」

「してるでしょ!」

「評価しただけです」

「その評価が失礼だって言ってるの!」

「アカリ!」

蓮がとうとう私の肩を掴んだ。

「もう本当にやめろ」

「だってこいつ――」

「こいつって言うな!」


私に釣られて声が大きくなった蓮が、頭に手を当てて必死に冷静になろうと自分を抑える。

それを見て私も少しだけ冷静になる。

横を見ると。

セヨンさんも伏せ目がちで、明らかに困っている。

蓮も顔色が悪い。

二人とも、完全に同じ顔をしていた。

お願いだからやめてくれ、と。

顔にそう書いてある。

でも。

止められない。

スヒョンも止める気がない。

「そもそも」

スヒョンが口を開く。

「新しい顧客を取り込みたいと言いながら、既存顧客の反応ばかり気にする。その考え方が矛盾している」

「既存顧客を大事にすることの何がいけないのよ!今まで自社製品を愛してくれたお客様じゃないの!」

「だから、その考え方が保守的だと言っている。」

「っ!!あんたね、」





その時。 






「アカリ?」

聞き慣れた声がした。

「……え?」

私は。

ぴたりと止まった。

そして。

その場にいた何人かの社員が、ざわつき始める。

「社長……」

「ハンウの会長も一緒だ」




私はゆっくり声のした方を見る。

「……社長?」

そこにいたのは。

白樹食品代表取締役社長。

白樹隆一郎。

私の父だ。

そして、その隣に。

見覚えのある男性がいた。

事前調査の時、雑誌やニュースで何度も見た顔。

ハンウ食品会長。

ハン・ヨンチョル。

「……会長?」

隣から。

今度はスヒョンの声が聞こえた。

私はスヒョンを見る。

スヒョンも驚いた顔をしていた。

「なんで……」

私とスヒョンの声が。

ほぼ同時に漏れる。

父はそんな私たちを見て、笑った。

「なんだ、二人とも。そんなに驚くことか?」

「いや、驚くでしょ」

思わず素で返す。

「なんで会長と一緒にいるの?」

「少し食事をしていてな」

「食事?」

「ヨンチョル会長が日本に来ると聞いていたから、せっかくだしと思ってね」

ヨンチョル会長も、大きく笑う。

「隆一郎さんに素晴らしい店へ連れて行ってもらったんだ」

……隆一郎さん?

私は思わず父を見る。

何、この距離感。



「スヒョン」

ヨンチョル会長が息子を見る。

「会議はどうだった?」

「……」

一瞬。

スヒョンが黙る。

私も黙る。

どうだった? どうだったって…。

最悪でした、と言えるわけがない。

「……有意義でした」

スヒョンが答えた。

嘘つけ。

思わず横を見る。

すると、スヒョンもこっちを見た。

目が合う。

――お前も何か言え。

そう言われているような気がした。

「……そうですね」

私は無理やり笑う。

「とても、〝刺激的〟な会議でした」

刺激的、間違ってない。

スヒョンが「余計なこと言うな」という目で見てくる。

「そうかそうか!」

父が嬉しそうに頷く。

「いやぁ、良かった」

良くない。…全然良くない。

「今回の提携は、私たちにとってもかなり大きな挑戦だからな」

父が言う。

「白樹が日本で培ってきたものと、ハンウ食品が韓国で築いてきたもの。これを若い世代がどう組み合わせるのか、私はすごく楽しみにしているんだ」

「私もですよ」

ヨンチョル会長が笑う。

「特にこの二人なら安心だ」

この二人。会長も父も、私とスヒョンを交互に見る。




……なんだか、嫌な予感しかしない。




「アカリ」

「……はい」

「スヒョンさんと、しっかり協力してな」

――無理!!

喉まで出た。

でも。

その前に。

「スヒョン」

今度はヨンチョル会長が言う。

「白樹さんから学べることは多い。変な意地を張らず、きちんと力を合わせなさい」

「……そうですね」

スヒョンの返事が。

さっきまで私と喧嘩していた人間とは思えないくらい素直だった。

私は思わず見る。

……あんた。

会議でもそれくらいおとなしくしてなさいよ。

するとスヒョンがこっちを見る。

――何ですか。とでも言いたげな顔。

……腹立つ。




「そういえば隆一郎さん」

ヨンチョル会長が急に話題を変える。

「次のゴルフですが」

「ああ!」

父の顔がぱっと明るくなる。

「来月でしたよね?」

「そうです。韓国でどうです?」

「韓国?」

「良いコースがあるんですよ」

「それはぜひ」

……。

「そのまま数日、韓国を案内しますよ!」

「本当ですか?」

「もちろん」

「じゃあ妻も連れて行こうかな」

「ぜひぜひ!」

……。

ちょっと。

何。

…なんか、めちゃくちゃ仲良くなってる。

「社長、待ってください。」

私は口を挟む。

「ん?」

「今回のプロジェクトのことで――」

「ああ、そうだアカリ」

「何?」

思わず家にいる時のような口調になる。

「せっかくだから、お前も韓国へ行ってくるといい」

「……は?」

「ハンウ食品の工場も見せてもらいなさい」

「いや、私は――」

「そうだ!スヒョンに案内させればいい」

ヨンチョル会長まで入ってくる。



「……」

私は。

固まった。

慌ててスヒョンの方を見る。

スヒョンも驚いていた。

何か言おうとしたのか、口を開けている。

「それはいい!」

父が笑う。

「現場を知るのは大事だからな」

「そうですね」とヨンチョル会長。

「そうだ、スヒョン君も日本にまだいるなら、白樹の工場をアカリに案内してもらうといい」

待って。

どんどん話が進んでる。

「いや、まだそこまで――」

「楽しみにしているからな」

父が。

私の肩をぽん、と叩いた。

「今回の商品」

満面の笑み。

「二人で、良いものを作ってくれ」

…………。

何も。

言えなくなった。

プロジェクト。

白紙にしてくれ、なんて絶対言える空気じゃない。

…最悪。

本当に、最悪。

父たちはその後も。

「韓国ならどの季節がいい」

とか。

「ゴルフの後は何を食べる」

とか。

「今度は家族同士で」

とか。

どんどん楽しそうに話し始める。

私はその場に立ったまま。

ぼーっと二人を見た。 





終わった。

全部終わった。





横から。

「……はぁ」

大きなため息が聞こえた。

見ると、そのため息はスヒョンだった。

眉間を押さえながら。

心底疲れたように息を吐いている。

その顔を見て、私はまた腹が立った。

何よ。そのため息。

ため息つきたいのはこっちなんだけど。

「……」

「……」

また目が合う。

でも今度は何も言わなかった。

言ったらどうせまた喧嘩になる。

そのくらいはさすがに分かる。

少し離れたところでは蓮とセヨンさんが同じような顔で私たちを見ていた。

――やれやれ。

たぶん二人とも心の中ではまったく同じことを思っていた。


すると、父が徐に携帯で誰かと話し始める。

ヨンチョル会長に笑顔で目配せしながら何か話している。

電話を切ると、





「アカリ、早速明後日からスヒョン君と二人で工場まわりをしてきなさい」






一瞬。


何を言っているのかわからなかった。

隣のヨンチョル会長は何やらとても喜んでいる。

「いやぁ、スヒョン。素晴らしい機会をいただいたね。アカリさんに白樹のことを色々教えてもらいなさい!」

「アカリも白樹の代表として、しっかり案内するんだぞ!」



頭が真っ白になる。

工場?案内?

二人でって…スヒョンと?

「お、おとうさ…」

「じゃあ!父さんたちはこれから別件の打ち合わせだからな」



そう言って、社長と会長…父親二人は二人で仲良く話しながら姿を消した。





あぁ…神様。

どうか嘘だと言ってください…。
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