軍医と傷読みの花嫁 ~閉じこもり薬師は、傷もちの旦那様に愛される〜



「この調剤台を、診察机の代わりにしておくれ」
 継母の翠が改装したまま使われずにいた、店の奥の空間。
 そこへ薬棚や椅子を運び込み、まっさらな診療録を整えていく。
 作業を手伝いながら、源一郎が言った。
「翠に余計なことをされたと思っていたが……ちょうどよかったな」
 少し可笑しそうに笑う。
「どうやら今は、町工場で働いているらしい」
「俊朗さんは……助けてくれなかったのですね……」
 凪は消毒液を並べていた手を止めた。
「自業自得だ。同情する余地もない」
 将臣が淡々と言い放つ。
 その言葉に、凪は小さく頷いた。
 ふと、将臣が店の奥から新調した暖簾を取り出してくる。
「あっ、私も手伝います」
 凪も駆け寄った。
 その暖簾は、山吹色の布地に、真新しい文字が染め抜かれている。
「以前より、少しだけ大きくなりましたね」
 凪が愛おしそうに暖簾を撫でる。
「そうだな」
 将臣もどこかくすぐったそうに笑みを浮かべた。
 その作業の途中、凪の視線が、将臣の手にある傷痕に留まる。
 それは──将臣が実家を出る際に、結丸がつけた傷。
 凪は思わず、傷に手を伸ばしかけた。けれど、その手は触れる直前でぴたりと止まった。
「傷を……読まないのか?」
 将臣が静かに不思議そうに尋ねる。
 凪は少しだけ、誇らしげに目を細めた。
「私は……将臣様の言葉で聞きたいのです」
 そっと手を下ろした。
「その傷は……どうされたのですか?」
 将臣は目を見開き──そして、ふっと頬を優しく緩めた。
「それなら……長い話になるが、いいか?」
「はい」
 凪も微笑み返す。
「時間は……たくさんありますから!」
「みゃあ!」
 結丸が店先で可愛らしく鳴き、二人は弾かれたように振り返った。
 そこには、晴臣と将臣の父が立っていた。
「父上……! 晴臣……!」
 将臣の声が、ぱっと弾む。
「来てくれたのか!」
「おっほん!」
 父は気まずそうに大きく咳払いをした。
「いや……猫の顔を見に来ただけだ」
 そう言いながら屈み込み、結丸をそっと抱き上げる。
「みゃあ」
「……変わりはないな」
 しばらく不器用に結丸を撫でていた父が、ようやく顔を上げた。
「それから……」
 将臣と凪を交互に見つめ、再び咳払いをひとつ。
「祝言には……来てやってもいい」
「……!」
 将臣も凪も、目を丸くしたまま、言葉が出ない。
 父の隣で晴臣が口元を押さえ、可笑しそうに息を漏らす。
「父上は……いや、なんでもありません」
「晴臣。なんだ」
 父がじろりと晴臣を見る。
「私が強情なのは……父上似だとわかりました」
「……」
 父の眉がぴくりと跳ねた。
 将臣がたまらず吹き出し、凪も声を立てて笑った。
「何を笑っている!」
 父は不機嫌そうな顔を装い、結丸を抱き直した。
 けれど、その口元はどこか気恥ずかしそうに、ほんの少しだけ緩んでいた。





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