軍医と傷読みの花嫁 ~閉じこもり薬師は、傷もちの旦那様に愛される〜
1話 いらない子と傷のある軍医
麒麟堂薬舗は今日も乾いた当帰や甘草の香りに満ち、西陽が店内を橙色に染めていた。店の入り口にある帳場では、凪の父・源一郎が帳簿をつけている。
中央の分厚い作業台には、秤や分銅、乳鉢と乳棒が並べられている。その奥座敷からは、ゴリゴリという薬研の音が絶えず響いていた。
凪は兄の薬研で薬草を挽いていた。薬研を転がすたび、艶やかな前髪が揺れる。紺色の着物に掛けた前掛けは、ところどころ紫色に染まっていた。
「紫根軟膏も残り少ない……今日のうちに仕立てておかないと」
石の擦れる乾いた音が部屋に響く。紫根は少しずつ細かな粉へと変わっていく。凪は手を止め、刷毛で深い紫色の粉を受け皿へ落とした。それを温めていた胡麻油へ加えると、油は淡いうす紫色へと染まっていく。
「しばらく置いて濾して、それから蜜蝋を──」
その時だった。店先から激しく咳き込む声が聞こえた。
凪は草履を履き、急いで父のもとへ向かう。
帳場では父の源一郎が肩で息をしていた。
「父上っ、奥でお休みくださいっ……!」
源一郎は凪の差し出した手へ視線を向ける。しかし、その手を取ることなく帳簿へ目を戻した。
凪は視線を落とし、宙に浮いたままの手をそっと握り締める。
「大丈夫だ。治らん喘息だな。薬を飲んでいるというのに」
源一郎は眉間に皺を寄せた。息をするたび、ゼイゼイという喘鳴が凪の耳にも届く。
「空気も乾燥していますから、悪くなりやすいんです。どうか、ご無理はなさらないでください」
凪は前掛けの前で指を組んだ。
「ああ。そろそろ店を閉める時間だな」
そう言いながらも、源一郎は最後まで凪と目を合わせない。
「……暖簾を下ろしてきますね」
凪が入り口へ振り向いた時だった。
一人の娘が入ってきた。