軍医と傷読みの花嫁 ~閉じこもり薬師は、傷もちの旦那様に愛される〜
「職場から緊急の呼び出しが入りました」
はっと我に返った将臣は、膝の結丸を静かに脇へ下ろし、立ち上がった。玄関先で遠藤と短い言葉を交わすと、すぐに居間へ戻ってくる。
「凪。今夜は先に寝なさい」
「は、はい」
(初夜は……先送り、ね)
凪の顔に、隠しきれない安堵の色が浮かぶ。
それを見た将臣は、小さく息をついた。
「凪」
「はいっ!」
再び身を硬くした凪へ、将臣の口元から「ふっ」と笑みがこぼれた。そして、一拍、凪の顔をどこか慈しむように見つめる。
「……大丈夫だ。私たちは、ゆっくり夫婦になれればいいと思っている」
(ゆっくり、夫婦に……)
その低く穏やかな声に、凪の身体からふっと余計な力が抜けた。自分を気遣い、大切に守ろうとしてくれる将臣の温もりが、胸いっぱいに広がる。
素早く着替えを済ませた将臣を、凪は結丸を抱っこして玄関で見送る。
「初日から一人にさせてしまい、すまない」
将臣が軍帽の鍔に手をかける。
抱えられた結丸が「みゃーん」と短く応えた。
「お前がいれば安心か。凪を頼んだぞ、結丸」
この一人と一匹のやり取りに、凪の唇から心からの笑みが溢れ出た。
「お気をつけて行ってらっしゃいませ」
「ああ」
将臣が軍帽を深く被り直す。先ほどまでの穏やかな空気が、すっと消えた。軍医少佐としての鋭い眼差しに戻る。
だが、初めてあの傷を見た時の「怖い」という思いは無くなっていた。
今は彼の何気ない優しさに、心地よささえ感じている。
彼は一度も振り返らず夜の闇に溶け込んでいった。
すると、腕の中から結丸が身軽に飛び降り、土間から家の中へと戻っていく。振り返り「みゃん」と短く鳴いた。
凪は『早く家に入りなよ』と促されているように聞こえる。思わず、口元がゆるんだ。
「ふふ……まるで、彼が言っているみたいね」
ようやく凪の足が、家の中へと動く。
戸をしっかりと閉め、天井を見上げた。
そこには、年月を重ねた太い梁が渡っている。
(ここが、私の家なんだ)
すっと前を見据えた。
(ここでなら……将臣様となら、やっていけそう)
胸の奥に、じんわりと心地よい温かさが広がっていった。