軍医と傷読みの花嫁 ~閉じこもり薬師は、傷もちの旦那様に愛される〜
4話 読んではならない傷



 空気がさらりとした朝だった。
 二人は座卓に座り、凪が作った朝食を囲んでいた。
 静かに箸が動く。将臣は黙々と口に運ぶ。その澱みない動作を、凪は目で追ってしまう。
「昨晩は、お疲れ様でした。お疲れも取れないのに、すぐに出勤だなんて」
「ああ。軍病院とは、こんなところだ。もう、身体も慣れた」
 そう言いながら、味噌汁を静かに口へ運んだ。
(よかった。お口には合っているみたいで)
 凪はゆっくりと縁側のその先に視線を向ける。
「あの畑……。耕してありました」
 一瞬だけ、将臣の手が止まる。
「……まあ」 
 将臣はそれだけ答え、焼き魚へ箸を伸ばした。まるで、何でもないかのような表情で。
「……桐谷も薬草には詳しかったな」
 口に入れた魚の身を、随分と長く噛み続ける。
 将臣の言葉を待っていた凪が先に口を開く。
「私が……薬草を育ててもよろしいのですか?」
「もちろんだ。使いなさい」
 決して『準備しておいた』とは言わない。
(私のために、そこまでしてくれるのですね)
 込み上げる嬉しさを閉じ込めるように、凪は息を詰めた。

「どうぞ」
 出勤の見送りに、凪が重い革の鞄を渡す。
「行ってくる」
 将臣は自然にそれを受け取った。
 土間の戸の前で、将臣が振り返る。
「そうだ、凪」
 その表情は、軍医ではなくこの家にいる将臣の顔だった。
 思わず、凪の胸がどきんと跳ねる。
「今夜、簡単な祝杯をしよう。準備して欲しいものがある」
「何でしょう?」
 将臣は少しだけ考えるように視線を落とした。凪は不思議に思い、首を軽く傾げる。
 そして、将臣はゆっくりと口を開いた。
「──結菓子だ」
 その言葉に、一瞬だけ凪の息が止まる。
(兄様が褒めてくれた菓子を、将臣様も知っているのね……)
 込み上げる思いに、凪は軽く唇の内側を噛んだ。
「かしこまりました。準備いたします」
 将臣の表情が、今までにないほど綻んだ気がした。
「みゃーん」
 その時、二人の間に結丸がやってくる。不満げに将臣を見上げている。
「忘れてはいない。結丸も一緒に、だな」
 将臣が額を軽く撫でると、結丸は満足げに目を細めた。

 早速、凪は縁側で結菓子を作り始めた。持参した薬草袋から、ニッキを取り出し、薬研に小さく砕いて入れた。そして、ゆっくりと擦り始めた。
 縁側いっぱいに甘く柔らかな香りが広がる。
 ふっと兄の笑顔を思い出す。
(将臣様も……この香りをかいでいたのかしら)
 薬研を動かす手が、どこか軽かった。
 乾燥した餡とニッキを混ぜ、成型し乾かす。
「ふう。終わった」
 一息つくと、凪の真横に結丸がやってくる。ゴロンと寝そべり、日向ぼっこを始めた。
「ここ、気持ちいいものね」
 凪が結丸を撫でると、頭に映像が流れてきた。

 ──毛がボロボロでヨタヨタと歩く三毛猫。それを長い指の男性が手拭いで掬い上げた。三毛猫は「みゃーん」か弱い声で鳴く。「大丈夫だ」聞き覚えのある声は、それだけを呟いた。
(緑の軍服……このお姿は──

「凪さん」
 外からの声に、凪ははっと顔を上げた。そこには、将臣の母親が立っていた。
「野菜のお裾分けにきたわ」
 腕に抱えた竹籠には、茄子、胡瓜、枝豆がたくさん入っていた。
「えっ。あ、ありがとうございます」
 突然の訪問に凪は慌て廊下に手をつき、立ちあがろうとする。
「まあ。座ったままでいいのよ」
 母親は籠を縁側へ置き、腰を下ろした。
「結丸ったら、離れに住み着いたのね。将臣っこだから、仕方ないけど」
 ふふと上品に笑う。
「あの……結丸は迷い込んだのではなく、将臣様が助けたのですか?」
「そうよ。あの子が結丸を助けたの」
(やはり)
 母親は結丸の身体をゆっくりと撫でる。
「将臣はね、昔から傷ついたものを放っておけない子だったのよ」
 そして、その手が止まる。
「だから……軍医になったのかもしれないわね」
 母親の笑みが少しだけ寂しげに揺れた。
「だから、結丸も助けたのですね……」
(将臣様は、やっぱり優しい人なんだ)
「でも、よく知っているわね。あの子、あまり自分の話をしないのに」
 凪は曖昧に笑う。
 この力だけは、誰にも話せない。
「昨日はごめんなさいね、主人が頑固ものだから。凪さんの居心地が悪くないか心配していたの。でも……将臣もわかっているようね」
 また、柔らかな笑みを浮かべた。
「十分な心遣いを受けておりますから、どうぞご安心ください」
「何かあれば遠慮せずに言ってくださいね」
「ありがとうございます」
 凪は丁寧に頭を下げた。
(将臣様は、私の居場所を作ろうとしてくださっている)
 そう思うだけで胸が温かくなる。
 この家でなら、将臣様となら、少しずつ歩いていける気がした。







 
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