軍医と傷読みの花嫁 ~閉じこもり薬師は、傷もちの旦那様に愛される〜
結局、凪は実家へは足を延ばさず、安藤家へ戻った。
玄関には将臣の革靴があった。
「凪! 遅かったな。どこまで買い物に行っていたんだ!」
結丸よりも先に将臣が現れた。
その顔を見た瞬間、お茶会からずっと重く沈んでいた凪の胸が、すっと軽くなっていく。
将臣が腕を組み、不機嫌そうに小さく息を吐いている。
(そんなに遅かったかな)
外はまだ明るく、夕餉の刻までは十分な時間があった。
(もしかして……)
「私を心配してくださったのですか?」
「……いやっ、その……今日の夕餉はなんだ」
凪はきょとんして将臣を見る。
「それを、お尋ねになりたかったのですか?」
「は、腹が減ったのでな」
将臣は不自然に視線を逸らした。
(……不器用だけど、こうして私を案じてくださる……)
ほんの少しの言葉だけで、胸の奥があたたかい光で満たされていく。
「ふふ。今日は焼き豆腐の田楽です。遅くなってすみません、すぐに準備いたしますね」
凪は微笑むと、急いで自室へと向かった。
将臣はその後ろ姿を、安堵の表情で見送った。
遅れてやってきた結丸を抱き上げ、ゆっくりと額を撫でた。
「伝えたいことは、うまく伝わらんな……」
結丸はただ、目を細める。まるで何かを言いたげだった。
「そうだな……」
将臣は目を伏せ、口を結んだ。
(自分に、後ろめたいことがあるからか……)
結丸が手を伸ばし、将臣の頬の傷にそっと触れた。
自室に入った凪は、衣紋掛けに掛けた質の質素な着物を、指先で静かになぞっていた。
(私は……これでいい。将臣様の側にいられるだけで……)
その指でゆっくりと唇に触れる。口の中にはお茶会で飲まされた苦い抹茶の味が、嫌な余韻となって消えずに残っていた。
ふと部屋の隅に置かれた薬研に目が留まった。漂ってくるほのかな薬草の香りに、思い浮かんだのは幼い頃の父の背中だった。
(……父上)
なぜだろう。胸の奥が、妙に嫌なざわつきを立てていた。