軍医と傷読みの花嫁 ~閉じこもり薬師は、傷もちの旦那様に愛される〜
16話 刺傷事件と心の傷



 その日は、朝から晴臣が離れに来ていた。
 往診の準備をする凪の周りをうろつく。時折、その顔を覗く。
(凪さん、いつもと変わりない……傷ついてないのかよっ⁈)
「今日は俺もついて行く。荷物持ちになるだろう」
「人手は足りている」
 将臣は晴臣の申し出をキッパリと断った。
「いいだろう、たまには! 兄上が働いているところ、見たことないし」
 将臣は呆れたように、眉を下げた。しかし、晴臣の必死の頼みに、つい承諾してしまった。


「今日は先週と同じ場所ですね」
 凪の足は迷わず進んだ。
「ああ。また来てくれと頼まれていたからな」
 下町の長屋に到着する。
 すると、道の端に痩身の顔色の悪い男が立っていた。
 
(体調が悪そうだな)
 将臣はそっと近づく。
「診察をご希望ですか?」
 目の下にクマを作った男は、ジリジリと土を踏む。
「……軍医殿。今日も、飄々といらっしゃったのか……」
 下から睨めつけるように将臣を見据える男に、晴臣は異変を感じ取る。
(この男……殺気を感じるんだが)

 男はか細い小さな声で呟く。
「兄を……後回しにしたのは……なぜだ?」
 凪と晴臣は、不思議そうに首を傾げた。
 しかし──将臣だけが、目を見開いた。
 そして、ごくりと喉を鳴らした。
「はっ? 兄上、こいつ変だぞ」
 晴臣が前に出ようとした。
 しかし、将臣は晴臣の身体の前に腕を伸ばし制した。
「……兄上⁈ なんで止めるんだ」
 眉を寄せた晴臣は、将臣の横顔を見た。
 将臣は目を逸らさず、じっと聴いている。
「将臣様?」
 いつもと様子の違う将臣に、凪もその横顔を覗いた。
 彼はまるで、術でもかけられたようにじっとしていた。

「……兄が戦死して、家業が潰れたよ……軍医、あんたが見殺しにしたせいでな!!」
 男はふらっと将臣に近づくと、袖下から短刀をさっと取り出し、刃先を将臣に向けて振り被った。
「あっ、危ないっっ!!」
 凪と晴臣が叫んだ瞬間、その刃は振り落とされたが、将臣はすんでの距離で避けた。同時に、晴臣は男に体当たりをした。飛ばされた男は道に倒れ込み、肘を痛がってその場に転げ回った。
「痛いっ。痛い!!」
「だ、大丈夫ですか?」
 凪が反射的に傷を確認しようと近付いてしまった。
 その時、弱々しく痛がっていた男の目が、獲物をとらえる猛禽のように光った。
「……同じ気持ち、味合わせてやる……」
 標的が凪へと変わった。
 男の足が地を蹴る。
 だが、凪は恐怖で足がすくみ動けない。

「凪!!」
「凪さん!!」

 二人が一斉に凪へと向かう。
 それよりも早く男が起き上がり、刃物をまっすぐ凪へと突き出した。
「きゃーっっ」
 金切り声と同時に、凪の目の前に将臣の背中が見えた。
 凪を守るように、両腕を広げて──
(えっ──なぜ?)
 同時に、晴臣が男の腕を掴み取り、豪快に上へと捻り上げた。
「いでででっ!」
 腕の筋が異様なほど浮かび上がった男は、泣き出すように痛がり膝から崩れていった。
「暴れるな!!」
 晴臣は逃げようとする男を、ありったけの力で押さえ込んだ。
「兄上っ、凪さんっ!! 大丈夫か⁈」

 しかし──凪の目の前に立ちはだかっていた将臣が──ゆっくりと崩れ、地面に膝を付いた。
「将臣様……⁈」
 急いで将臣の正面に回り、凪はその光景に息を止めた。
 将臣が苦悶の表情で脇腹を押さえ込んでる。その手からは血が滲んでいた。シャツが瞬く間に赤く染まっていく。将臣は青白い顔で、耐えるように目を瞑っている。
「いや……」
 凪は一瞬、何も考えられない。血の気だけが引いていく。
 しかし、現実を理解した瞬間、凪の手は迷わず動き出す。
 凪は手ぬぐいを取り出し、服の上から押さえつけた。
「いやだっ!……将臣様っ、いやです……!!」
 凪の抑える手にも生温かい感触がまとわりつく。
(死なないでっ!!)
「だ、誰かっ! 手を貸してください!!」
 凪は精一杯の声で叫んだ。
 悲鳴を聞きつけ、近所の者たちが飛び出してきた。
 そして、将臣は病院へと運ばれた。






< 76 / 83 >

この作品をシェア

pagetop