軍医と傷読みの花嫁 ~閉じこもり薬師は、傷もちの旦那様に愛される〜
「薫子さんが、お見舞いに?」
目を覚ました将臣に、凪がそう伝えた。
「はい。果物をお持ちになられて……お会いになりますか?」
凪は将臣の小さな反応を見逃さないように見ていた。
将臣は布団に視線を下ろして、黙り込んだ。
「薫子さん……とても心配そうなお顔をしていました」
(これは本当だから)
「……また、傷口が開いてはいかんのでな。今日のところはお引き取りいただいて、お気持ちだけ受け取ったと伝えておくれ」
「あ……は、はい」
(将臣様は薫子さんのこと……一体どうお思いなのかしら)
凪はすぐには立てずに、将臣の様子を窺ってしまった。
「どうした?」
凪は小さく頭を振って、玄関先で待つ薫子の元へ向かった。
「そうですか……。残念ですが、今は回復が最優先ですわね」
薫子は長い目を伏せた。
「お気持ちは、しっかりと受け取りましたとおっしゃっておりました」
「まあ。将来、軍医総監にもなられるお方に、そう言っていただき嬉しいですわ」
薫子は頬を綻ばせた。首を傾げると、簪の金の蝶が揺れてきらりと輝いた。
(この簪は……あの時の?)
凪の胸がぐっと押さえ込まれたように、息が止まる。
薫子はそれをしっかりと見ていた。簪が凪へ向くように、身体を斜に構えた。
「今度、正式に司令部へ異動になるというのに、将臣様は現場にこだわっておられるとか……」
凪は簪から目を逸らせない。
ふっと笑い、薫子が前に向き直った。
「きっと、凪さんを気遣って、ご自身の出世まで諦めようとしているのね……」
「……どういう意味でしょう?」
凪が眉を寄せる。
薫子が手を添えて囁く。
「お二人の結婚、将臣様のお父上に、認められてないそうですね」
ひゅっと凪の喉が鳴った。思わず、握った指に力が入る。
「この先、夫の出世には、妻の実家の力が必要です。財力、人脈、地位名声……。お薬作りなんて能力、安藤家は必要としていないということですわ」
先ほどの『女中としては合格』と言った、憲一の不満そうな顔が浮かんだ。
凪の視界がぐらりと揺れ、壁に手をつきたくなる。
「私だったら夢を諦めさせるなんてできませんわ。将臣様は優しいから、きっと何もおっしゃらないでしょうけれど……」
薫子は小さく頭を振って、ため息をついた。そして、パンと手を叩くように、表情を切り替える。
「あっ、お見舞いの品をお渡ししておきますねっ」
桐の箱には、艶のある薄茶色の梨が五つ並んでいた。
「立派な梨ですね。食欲が落ちた時に、ちょうどいいですね」
凪は丸々としたそれを見て、なんとか言葉を絞り出した。
薫子は口に手を当て、我慢ならないように小さく笑い出す。
「凪さん。立ち振る舞いが……まるで女中さんのようで、ほっとしますわ」
顔を引き攣らせた凪に、薫子がそっと近寄る。
「恋愛ごっこは、もう終わりにしてさしあげたら?」
凪の引き結んだ口が震えているのを見てから、薫子は踵を返した。
「ふふふ。では、失礼いたします」
「将臣様、梨を持って……」
凪が切った梨を盆に乗せて部屋に入ると、将臣は再び横になって眠っていた。脇には読みかけの本が伏せられている。
手に取るとそれが医学雑誌であった。中を読んでも、凪の目は滑るだけで、ため息が出た。
「休んでいても、お勉強なんですね……」
梨を卓に乗せてから、窓を開けた。乾いた風が凪の頬を優しく撫でた。窓際に座り込んで、外を眺めた。
肘をツンツンと押されて腕を上げると、そこには結丸がいた。
凪の膝へとすっと乗り込み、丸くなった。
その額をそっと撫でる。
「もう、ご飯の時間ね。お腹、空いたかな」
「桐谷……」
そのうわ言に、凪の手が止まり将臣へと振り返る。
彼は寝ていた。
「……すまない……」
(まだ……背負っているの?)
指をぐっと握った。
(それは……兄様の代わりの私といるからではないの?)
薫子や父の言葉が蘇り、凪は眉を寄せて、目を閉じた。
「私……ここにいて、いいのかな……?」
「みゃーん」
結丸が撫でろと凪の手を突いた。
凪は瞼を開き、懸命に催促する結丸を見て、微笑んだ。
「あなたは、必要としてくれるのね……」
凪は結丸を撫でながら、ぼーっと夕陽を眺めていた。
誰に聞かせるわけでもなく呟く。
「私がいなければ……将臣様は、もっと自由だった……」
凪は弱音を隠して、空を見上げた。
「……愛しているからこそ、身を引くべきなのかもしれない」