禁死篇 ~成人前に亡くなったけど、異世界で元気にがんばってます。

兄上の親友  ①

 船が岸に着くとグレイスは真っ先に下船して、船から下りてくる常連客を見送ろうと準備した。いつもなら守り役のリヒトとオプスキュリテもグレイスに従うのだが、今日は自分の担当する常連客をエスコートしている。

(最後まで気を抜いてはいけないわ。お客様にご挨拶を…)

 既に暗くなっているので、グレイスの周囲に立っているメイドたちが、魔石の入ったカンテラで足元を照らしてくれる。月も星もある夜でそれなりに明るいのだが、花祭り期間の舟乗り場は人が多くて混みあっている。小さな魔石でライトアップされた夜の花を観賞する外歩きの者も大勢いた。


「きみ、さっき意地悪された船に乗っていたね?」

 背後から若い男がグレイスに声をかけてきた。薄暗い中で振り向くと、中肉中背の青年が笑顔で立っている。

(えっ、この方は誰…?)

 服装からおそらく貴族だろうと判断して、グレイスは相手の顔にカンテラを向けないように配慮した。相手の顔を直接照らすのはマナー違反なのだ。身分の高い人にカンテラを向ける時は、たいてい足元を照らす。

「あぁ」
 何を思ったのか、若い男はグレイスの隣に立つメイドのカンテラをヒョイと自分の胸元に向ける。
「怪しい者じゃないよ!」


 カンテラの光が彼の姿を照らし出した。金髪を短く切り揃え、服装は派手ではないが身ぎれいで感じがいい。彼はグレイスの目線に合わせて、少し腰を落とす。瞳の色が澄んだ緑色で、エメラルドのようにきらきらしていた。

「嫌な思いをしたね、大丈夫だった?」
「大丈夫です。ありがとうございます」

 グレイスは少し緊張しながらも丁寧に応じる。
(…誰かしら? 先ほど船争いを仕掛けてきた中型船の貴族では、ない…?)


 初対面の貴族には注意が必要だ。グレイスがドキドキしながら応対していると
「ああいう馬鹿なことをする人間がいるから、貴族の評判が悪くなるんだ。せっかくの舟遊びなのに、無粋なやつらだよね! そう思わない?」
 彼はグレイスに肩をすくめて見せる。なんと答えたらいいのかわからなくて、グレイスは目をぱちくりさせた。


(えーと、この方はどなた…?)

「おい、オリバー! すぐに迎えの馬車がくるぞ!」
 少し離れたところに立っている大柄な男性が、彼に声をかけてきた。

「叔父上が呼んでる! じゃあね、気をつけて…」
 金髪の青年はにっこり笑うと、グレイスに手を振って足早に去っていく。「えぇ? 結局誰だかわからないままじゃない…?」グレイスはポカンと呆れてしまった。

(あの大柄な男性……クリスティ公爵の船で花火を打ち上げていた人かしら? それじゃ今の「オリバー様」は、さっきの大型船に乗っていたのかも?)


 グレイスは見知らぬ貴族が自分に声をかけてきたことに驚いた。アルテミス商会で貴族との「お付き合い」はたくさんある。けれども、身分差と立場の違いがあるので彼らはグレイスの友達ではない。あくまでビジネス上のお付き合いなのだ。


(もしかして、先ほどの青年は本当にわたくしを心配して声をかけてきたのかもしれない。……ずいぶん貴族らしくない、フレンドリーな人だわ…)



 オプスキュリテが焦った様子で、セカセカこちらに歩いてくる。彼も手に小さなカンテラを持っている。
「…グレイスさま、今の男に何かされましたか?」

 お得意様に挨拶をしていて、こちらにすぐ来られなかったらしい。オプスキュリテに心配そうな表情で顔を覗きこまれた。

「いいえ、大丈夫よ。今の方は……大型船に乗っていたご貴族のようです」
「大型船だろうと中型船だろうと、不逞(ふてい)の輩(やから)は排除しませんと…」

 オプスキュリテが薄く笑う。オプスキュリテのひんやりする笑顔を見ながら、グレイスは先ほどのオリバーが、大型船の甲板で中型船を指さして何やら文句を言っていた少年だと気がついた。

(そうか、中型船を指さしていた少年だわ。…あれがオリバー様だったのね!)
 近い距離で見ると、彼は少年ではなく成人した青年だったのだとグレイスは納得する。


 馬車を待っているオリバーの隣に、同じ背格好の青年が並んで立っていた。グレイスからは顔が陰になって見えないけれど、シルエットに何となく見覚えがある。ほんの十日ほど前に会ったばかりだ。


(……もしかして、アトス寺院のサイラス様?)

 彼らはステップを踏んで、迎えにきた二頭立ての馬車に乗り込んでいく。馬車につけられた紋章は、ドイル男爵家のものだった。従者が高く掲げたカンテラに、一瞬だけ水色の髪が照らし出された。

(水色の髪、ドイル男爵家。…やっぱりサイラス様だわ)


 この場にサイラスがいたと知って、グレイスはもやもやした気分になった。見知らぬオリバーがグレイスを心配して声をかけにきてくれたのだ。それなのに、いちおう面識のあるサイラスは自分を無視したのか…。オリバーと一緒に声をかけに来てくれてもいいのに。

(…別にお友達ではないけれど…。サイラス様って意外と冷たい方かも?)
 グレイスは少しムッとした。…心配してくれたっていいんじゃない? 



 リヒトがディクスン伯爵令嬢をエスコートしながら、ゆっくり下船してきた。周囲を女性客に囲まれながら、さかんにジョークを飛ばしている。ディクスン伯爵令嬢は人目を惹く美貌の持ち主だが、リヒトを独占せずに貴族女性たちと仲良く上品にふるまう人なので、社交的なリヒトと相性が良い。


 リヒト派の執事とメイドがカンテラを掲げて、お客様の足元を明るくしていた。リヒトの言葉にみんながワッと沸き立つように笑っている。本当にリヒトは女性の扱いが上手(うま)い。誰一人不快な気持ちにさせずに、女性客を捌(さば)いている。


「グレイスさま。美しい皆様がお帰りになるというので、私はとても悲しい気分です。楽しい時間が永遠に続けばよいのですが!」
「楽しい時間は、あっという間に過ぎるものですよ」

(リヒトのことだから、本気で言っているのでしょう。…本物の女たらしね)
 グレイスはムムッと口を閉じる。


「またリヒトのところにお買い物に伺いますわ」
「わたくし、新しい夏のドレスを仕立てたいと思っておりますの。相談に乗ってくださいね!」
「わたくしも!」

 女性客が口ぐちにリヒトと「次の約束」を結び始める。リヒトとの次の約束は注文に結びつくので、アルテミスにとってはありがたい。


「リヒトに相談してデザインしてもらった冬のケープは、夫にとても褒められましたのよ」
 侯爵夫人がおっとりと笑う。その笑顔に、リヒトは悲しそうな顔で抗議する。
「お願いですから、私の前でご主人や恋人の話をなさらないでください。悔しさのあまり、二日は食事が喉を通らなくなります!」

(みんな笑っているけれど、リヒトは本気で言っているのでしょう。……アレは間違いなく本気の目だわ)

 グレイスは引きつった笑顔のまま、少しの間だけ固まった。リヒトは本物の女たらしで、本物の女好きだ。おそらく世界中の女性を愛しているのではないだろうか。

「獅子は一夫多妻の生き物で、すべての女性を愛するのが義務なのです!」と真顔で言っていたから、人間とは価値観が違うのだと思う。リヒトは獅子の化身で、グレイスとはまったく違う生き物なのだ。
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