禁死篇 ~成人前に亡くなったけど、異世界で元気にがんばってます。

兄上の親友 ②

(それはそうと、オプスキュリテはアシモフ公爵令嬢と上手くやっているかしら?)

 グレイスはリヒトからオプスキュリテに目を向ける。オプスキュリテは同じ獣の化身でありながら、リヒトとはまるきり性質が違っている。

「私とオプスキュリテは陰陽で対を成すので、とても相性がいいのです。だから人間の世界に行くことを決めた時に、オプスキュリテを誘ったのですよ」とリヒトは言うのだが、ふたりの「相性がいい」というのは仲が良いという意味ではないらしい。

 陽の性質を持つリヒトと、陰の性質を持つオプスキュリテは補完関係にあるらしい。リヒトたちの住んでいた世界では、人間の世界よりも呪(まじな)いや魔法を重視する。

「私のリヒトという名前は光や明るさを意味します。オプスキュリテは暗さや陰を意味します。我らは対になるととても強いのですよ!」
 リヒトはそう説明したが、リヒトに請われてやってきたオプスキュリテが何をどう思っているかはわからない。


 アシモフ公爵令嬢に挨拶をしているオプスキュリテの表情は、ここからだと見えない。グレイスに完全に背を向けている。

 アシモフ公爵家はオプスキュリテが担当している名門貴族だ。公爵令嬢ともなると仕立てるドレスの枚数も多くなり、品質も高いものを求める。ドレスにはアクセサリーやバッグ、靴なども合わせることになるから、オプスキュリテが商談する時間も回数もずば抜けて多い。

 オプスキュリテは美しい若者なので、たくさんの隠れファンがいる。リヒトを取り巻く女性たちが明るく社交的なのに対して、オプスキュリテのファンは大人しく控えめである……と、グレイスはずっと思っていた。

 しかし、その大人しくて控えめなオプスキュリテファンの中から、アシモフ公爵令嬢・ソフィアに嫌がらせをする者が出てきたのだ。


「ソフィアさまはお金持ちの公爵家で、おそらく自分は下位貴族なので嫉妬でもしているのではありませんか?」
 リヒトは勝手に決めつけて「他人を妬んでも、爵位が上がるわけではないのにな! 馬鹿馬鹿しいことだ!」とニヤニヤ笑っている。

 リヒトは面白がっているが、グレイスは困っている。

(トラブルは困るわ。恋人を探しているなら、そういうお店を当たってほしい…)


 少女といえども、グレイスはアルテミスの女主人である。貴族が夫や妻以外の愛人を欲しがるのはよく知っていた。そういうゴシップも耳に入る。実際に綺麗な顔の男性を集めて、金持ち相手に商売をするお店だってあるのだ。けれども、アルテミスはそういうお店ではないし、そんな風に思われたくもない。


 グレイスがくよくよ悩んでいるところに、オプスキュリテがソフィアをエスコートしてやってくる。彼女は去年アルテミスで仕立てた春物のドレスを身に着けていた。白い光沢のあるドレスに、ベールのような虹色のレースを重ねて襞(ひだ)にしている。

 ソフィアは大柄で、プラチナブロンドの髪と青い瞳の女性だ。銀髪で青い瞳のオプスキュリテとどこか似通っているように思える。頭が小さく手足の長いモデル体型なのだが、ミニヨンでは小柄な女性が好まれるので、ソフィアの容姿はむしろマイナスになっていた。


「グレイス、今日はありがとう。アルテミスのお花見はいつも素晴らしいわ」
「ソフィアさま、お褒めにあずかりありがとうございます」

 グレイスはドレスの裾を軽くつまんで、しっかりと頭を下げた。アシモフ公爵家はミニヨン有数の家柄なので、ソフィアのご機嫌が気になる。

「グレイスはオリバー様とお知り合いなのね?」
「えっ…」
 思いがけないことを言われて、グレイスは軽く顔をあげた。

「先ほど、オリバー様に声を掛けられてお話していなかった?」
「…あっ、先ほどの船争いの件でご心配いただいたようで、声を掛けてくださったんです」
「あら、オリバー様らしいわ!」
 公爵令嬢が声をあげて、楽しそうに笑った。ソフィアの打ち解けた笑顔を初めて見たグレイスは驚く。

(ドイル男爵家のオリバー様は、ソフィアさまのお知り合い…?)
 グレイスはソフィアの笑顔にオリバーへの好意を嗅ぎ取った。…ソフィアさまはオリバー様がお気に入りみたい? 


「わたくし、オリバー様よりふたつ下のクラスだったのだけれど、学校でそれは人気があったのよ。オリバー様は男性にも女性にも人気者でした」
「…そうなのですか?」
「ええ。すごくお優しくて、下級生で庇ってもらったことのある子は多いんじゃないかしら? わたくしたちの学校って、すごく上下関係が厳しいの。下級生の頃はみんなびくびくしているのよ」

 下級生で庇ってもらったことのある子が多い…。ソフィアさまもオリバー様に助けて貰ったり、庇ってもらったことがあるのかもしれない。グレイスはそんなことを思った。

 グレイスには家庭教師が雇われているので、学校に通ったことがないのだ。貴族の学校はそんなに厳しいのかと驚いた。

「我が家では家庭教師なので、わたくしは学校に通ったことがないのです」
「貴族もだいたい家庭教師をつけているのだけれど、学校では人間関係や社交を学ぶのですよ。これは貴族には欠かせない、とても大切なことなの」
「…人間関係ですか?」
「ええ、人間関係。それにしても、わたくしもオリバー様にご挨拶できればよかったわ。オリバー様を素通りしたなんて、イサキオス兄様に叱られてしまう」

 ソフィアはふふっと上品に笑う。

「イサキオス様も…オリバー様とお知り合いなのでしょうか?」
「お兄様とオリバー様は同窓生なのです。イサキオスはオリバー様のことを『親友』だと言っていますわ。……うちの兄は引っ込み思案で、学生時代にオリバー様にずいぶん助けていただきました。おかげで今では多少社交が身について、両親はオリバー様に感謝しております。兄とご一緒すると、今でもよくオリバー様の話題が出るのです」

 グレイスは(まぁ…)と目を瞠る。
(貴族同士の関係というのは、本当にいろいろあるのだわ)

 グレイスは目から鱗の思いでソフィアの話を聞いていた。公爵の方がはるかに身分が上なのに、彼女やイサキオスは男爵家のオリバーに憧れに近い思いを抱いている。

 身分社会の貴族でも、身分の上下だけでは語れない人間関係がたしかに存在する。外から見ていたら絶対にわからないことだ。
(当たり前だけれど、貴族も人間なのね……)


 オプスキュリテが上手にソフィア嬢のご機嫌を取れるか気を揉んでいたのだが、偶然にもオリバーに救われた。とにかくソフィアが機嫌よく帰路についてくれて、グレイスはほっとする。

 アシモフ公爵家は学者肌で扱いの難しい家系と噂されている。ミニヨンで唯一の公爵家であり、大きな功績を持つ名家なのでグレイスも気が抜けない。

 ソフィア嬢の乗った大型馬車を見送りながら、グレイスは
「……オリバー様をあれだけお好きならば、ソフィアさまはオプスキュリテよりもリヒト向きのお客様かしら?」
と考えた。

 少しおしゃべりしただけだが、オリバーはオプスキュリテよりも、リヒト寄りの人だと思う。ただアルテミスでは、よほどのことがなければ担当替えはしないのだ。



 従者に手を取られてソフィアが大型馬車を降りると、庭師に整えられた木々の間からぬうっと男が顔を覗かせる。

 同じ金髪でも、オリバーのサラサラの金髪とは艶が違う。とうもろこしのヒゲに似たパサパサの金髪に、夜なのに何故か麦わら帽子を被っていた。

 男は棒の先に虫捕り網を括(くく)りつけたものを持っている。わざわざカンテラを灯してまで、趣味の虫捕りをしているようだ。ソフィアはイヤイヤをするように頭を振った。

(…これが次期公爵となる男だとは、誰も思わないでしょうね)
ソフィアは気を取り直して作り笑いを浮かべる。


「あら、お兄様? お久しぶりです。四ケ月ぶりくらいかしら?」
「あぁ、四ケ月ぶりだな。冬の間は隣国(アウソニア)に転地していたんだ。私は寒さが苦手だから」

 兄は虫捕り網を振り回しながら応じる。

(嘘おっしゃい。冬は昆虫採集ができないから、虫恋しさに暖かい国に行っていただけでしょう?)
 ソフィアはフッと笑う。

「まぁ、羨ましいことね」
「寒いと気が塞(ふさ)ぐから、私は冬が苦手だ」
 あら、これは本音ね。

「……今日、わたくし懐かしい方をお見掛けしましたわ。ドイル家のオリバー様…」
「オリバーか! 元気そうだったかい?」

 虫捕り網を振り回す手を止めて、珍しくイサキオスが目を輝かせる。ドイル家のオリバーは学生時代からの兄の友人だ。学者肌で人の好き嫌いがはっきりしているイサキオスの、唯一の友人といってよい。

「距離が遠かったので、残念ながら声はかけませんでした。今日はアルテミスで舟遊びがあって、アルテミスの船が『どこぞのクソ貴族』に嫌がらせを受けましたのよ!」

「…あぁ、だから私は花祭りが苦手なんだよ。必ず喧嘩沙汰が起きるだろう? 少しばかり良い場所で花見をするために、場所取りの喧嘩だぞ? 本当に信じがたいよ!」
 イサキオスは大袈裟に肩をすくめる。

(暴力沙汰が苦手といえば聞こえがいいのですが、兄はとにかく気が小さいのです。まぁ、わたくしだって同様ですが…)

 ソフィアは今日の出来事を掻(か)いつまんでイサキオスに話し始めた。


「それで、下船した時にオリバー様がグレイスに声をかけていたんですの」
「……グレイス? たしかアルテミスの『子供主人』だろう?」
「それを言うならば『女主人』ですよ。お兄様」

「どっちでもいいだろ。それよりも、ドイル家の御用達はアルテミスではないだろう? たしかタイタンだ」
 イサキオスはうるさそうに手を振ると、グレーに近い青い瞳でソフィアを見返す。

(わたくしも兄も小さいことが気になるタイプなので、どうでもいいことで言い争ってしまいます。争いを嫌う人間同士なのに、おかしなこと…)
 
「お兄様は本当にドイル家にお詳しいこと! ドイルの御用達でなくとも、オリバー様は嫌がらせを受けたアルテミスに同情したのではないかしら? お優しい方ですもの」
 ソフィアは半分まぜっ返すように笑いながら答える。

「なるほど、オリバーらしいなぁ!」
 イサキオスが実に嬉しそうに笑っている。

「オリバー様は貴族には珍しく、性格の良い方ですから」
「…お前、身も蓋もないなぁ」



 兄のイサキオスは、まるでわたくしが非常識な女のようにおっしゃいますが、お兄様にだけは言われたくありません! 

 大きな声ではいえないけれど、アシモフ家の人間は変わり者揃いなのです。そもそも我が一族が公爵の身分になれたのは、ご先祖様が変わり者だったからですもの。


 その昔、ミニヨンで大きな疫病が流行(はや)りました。その疫病に効く特効薬を生み出したのが、わたくしたちのご先祖様です。

 ええ、その素晴らしい偉業は貴族学院で使われる教科書にも載っております。貴族なら誰でも、アシモフ家の功績を知っているのです。

 ご先祖様が「国民を救いたい! 領民たちの命を守りたい!」などという高尚な気持ちから研究に没頭したのなら素晴らしいのですが、もちろんそうではありません。

「どうせいつ死ぬかわからんのだから、好きなことをやって死にたい!」

 ご先祖様の研究日誌には、堂々と書いてあります。むろん、一族の者以外には伏せられておりますが。

 教科書に載るような偉人が、実のところ自分勝手な恥ずかしい人間だったと世の中の人に知られたくございません! 

こんなみっともない話、世間に公表できませんわ。貴族としての矜持(きょうじ)がなさすぎますもの! 


 疫病の流行でバタバタ人が倒れていく中で、「明日は我が身か! もうどうにでもなれ!」とばかりに研究漬けの毎日を送り、その結果たまたま、本当に運よく……瓢箪から駒、棚から牡丹餅で特効薬が生まれたのです。


 わたくしたちのご先祖は、カビが大好きだったのです。兄が昆虫を愛するように、ご先祖様もカビを愛していたようです。

 そのお陰で疫病に効く特効薬を生み出すことができたのですから、文句は申しません。申しませんが……。

 結局、ご先祖様はカビで健康を害して亡くなりました。当時住んでいたお屋敷はカビだらけで、彼の死後に引っ越しせざるを得なかったようです。

 父からこの昔話を聞いて、「…イサキオス兄様の昆虫の方がまだマシ!」と子供心に思いました。


 イサキオスは子供の頃から筋金入りの昆虫好きだったので、わたくしはおぞましい虫に囲まれて、たびたび悲鳴をあげながら成長したのですけれど…。


「イサキオス兄様、四ケ月ぶりなのですから、お茶くらいご一緒しませんか?」

 玄関口でいつまでも立ち話を続けるのは、さすがに勘弁して欲しいです。

 わたくしも貴族の端くれなのだから、カンテラを灯しながら夜間の昆虫採集にはお付き合いできませんわ。いくら〈変わり者公爵家〉の一員でも…。
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