同期のエリート警察官に、偽装彼女を頼まれました
第二部

古傷と、ホットミルク




 
 日向が交通課へ異動になり数日が経った。
 
 夏樹は書類を手に軽い足取りで階段を上がった。
 セキュリティゾーンの手前で右に曲がり、天井から吊り下がる交通課の案内板の先へ進む。
 市民が手続きや相談に訪れる一般エリアは、常に開放的だ。
 
 開け放たれたドアの向こうに日向の姿が見える。
 
「――日向君」
 夏樹は小さく声を掛けた。
 日向は許可書の整理をしていた。 
「あ。結城さん」
 にこ、と微笑まれた。
 日向の表情も地域課にいた頃より穏やかに見える。

「――結城。書類出来た?」
 執行エリアから桐が出てきた。秋は深まり肌寒くなってきたのに、桐は腕をまくっている。
 夏樹は会釈した。
「はい。お持ちしました」
 差し出された手にファイルを渡した。
「相変わらず仕事が速いなあ」
 中身を捲り、最後のページまで確認する。
 桐は「確かに」と言ってファイルを持った手を下げた。
「……」
「……」
 だが桐に立ち去る気配がない。不思議に思っていると「――山口が」と話し始めた。
「はい。彼女がなにか?」
 夏樹は聞き返した。
 桐は自分の短髪を触りながら切り出した。
「この前ちょっと妙なことを言ってて。ずっと気になってたんだけど」
「!」
 ……あ、あれかあ……、
 夏樹は時間差で舞華との会話を思い出した。
 ――舞華が、夏樹の片想いの相手を桐だと勘違いしていたことを。

「それ、忘れてもらっていいですか?」
「ん?」
「……ええと、そうじゃなくて……」
 焦って言ってから、ハッとする。
 舞華が桐に何を言ったのかまで聞いていないのに、結論を急いでしまった。
「はは。結城でもそんな風に動じることがあるんだな」
 桐が鼻先を擦りながら笑った。
「とにかく、そのうち飯でも行こう」
「え……」
 夏樹は思わず、日向を見てしまった。ちら、っと。
 日向は面白くなさそうな顔をしている――ように見えた。
 夏樹の視線を追って桐が日向を見下ろした。
「……あ。日向君とは同期で」
 言ってから、しまった、と思った。
 日向との仲を否定してるニュアンスに聞こえたかもしれなかった。
「そうか。――日向、結城をよろしくな」
「……はい」
 日向が低い声で頷いた。
 夏樹はますます焦った。
 日向の前で、桐との方が親しい空気が流れてしまった。

 執行エリアから警察官が出動する慌ただしい足音が聞こえてきた。
「――また事故だな」
 桐もすぐに気づいた。
「頑張ってください」
 夏樹は見送った。日向との会話に戻したいがためだった。
 桐が「ははっ、なんで早口なんだ」と笑って、なぜだかからかうように夏樹の頭に手を置いた。「行ってくるよ」
 
「……」
「……」
 日向とふたりになった。
 日向は机の一点を見ていた。肘をついた側の片手が口元を覆っている。
  
 ……もしかして、嫉妬……してたり?
 夏樹は息を詰めて日向のつむじを見つめた。

 自分の勘違いでなければ、光琉のことを聞かれたあの時と同じ……。

 ――「日向さん、手止まってますけど、分からないところありましたか?」
 突然、会話が割り込まれた。
 交通課の一般行政職員、瑞木志緒(みずきしお)だ。
 夏樹たちより二つ下。特に親しくはないがもちろん接点はある。
 
「――あ。これでいいのかな」
 我に返ったように日向が書類に目を落とした。  
「どれどれ……」
 志緒が日向のすぐ横に来た。ロングヘアが日向の肩に触れる。
「“ここ”が違います」
 書類の一か所を指す。
「あれっ、でも――」
 日向が志緒に顔を向けた。
 ……近い。
 志緒が日向の指先からペンを抜いた。
「どっちも間違いじゃないけど、“こっち”の方が正解なんです」
 そう言って紙の上にペンを走らせた。
「そうなんだ……知らなかった」

「……」
 ――ここは職場……
 夏樹は自分に言い聞かせ、失礼しました……、とひとこと置いて、逃げるように交通課を後にした。


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