ハ シ ル !
第九話「理由に縛られていた人」
大会前日。
スマホのグループメッセージがポコポコと鳴っていた。
明日の本番、楽しみましょう。
笑顔で終わりましょう。
全員で、襷を繋ぎましょう。
そんな内容だった。
私は、既読を付けずに読んだ。
自分の部屋の机には、明日のためのハチマキとゼッケン。
ハチマキに書かれた自分を除く8人分のメッセージは、文字がぎゅうぎゅうで、つぶれていた。
そしてその隣に佇むクッキー缶。
リビングからこっそり持ち出したものだけど、甘い香りもしなければ、揺らして聞こえるのは紙のこすれる音。
蓋を開けた中に入っているのはたくさんの写真——陸上をしていた時の。
もう……見ないつもりだったのに。
私は、一枚、また一枚と箱から取り出した。
初めて公式の大会で優勝したとき。
母と父に潰されるように挟まれていた。
泣いてるのか笑ってるのか、分からない。
入賞すら出来なかった大会。
悔しくて大泣きしている。
母は私を抱きしめながら大笑い。
初めて本格的なシューズを買ってもらった時。
靴を両頬に当てて、おどけている。
背後の窓ガラスに、笑顔でシャッターを押す父が写り込んでいた。
中学の写真は、ほとんど部活の仲間との写真。
「……顔、終わってるし」
私は、いつだって不貞腐れていた。
トロフィーを抱えていても、メダルを首にかけていても。
この頃から、笑っている写真なんて、ほとんど無かった。
ほんと、なんで走ってたんだろ。
ずっと、自分は走ることが好きなんだと思っていた。
中学では結果ばかりを求めて、好きなのかどうかも分からなくなって。
今は少し違うような気がするのに、それが何なのか、分からない。
ある一枚に、飛鳥が写っていた。
二人で車の前で撮られたような写真だった。
あいつ、またふざけてるし。
「……」
別の一枚を手に取る。
膨れっ面でそっぽ向いてる私の肩を抱く母。
また、一枚。
私の後ろで、自分の物のようにトロフィーを掲げて立つ父。
手を繋いで全員でバンザイする部活のチームメイト。
空高く人差し指を突き上げるコーチ。
応援しにきてくれた祖父母。
「なんで……」
視界がぼやける。
写真に雫が落ちた。
——みんな、笑っている
私じゃない。
私の周りが、笑っていた。
「……っ、」
私がどんなにひどい顔をしていても。
カメラなんか見ていなくても。
みんな、そんな私のそばで笑っていた。
次から次へと、写真に涙がしみていく。
そうだ。
私は、確かに走るのが好きだった。
けどそれ以上に
みんなの笑う顔が、好きだった。
悔しくても、嬉しくても、
そこに辿り着くまでの時間が、好きだった。
勝つためだけじゃない理由を、ちゃんと持っていたのに。
——えっ、楽しそうじゃん
いつかの相馬くんの笑顔が浮かぶ。
もう一回、と言った陽菜ちゃんの真剣な顔。
リフレッシュと笑う大平さん。
景色を見たいだけだと言う飛鳥。
後悔してないと言ってシューズを撫でた母。
窓を開けて、全部バレバレの父。
襷をつなぐ人、見守る人たちの顔が、次々と浮かんでくる。
そこには、それぞれの理由があった。
勝つためだけじゃない、速く走るためだけじゃない理由が。
きっと、どれも間違いじゃない。
走る理由は、ひとつじゃない。
私はずっと、自分の理由を見失っていた。
私の走る理由は、いつしか狭くなっていたのかもしれない。
机の上のハチマキを手繰り寄せた。
——明日は、もうどんな理由でもいいや
ペン立てからマジックを取る。
「……ハハ、隙間、無いんだけど」
私はマジックの細い方のキャップを外した。
インクを乗せた瞬間から、ブワと滲んだ。
読める、かな。
ゆっくりと、線を引っ張った。
ハ シ ル !
スマホのグループメッセージがポコポコと鳴っていた。
明日の本番、楽しみましょう。
笑顔で終わりましょう。
全員で、襷を繋ぎましょう。
そんな内容だった。
私は、既読を付けずに読んだ。
自分の部屋の机には、明日のためのハチマキとゼッケン。
ハチマキに書かれた自分を除く8人分のメッセージは、文字がぎゅうぎゅうで、つぶれていた。
そしてその隣に佇むクッキー缶。
リビングからこっそり持ち出したものだけど、甘い香りもしなければ、揺らして聞こえるのは紙のこすれる音。
蓋を開けた中に入っているのはたくさんの写真——陸上をしていた時の。
もう……見ないつもりだったのに。
私は、一枚、また一枚と箱から取り出した。
初めて公式の大会で優勝したとき。
母と父に潰されるように挟まれていた。
泣いてるのか笑ってるのか、分からない。
入賞すら出来なかった大会。
悔しくて大泣きしている。
母は私を抱きしめながら大笑い。
初めて本格的なシューズを買ってもらった時。
靴を両頬に当てて、おどけている。
背後の窓ガラスに、笑顔でシャッターを押す父が写り込んでいた。
中学の写真は、ほとんど部活の仲間との写真。
「……顔、終わってるし」
私は、いつだって不貞腐れていた。
トロフィーを抱えていても、メダルを首にかけていても。
この頃から、笑っている写真なんて、ほとんど無かった。
ほんと、なんで走ってたんだろ。
ずっと、自分は走ることが好きなんだと思っていた。
中学では結果ばかりを求めて、好きなのかどうかも分からなくなって。
今は少し違うような気がするのに、それが何なのか、分からない。
ある一枚に、飛鳥が写っていた。
二人で車の前で撮られたような写真だった。
あいつ、またふざけてるし。
「……」
別の一枚を手に取る。
膨れっ面でそっぽ向いてる私の肩を抱く母。
また、一枚。
私の後ろで、自分の物のようにトロフィーを掲げて立つ父。
手を繋いで全員でバンザイする部活のチームメイト。
空高く人差し指を突き上げるコーチ。
応援しにきてくれた祖父母。
「なんで……」
視界がぼやける。
写真に雫が落ちた。
——みんな、笑っている
私じゃない。
私の周りが、笑っていた。
「……っ、」
私がどんなにひどい顔をしていても。
カメラなんか見ていなくても。
みんな、そんな私のそばで笑っていた。
次から次へと、写真に涙がしみていく。
そうだ。
私は、確かに走るのが好きだった。
けどそれ以上に
みんなの笑う顔が、好きだった。
悔しくても、嬉しくても、
そこに辿り着くまでの時間が、好きだった。
勝つためだけじゃない理由を、ちゃんと持っていたのに。
——えっ、楽しそうじゃん
いつかの相馬くんの笑顔が浮かぶ。
もう一回、と言った陽菜ちゃんの真剣な顔。
リフレッシュと笑う大平さん。
景色を見たいだけだと言う飛鳥。
後悔してないと言ってシューズを撫でた母。
窓を開けて、全部バレバレの父。
襷をつなぐ人、見守る人たちの顔が、次々と浮かんでくる。
そこには、それぞれの理由があった。
勝つためだけじゃない、速く走るためだけじゃない理由が。
きっと、どれも間違いじゃない。
走る理由は、ひとつじゃない。
私はずっと、自分の理由を見失っていた。
私の走る理由は、いつしか狭くなっていたのかもしれない。
机の上のハチマキを手繰り寄せた。
——明日は、もうどんな理由でもいいや
ペン立てからマジックを取る。
「……ハハ、隙間、無いんだけど」
私はマジックの細い方のキャップを外した。
インクを乗せた瞬間から、ブワと滲んだ。
読める、かな。
ゆっくりと、線を引っ張った。
ハ シ ル !