再会した冷徹上司は、私にだけ過保護です
第3話 その呼び方は、昔のまま
「小日向。こないだ出してきた企画、お前がやれ」
――編集部は騒然となった。
雑誌の紙面、巻頭カラーの特集企画。
新人編集者にやらせるには、荷が重い。
「氷室さん、それは……!」
「小日向さん、まだ入社したばかりですよ!?」
「企画を出したのは、小日向だ」
冬馬先輩は無表情のまま、平然としている。
「え、あの企画考えたのは私じゃないんですけど」
私は先輩に企画を出せなくて震えていた同期の代わりに提出しただけ。
しかし、彼は真正面から私を見据える。
「お前が出した企画には違いない。出したからには、責任を持ってもらおう」
企画を考えた同期は、私の隣で震えていた。
「……わかりました」
私は頷く。
――この企画、同期のためにも、成功に導かなければならない。
「小日向ちゃんたら、災難だねぇ~」
休憩室に入ると、田島さんがいた。
彼は私にコーヒーを淹れて、カップを手渡してくれる。
「氷室ちゃん、お気に入りには厳しんだね」
「冬馬先輩なりの、信頼だと思います」
「信頼という名のプレッシャーで、新人ちゃん潰しかねないけどね」
田島さんはヘラヘラと笑いながら、しれっと恐ろしいことを言った。
「どうする? よければ、小日向ちゃんがやったことにして、こっそり俺がやっとこうか?」
「いえ。これも良い経験なので」
首を横に振ると、田島さんは驚いたように目を丸くしている。
「あらま。若い頃の苦労は買ってでもしろっていうけど、変わった子だわねえ」
「どのみち、編集の仕事を続けていれば、遅かれ早かれやる仕事だと思います」
「そりゃそうだけども。嫌な上司がいて、転職とか考えないの?」
……私は、冬馬先輩をそもそも嫌な上司とは思っていない。
今回のことも、私を成長させるための一環だと思っている。
そう素直に伝えると、田島さんはますます怪訝な顔をしていた。
「あなたたちは、一体全体どういう関係なの? ただならぬものを感じますな」
「ただの先輩後輩ですけど」
「うん、呼び名でだいたい察してるけどさ、それは」
私も冬馬先輩も、呼び方は昔のまま、ちっとも変わっていない。
先輩は昔から、私のことを「小日向」と呼んでいた。
もちろん、関係性も変わっていないはずだ。
……ふと、冬馬先輩の、いつかの言葉を思い出した。
――俺は、あの頃とは変わってしまった。
あれって、どういう意味なんだろう……。
「ま、なんか手伝ってほしいとかあったら、いつでも言ってよ。俺も、小日向ちゃんのこと、わりと気に入ってんだよね。辞められたら困るからさ」
「あはは、ありがとうございます」
田島さんの言葉は、正直、真偽の程がわからない。
彼の淹れてくれたコーヒーを飲みながら、午後の仕事に向けて、気合いを入れようと思った。
――小説雑誌『それがし』。
その巻頭に入る特集を組む。
あの企画書の通り、新進気鋭の作家の特集を作ることになった。
作家に連絡して、インタビューの約束を取り付ける。
彼の作品を読み込み、網羅した内容を作る必要があった。
その企画を進める中でも、先輩に都度指示を仰ぎ、ダメ出しを食らう。
「この一文、感情に寄りすぎている。数字で補強しろ」
「はい……!」
私はハードな仕事に、必死で食らいついた。
毎日、遅くまで残り、とっぷりと日が暮れる頃に帰る。
「うー……ん」
大きく伸びをした。
夜の編集部は、明かりが少ない。
「コーヒー、飲むか?」
「いただきます」
編集部には、もう1人、冬馬先輩がいつも最後まで残っている。
私が帰るときに、毎回先輩が駅まで送ってくれていた。
……先輩、他の人にも、こういうことするのかな?
「先輩は、いつも残って何をしているんですか?」
彼は優秀な若手エースと聞いている。
残業しなければ仕事が回らないなんてこと、ないと思うけど……。
「大したことはしていない。お前が気にすることじゃない」
「後学のために知りたいです」
「……」
私の熱意を込めた視線から、先輩がそっと目をそらした。
「……メールを、書いている」
「誰に?」
「作家だ」
見せてもらうと、とても丁寧な文面だった。
それから、彼の机の上には、彼自身がボツにした企画の数々が載っていた。
編集者には厳しくダメ出しをするが、その実、企画をもっと面白くするために、きちんと読み込んで赤を入れている。
私は、先輩の、昼とは別の顔を見た気分になった。
「先輩、真面目ですよね」
「……俺のことはいい。お前の仕事は進んでいるのか?」
「えーっと……ちょっと詰まっちゃってて……」
先輩に正直に打ち明けるのは恥ずかしい。
でも、フィードバックをもらわないと一向に進まない。
私の進捗を聞いた先輩は、壁際にある資料の入った棚を開けた。
黒い手袋をした指が、棚の中の雑誌を抜き取る。
「……これを参考にしてみろ。過去の特集だ」
「わ、ありがとうございます!」
「今度から、わからなければ素直に聞け。資料くらいは用意できる」
「はい!」
この資料があれば、なんとか進みそう。
助かった……!
「やっぱり、先輩は昔から頼りになりますね」
私が笑顔で言うと、先輩は無表情のまま、目だけを細めていた。
「……そろそろ帰るぞ。資料はデスクの上に載せて、帰り支度をしろ」
「えっ、でも、ここから……」
「今、何時だと思ってるんだ」
パッと壁の時計を見ると、そろそろ終電も近い。
慌てて帰る準備をして、先輩と一緒に出版社を出た。
「先輩に言われなかったら、編集部の床で寝て過ごすところでした」
「お前は昔からそうだな。集中すると周りが見えなくなる」
「お恥ずかしい……」
照れ笑いをしながら、駅までの道を歩く。
「――明日、改めて見せてもらう。最後までやってみせろ」
「はい!」
重要な仕事を任せてくれた、先輩の期待に応えたい。
私は先輩と反対の電車に乗り込む。
揺られながら、企画の詳細を忘れないうちに、スマホのメモに書き込んでいた。
――そして、翌日。
「……悪くない」
……この人に認められたことが、どうしてこんなに嬉しいんだろう。
――編集部は騒然となった。
雑誌の紙面、巻頭カラーの特集企画。
新人編集者にやらせるには、荷が重い。
「氷室さん、それは……!」
「小日向さん、まだ入社したばかりですよ!?」
「企画を出したのは、小日向だ」
冬馬先輩は無表情のまま、平然としている。
「え、あの企画考えたのは私じゃないんですけど」
私は先輩に企画を出せなくて震えていた同期の代わりに提出しただけ。
しかし、彼は真正面から私を見据える。
「お前が出した企画には違いない。出したからには、責任を持ってもらおう」
企画を考えた同期は、私の隣で震えていた。
「……わかりました」
私は頷く。
――この企画、同期のためにも、成功に導かなければならない。
「小日向ちゃんたら、災難だねぇ~」
休憩室に入ると、田島さんがいた。
彼は私にコーヒーを淹れて、カップを手渡してくれる。
「氷室ちゃん、お気に入りには厳しんだね」
「冬馬先輩なりの、信頼だと思います」
「信頼という名のプレッシャーで、新人ちゃん潰しかねないけどね」
田島さんはヘラヘラと笑いながら、しれっと恐ろしいことを言った。
「どうする? よければ、小日向ちゃんがやったことにして、こっそり俺がやっとこうか?」
「いえ。これも良い経験なので」
首を横に振ると、田島さんは驚いたように目を丸くしている。
「あらま。若い頃の苦労は買ってでもしろっていうけど、変わった子だわねえ」
「どのみち、編集の仕事を続けていれば、遅かれ早かれやる仕事だと思います」
「そりゃそうだけども。嫌な上司がいて、転職とか考えないの?」
……私は、冬馬先輩をそもそも嫌な上司とは思っていない。
今回のことも、私を成長させるための一環だと思っている。
そう素直に伝えると、田島さんはますます怪訝な顔をしていた。
「あなたたちは、一体全体どういう関係なの? ただならぬものを感じますな」
「ただの先輩後輩ですけど」
「うん、呼び名でだいたい察してるけどさ、それは」
私も冬馬先輩も、呼び方は昔のまま、ちっとも変わっていない。
先輩は昔から、私のことを「小日向」と呼んでいた。
もちろん、関係性も変わっていないはずだ。
……ふと、冬馬先輩の、いつかの言葉を思い出した。
――俺は、あの頃とは変わってしまった。
あれって、どういう意味なんだろう……。
「ま、なんか手伝ってほしいとかあったら、いつでも言ってよ。俺も、小日向ちゃんのこと、わりと気に入ってんだよね。辞められたら困るからさ」
「あはは、ありがとうございます」
田島さんの言葉は、正直、真偽の程がわからない。
彼の淹れてくれたコーヒーを飲みながら、午後の仕事に向けて、気合いを入れようと思った。
――小説雑誌『それがし』。
その巻頭に入る特集を組む。
あの企画書の通り、新進気鋭の作家の特集を作ることになった。
作家に連絡して、インタビューの約束を取り付ける。
彼の作品を読み込み、網羅した内容を作る必要があった。
その企画を進める中でも、先輩に都度指示を仰ぎ、ダメ出しを食らう。
「この一文、感情に寄りすぎている。数字で補強しろ」
「はい……!」
私はハードな仕事に、必死で食らいついた。
毎日、遅くまで残り、とっぷりと日が暮れる頃に帰る。
「うー……ん」
大きく伸びをした。
夜の編集部は、明かりが少ない。
「コーヒー、飲むか?」
「いただきます」
編集部には、もう1人、冬馬先輩がいつも最後まで残っている。
私が帰るときに、毎回先輩が駅まで送ってくれていた。
……先輩、他の人にも、こういうことするのかな?
「先輩は、いつも残って何をしているんですか?」
彼は優秀な若手エースと聞いている。
残業しなければ仕事が回らないなんてこと、ないと思うけど……。
「大したことはしていない。お前が気にすることじゃない」
「後学のために知りたいです」
「……」
私の熱意を込めた視線から、先輩がそっと目をそらした。
「……メールを、書いている」
「誰に?」
「作家だ」
見せてもらうと、とても丁寧な文面だった。
それから、彼の机の上には、彼自身がボツにした企画の数々が載っていた。
編集者には厳しくダメ出しをするが、その実、企画をもっと面白くするために、きちんと読み込んで赤を入れている。
私は、先輩の、昼とは別の顔を見た気分になった。
「先輩、真面目ですよね」
「……俺のことはいい。お前の仕事は進んでいるのか?」
「えーっと……ちょっと詰まっちゃってて……」
先輩に正直に打ち明けるのは恥ずかしい。
でも、フィードバックをもらわないと一向に進まない。
私の進捗を聞いた先輩は、壁際にある資料の入った棚を開けた。
黒い手袋をした指が、棚の中の雑誌を抜き取る。
「……これを参考にしてみろ。過去の特集だ」
「わ、ありがとうございます!」
「今度から、わからなければ素直に聞け。資料くらいは用意できる」
「はい!」
この資料があれば、なんとか進みそう。
助かった……!
「やっぱり、先輩は昔から頼りになりますね」
私が笑顔で言うと、先輩は無表情のまま、目だけを細めていた。
「……そろそろ帰るぞ。資料はデスクの上に載せて、帰り支度をしろ」
「えっ、でも、ここから……」
「今、何時だと思ってるんだ」
パッと壁の時計を見ると、そろそろ終電も近い。
慌てて帰る準備をして、先輩と一緒に出版社を出た。
「先輩に言われなかったら、編集部の床で寝て過ごすところでした」
「お前は昔からそうだな。集中すると周りが見えなくなる」
「お恥ずかしい……」
照れ笑いをしながら、駅までの道を歩く。
「――明日、改めて見せてもらう。最後までやってみせろ」
「はい!」
重要な仕事を任せてくれた、先輩の期待に応えたい。
私は先輩と反対の電車に乗り込む。
揺られながら、企画の詳細を忘れないうちに、スマホのメモに書き込んでいた。
――そして、翌日。
「……悪くない」
……この人に認められたことが、どうしてこんなに嬉しいんだろう。