再会した冷徹上司は、私にだけ過保護です

第5話 例外は、ただ一人だけ

「その企画は通らない」

「なぜですか?」

 ――『それがし』編集部は、一触即発の空気が漂っていた。
 冬馬先輩を睨みつける犀川さん。
 対する先輩は、相変わらずのポーカーフェイスで彼女を見据えている。

「あ、あわわ……」

 あまりにも険悪な雰囲気に、小泉さんが青ざめてぷるぷると震えていた。
 その隣で、私は冬馬先輩と犀川さんのやり取りを、じっと見つめている。

 犀川さんは、ここ数日、ずっと企画書の書き直しをしていたらしい。
 冬馬先輩にダメ出しをされ、「感情で仕事をするな、迷惑だ」とまで言われた。
 彼女にとっては、相当悔しい思いをしたに違いない。
 デスクで頬を膨らませながら、懸命に企画書にああでもないこうでもないと何やら書き込んでいた。
 そして、満を持して再提出になったようだ。

 しかし。
 冬馬先輩は無慈悲にも、また却下したというわけである。

「何度も同じことを言わせるな」

 先輩は絶対零度の瞳で、犀川さんを見据えていた。
 その視線にはおよそ感情というものが見当たらない。
 一方の犀川さんは、唇を噛み、目に涙が滲んでいる。

「……なんで私はダメなんですか」

「お前に限った話じゃない。通らない企画を作ったものは例外なく通さないだけだ」

「……は。私も今度から小日向さんに代わりに出してもらおうかしら」

「……? なぜ、そこで小日向が出てくる」

 自嘲気味に笑う犀川さんに、冬馬先輩は心底意味がわかっていなさそうな顔をしていた。
 犀川さんは眉間にシワを寄せながら、先輩をせせら笑うように言葉をぶつける。

「氷室さんって小日向さんは特別なんでしょ? もしかして、自覚ないんですか?」

 ぴしっと、氷にヒビが入るようだった。
 冬馬先輩は、わずかに目を見開いたまま、10秒ほどフリーズする。
 機械が次の行動を計算するように、微動だにしない。
 ……あるいは、計算が止まるほどの衝撃だったのか。
 やがて、先輩は静かに口を開いた。

「……犀川。これ以上、俺を失望させるな」

「――なんですって?」

「何を言い出すかと思えば、後輩に責任転嫁か?」

「はぁ……?」

 犀川さんがわなわなと震える。
 冬馬先輩は、明らかに踏んではいけない地雷を踏んでしまっていた。

「ひ、氷室ちゃん! それ絶対言っちゃいけないやつ!」

「離しなさいよ、田島ァ! この男、いっぺんぶん殴らないと気が済まないーッ!」

「犀川ちゃんも落ち着いてェ~ッ!」

 事態を把握しておらず、首を傾げる冬馬先輩。
 その先輩に飛びかかろうとする犀川さん。
 そして、犀川さんを羽交い締めにして、なんとか止めようとしている田島さん。
 編集部は騒然としていた。

 ……田島さんがなんとか犀川さんを落ち着かせたが、彼女はふくれっ面をしている。
 私は意を決して、3人のもとへ歩み寄った。

「先輩」

「……小日向か。騒がせたな」

「……」

 犀川さんが、すごい顔でこちらを睨んでいる……。
 私は気後れしつつ、冬馬先輩に話しかけた。

「あの……私も気になっているんです。どうして、先輩が私の企画を通して、犀川さんの企画を通さないのか」

 私は怯える気持ちを必死に抑えて、先輩の目を見る。
 彼の灰色の目は、私をじっと見つめ返していた。

「その……もし私を贔屓しているなら、それはやめてほしいんです。私は、自分の実力で仕事をしたいので」

 先輩が、私を特別扱いしているとしたら。
 それは、私が仕事上、有利になるのかもしれない。
 でも、それは私が嫌だから。

 私が本音を打ち明けると、先輩は目をわずかに見開く。
 それは、驚くというよりも、キョトンとしている、のほうが近かった。

「……贔屓? 俺が?」

「えっ、氷室ちゃん、やっぱり自覚なかったの?」

「そんなつもりは一切ない。お前たちにはそう見えていたのか」

 先輩は少し考え込むように顎に手を当てて俯く。
 それから、再び顔を上げた。

「……どうやら、俺の説明不足だ」

 彼は、犀川さんの企画書を手に持ち、指を差す。

「犀川。お前の企画は感情で出来ている」

「……?」

 犀川さんは理解に苦しんでいるようで、怪訝な顔。

「お前がこの作家を推しているのはわかる。だが、売れる根拠がない」

「アンタ、そうやって数字でしか物事を考えられないの?」

 食って掛かる犀川さんに、冬馬先輩は首を横に振った。

「雑誌というのは慈善事業ではない。商品として出す以上、売上を出さなければならない」

「そんなことわかってるわよ! だから、私だって必死に――」

 そこで、先輩は手で発言を遮る。

「小日向は、売れるための『根拠』を論理的に説明できる」

 そこで、今にも噛みつきそうだった犀川さんの動きがピタッと止まった。

「俺が『感情で仕事をするな』と言っているのはそこに由来する」

「あ……」

「お前は『好き』という感情だけで企画を書いている。もちろん、編集者の熱意も大事だ。だが、感情だけで雑誌は売れない」

 先輩は言い聞かせるような口調だ。

「お前が何度も企画書を書き直す羽目になったのは俺の説明不足だ。それは謝罪する」

 にわかに編集部がざわめいた。

「あ、あの氷室さんが、謝った……!?」

 ……先輩、今までどれだけの誤解を生んできたんだろう……。

「……遅いのよ」

 むぅ、と眉間にシワを寄せてむくれる犀川さん。
 ぎゅっと拳を作った手が震えている。

「じゃあ、また書き直すから、今度は私も小日向さんみたいに議論させてちょうだい」

「ああ。お前の熱意は買っている。きちんとした土台があれば跳ねる可能性はある」

「……そういうことは早く言ってよね」

 犀川さんは先輩から企画書を受け取ると、ツカツカと自分のデスクに戻ってしまった。
 野次馬になっていた他の編集者も、一件落着と見ると一斉に解散する。

「まさか、ここまで揉めるとはな」

「氷室ちゃんさあ……」

 ケロッとしている冬馬先輩に、田島さんは呆れ顔。

「……でも、小日向ちゃんを例外にしてるのは変わらないんだよなあ……」

 田島さんはそう呟いて、自分も席に戻っていった。
 その場に残されたのは、冬馬先輩と私だけ。

「小日向」

「は、はい」

「迷惑をかけたな」

「いえ……」

 なんとなく居心地が悪く、私も元の席に引き返していく。
 脳裏には、犀川さんや田島さんのいう「特別扱い」の文字が浮かんでいた。
 そういえば、先輩、私以外の人と一緒に帰ってるの、見たことない。

 ……なんで、私だけ例外なんだろう。
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