再会した冷徹上司は、私にだけ過保護です
第6話 ただの部下として
「小日向」
「……なんですか」
「お前、最近、俺を避けてないか?」
「……」
「……」
2人きりのエレベーター。
隣り合って立っている冬馬先輩が顔を覗き込んでくる。
私は、頑張って視線を合わせないようにしていた。
つい先日のこと。
犀川さんと冬馬先輩の、企画書を巡った激しいバトルがあった。
そこで私が知った事実。
――冬馬先輩が、私を特別扱いしているかもしれない疑惑が浮上したのである。
私としては、心中穏やかではない。
むしろ、有り体に言えば、ちょっと腹が立っていたりする。
以来、ここ数日、先輩を避けていたのは事実だ。
「小日向、先日受け取った〇〇先生の原稿なんだが」
「……はい」
「……?」
先輩が、デスクに座ったまま、私の顔を見上げて怪訝な顔をする。
「……なんですか」
「なにか、元気がないように見えるが」
「……そんなことは……ありませんけど」
私は目を泳がせた。
まずい。
私の業務的に対応しようとする態度が、先輩には単純に体調不良か何かに見えてるっぽい。
「それより、原稿が……なんですか」
「そんなことは今はいい」
おい。
〇〇先生の原稿を「そんなこと」って言った? この人?
「仮眠室で休んでこい」
「いえ……大丈夫です」
「いいから」
私の二の腕を掴もうとする先輩の手を咄嗟にサッと躱し、私は足早に席に戻る。
先輩の方をチラッと見ると、手を空中に浮かせたまま静止していた。
「あらぁ~、氷室ちゃん。ぷぷぷ、小日向ちゃんに嫌われるようなことしたの~?」
「黙れ田島。ちゃん付けで呼ぶな」
「え、今更……?」
田島さんが思わず真顔になる。
ああ、ごめんなさい田島さん……明らかにとばっちり……。
私は八つ当たりしだす冬馬先輩に、ますます立腹した。
なので、その日は一緒に帰らず、先輩が席を外した隙を見て先に帰ったのである。
「小日向ちゃんと氷室ちゃんって、なんかあったの?」
休憩室で缶コーヒーを飲んでいると、不意に田島さんからそんな質問。
私は目をパチパチさせた。
「え、なにか、って……」
「氷室ちゃん、小日向ちゃんに嫌われたかも~ってショック受けてたよ」
「え? 冬馬先輩が……?」
そうか、先輩だって、ショックは受けるよね……。
ちょっと悪いことしちゃったな……。
「あとで謝っときなね」
「……でも、納得いきません」
思わずうつむいてしまう。
田島さんが頭をかく音が耳に入った。
「まいったねえ……。そんなに小日向ちゃんを怒らせるなんて、何したの?」
「俺には心当たりがない」
「えっ」
反射的に顔を上げると、いつの間にか冬馬先輩が立っている。
先輩の温度を感じさせない灰色の瞳が、じっと私を見つめていた。
「今日の帰り。……逃げるなよ」
そう言い残して、先輩はそのまま立ち去ってしまう。
それもそのはずで、壁掛け時計を見れば、休憩時間がそろそろ終わるのであった。
「なはは。小日向ちゃん、ロックオンされちゃったねぇ。あのキラーマシンはしつこいぞ~」
他人事のように朗らかに笑う田島さんを、私は恨みがましく睨む。
……それも、数時間前のことだ。
今、私は約束通り、冬馬先輩に捕まり、一緒に帰ることになっている。
「小日向」
「……なんですか」
「お前、最近、俺を避けてないか?」
「……」
「……」
エレベーターには2人きりで、他に助けや横槍が入る余地もない。
いくら田島さんでも、エレベーターの天井を開けて「やあ、小日向ちゃんに氷室ちゃん」とはならないだろうし。
私は冬馬先輩が顔を覗き込んでくるのを、必死に視線どころか顔を背けていた。
顔が熱い。
ドキドキして、息が苦しいような――。
「おい、小日向。ちゃんと呼吸をしろ」
「ぶはぁ!」
横腹を突かれて、思わず息を吹き出す。
……どうやら、無意識に呼吸を止めていたらしい。
必死過ぎる。
「最近のお前は様子がおかしい」
「ほっといてください……」
すうはあと、せっせと肺に酸素を詰め込んだ。
隣の先輩は顔を覗き込むのをやめてくれない。
185cmの先輩が161cmの私に合わせるとなると、中腰になって大変だろうに。
「ほっとかない」
先輩がぽつりと呟いたので、思わず顔を向けてしまった。
その言い草が、あまりにも子供っぽくて、いつもの先輩とは思えなかったのだ。
至近距離で見た先輩の目は、不安そうに揺れている。
「何があった。俺がなにかしたなら謝罪する。説明してくれ」
縋るような口調で、両肩に手を置かれた。
――まいったなあ。
こんな状態の先輩を、このままにしておけない。
いよいよ私は観念した。
「……あの、犀川さんと先輩が企画書のことで言い争った時」
先輩は話を聞く姿勢で、コクリと頷く。
「……田島さんが、先輩が私を特別扱いしてるって言った時、私、すごく腹が立ったんです」
私は、とぎれとぎれに説明を続けた。
「……先輩、私情で、私に仕事を頼んでくれたんだって。私の実力じゃなかったんだって」
顔を上げて、先輩の灰色の目を真っ直ぐに見る。
「先輩って、私が高校の後輩だから、優しくしてくれてるんですか。他の人には厳しく接するのに、そんなの、贔屓と変わらない」
冬馬先輩は、目を見開いて、フリーズしてしまった。
感電した機械みたいに、衝撃を受けているのがわかる。
エレベーターが1階に止まった。
扉が開くと、乗り込んでくる人間は居なさそう。
「先輩」
ちょい、とスーツの袖を引くと、彼はハッと我に返る。
そのまま、一緒にエレベーターを降りると、箱はそのまま、また上の階に戻っていった。
しばらく、お互い黙ったまま、駅までの道を歩いていく。
「……すまん、小日向」
5分くらい歩いていると、不意に先輩の弱々しい声が聞こえた。
見上げると、彼はやっぱり無表情で、でも寂しげな目をしている。
「俺は、そんなつもりはなかった」
では、どんなつもりだったというのか。
先輩の弁解を聞かせてもらおうと、立ち止まった。
2人で立ち止まって、しばらく沈黙が降りる。
「――俺は、無意識のうちにお前を――」
その表情は、なにか苦々しい――いや、苦しげな……?
先輩は、ぎゅっと目をつぶったあと、再び開いた。
その綺麗な顔は、無機質な美しさも相まって、アンドロイドが再起動したように見える。
「……そうだな。俺は、お前を……」
その次の言葉を聞いた時、私は不可解な顔をしていたことだろう。
言葉の意味を理解するまで、数秒かかった。
頭の中で、心臓の鼓動が反響して、うるさい。
「――ただの部下として見れない」
「……なんですか」
「お前、最近、俺を避けてないか?」
「……」
「……」
2人きりのエレベーター。
隣り合って立っている冬馬先輩が顔を覗き込んでくる。
私は、頑張って視線を合わせないようにしていた。
つい先日のこと。
犀川さんと冬馬先輩の、企画書を巡った激しいバトルがあった。
そこで私が知った事実。
――冬馬先輩が、私を特別扱いしているかもしれない疑惑が浮上したのである。
私としては、心中穏やかではない。
むしろ、有り体に言えば、ちょっと腹が立っていたりする。
以来、ここ数日、先輩を避けていたのは事実だ。
「小日向、先日受け取った〇〇先生の原稿なんだが」
「……はい」
「……?」
先輩が、デスクに座ったまま、私の顔を見上げて怪訝な顔をする。
「……なんですか」
「なにか、元気がないように見えるが」
「……そんなことは……ありませんけど」
私は目を泳がせた。
まずい。
私の業務的に対応しようとする態度が、先輩には単純に体調不良か何かに見えてるっぽい。
「それより、原稿が……なんですか」
「そんなことは今はいい」
おい。
〇〇先生の原稿を「そんなこと」って言った? この人?
「仮眠室で休んでこい」
「いえ……大丈夫です」
「いいから」
私の二の腕を掴もうとする先輩の手を咄嗟にサッと躱し、私は足早に席に戻る。
先輩の方をチラッと見ると、手を空中に浮かせたまま静止していた。
「あらぁ~、氷室ちゃん。ぷぷぷ、小日向ちゃんに嫌われるようなことしたの~?」
「黙れ田島。ちゃん付けで呼ぶな」
「え、今更……?」
田島さんが思わず真顔になる。
ああ、ごめんなさい田島さん……明らかにとばっちり……。
私は八つ当たりしだす冬馬先輩に、ますます立腹した。
なので、その日は一緒に帰らず、先輩が席を外した隙を見て先に帰ったのである。
「小日向ちゃんと氷室ちゃんって、なんかあったの?」
休憩室で缶コーヒーを飲んでいると、不意に田島さんからそんな質問。
私は目をパチパチさせた。
「え、なにか、って……」
「氷室ちゃん、小日向ちゃんに嫌われたかも~ってショック受けてたよ」
「え? 冬馬先輩が……?」
そうか、先輩だって、ショックは受けるよね……。
ちょっと悪いことしちゃったな……。
「あとで謝っときなね」
「……でも、納得いきません」
思わずうつむいてしまう。
田島さんが頭をかく音が耳に入った。
「まいったねえ……。そんなに小日向ちゃんを怒らせるなんて、何したの?」
「俺には心当たりがない」
「えっ」
反射的に顔を上げると、いつの間にか冬馬先輩が立っている。
先輩の温度を感じさせない灰色の瞳が、じっと私を見つめていた。
「今日の帰り。……逃げるなよ」
そう言い残して、先輩はそのまま立ち去ってしまう。
それもそのはずで、壁掛け時計を見れば、休憩時間がそろそろ終わるのであった。
「なはは。小日向ちゃん、ロックオンされちゃったねぇ。あのキラーマシンはしつこいぞ~」
他人事のように朗らかに笑う田島さんを、私は恨みがましく睨む。
……それも、数時間前のことだ。
今、私は約束通り、冬馬先輩に捕まり、一緒に帰ることになっている。
「小日向」
「……なんですか」
「お前、最近、俺を避けてないか?」
「……」
「……」
エレベーターには2人きりで、他に助けや横槍が入る余地もない。
いくら田島さんでも、エレベーターの天井を開けて「やあ、小日向ちゃんに氷室ちゃん」とはならないだろうし。
私は冬馬先輩が顔を覗き込んでくるのを、必死に視線どころか顔を背けていた。
顔が熱い。
ドキドキして、息が苦しいような――。
「おい、小日向。ちゃんと呼吸をしろ」
「ぶはぁ!」
横腹を突かれて、思わず息を吹き出す。
……どうやら、無意識に呼吸を止めていたらしい。
必死過ぎる。
「最近のお前は様子がおかしい」
「ほっといてください……」
すうはあと、せっせと肺に酸素を詰め込んだ。
隣の先輩は顔を覗き込むのをやめてくれない。
185cmの先輩が161cmの私に合わせるとなると、中腰になって大変だろうに。
「ほっとかない」
先輩がぽつりと呟いたので、思わず顔を向けてしまった。
その言い草が、あまりにも子供っぽくて、いつもの先輩とは思えなかったのだ。
至近距離で見た先輩の目は、不安そうに揺れている。
「何があった。俺がなにかしたなら謝罪する。説明してくれ」
縋るような口調で、両肩に手を置かれた。
――まいったなあ。
こんな状態の先輩を、このままにしておけない。
いよいよ私は観念した。
「……あの、犀川さんと先輩が企画書のことで言い争った時」
先輩は話を聞く姿勢で、コクリと頷く。
「……田島さんが、先輩が私を特別扱いしてるって言った時、私、すごく腹が立ったんです」
私は、とぎれとぎれに説明を続けた。
「……先輩、私情で、私に仕事を頼んでくれたんだって。私の実力じゃなかったんだって」
顔を上げて、先輩の灰色の目を真っ直ぐに見る。
「先輩って、私が高校の後輩だから、優しくしてくれてるんですか。他の人には厳しく接するのに、そんなの、贔屓と変わらない」
冬馬先輩は、目を見開いて、フリーズしてしまった。
感電した機械みたいに、衝撃を受けているのがわかる。
エレベーターが1階に止まった。
扉が開くと、乗り込んでくる人間は居なさそう。
「先輩」
ちょい、とスーツの袖を引くと、彼はハッと我に返る。
そのまま、一緒にエレベーターを降りると、箱はそのまま、また上の階に戻っていった。
しばらく、お互い黙ったまま、駅までの道を歩いていく。
「……すまん、小日向」
5分くらい歩いていると、不意に先輩の弱々しい声が聞こえた。
見上げると、彼はやっぱり無表情で、でも寂しげな目をしている。
「俺は、そんなつもりはなかった」
では、どんなつもりだったというのか。
先輩の弁解を聞かせてもらおうと、立ち止まった。
2人で立ち止まって、しばらく沈黙が降りる。
「――俺は、無意識のうちにお前を――」
その表情は、なにか苦々しい――いや、苦しげな……?
先輩は、ぎゅっと目をつぶったあと、再び開いた。
その綺麗な顔は、無機質な美しさも相まって、アンドロイドが再起動したように見える。
「……そうだな。俺は、お前を……」
その次の言葉を聞いた時、私は不可解な顔をしていたことだろう。
言葉の意味を理解するまで、数秒かかった。
頭の中で、心臓の鼓動が反響して、うるさい。
「――ただの部下として見れない」