そこにあったはずの愛
第百六話「見てほしい、この絵を」

答えは、思っていたよりずっと単純だった。

 

麻由香との会話から、数日が経っていた。

逃げているのか、選んでいるのか。

その境界線を、何度も自分の中でなぞり続けた結果、辿り着いた場所は、案外近くにあった。

 

 

「話したいことがあって」

 

夕食の後、切り出した。

玲依が、少し姿勢を正すのが分かった。

 

「お父さんの話、ずっと考えてた」

 

「うん」

 

「ありがたいと思ってる。本当に」

 

言葉を選びながら、続けた。

 

「でも、専攻が油絵だからって理由だけで枠に入るのは、違う気がして」

 

 

玲依が、じっとこちらを見ている。

急かす様子はなかった。

 

「俺の絵を、ちゃんと見てほしい」

 

はっきりと、そう言った。

 

「学生だからとか、玲依さんの彼氏だからとか、そういうのじゃなくて。作品を見て、それでも欲しいと思ってもらえるなら、行きたい」

 

 

言い終えて、少しだけ息を吐いた。

心臓が、思っていたより速く動いている。

 

玲依の表情が、ゆっくりと緩んでいった。

驚きと、それ以上の何かが、そこに浮かんでいた。

 

「凛」

 

名前を呼ばれて、視線が絡む。

 

「実は、私も同じこと思ってた」

 

「え」

 

「コネで、凛の道を決めさせたくないって。ずっと」

 

その言葉に、胸の奥が熱くなった。

言われなくても、分かっていたはずなのに、本人の口から聞くと、また違う重みがあった。

 

 

「私からお父さんに、伝えてもいい?」

 

「いや」

 

首を振った。

 

「自分で言いたい」

 

玲依が、一瞬だけ目を見開いた。

それから、ふっと笑った。

 

「凛らしいね」

 

「玲依さんに、そう育てられた気がする」

 

軽口のつもりだったのに、思っていたより本気の言葉になった。

 

 

数日後、玲依の実家を訪ねた。

今度は、一人で。

 

「今日は、玲依は?」

 

玲依の父の問いに、首を振った。

 

「自分の口で、話したいことがあって来ました」

 

玲依の父の眉が、わずかに動いた。

 

 

「先日の、広告の枠の件です」

 

「ああ」

 

「専攻で判断せず、作品を見て決めていただけませんか」

 

真っ直ぐに、そう伝えた。

 

「学生だから、娘の恋人だから、という理由で選ばれたくありません。俺の絵を、ちゃんと見てほしいんです」

 

 

沈黙が、しばらく続いた。

玲依の父の目が、値踏みするようにこちらを見ている。

 

やがて、口の端がわずかに上がった。

 

「面白い」

 

短く、そう言った。

 

「ポートフォリオを持ってきなさい。日を改めて、きちんと見よう」

 

 

その言葉に、体の力が少し抜けた。

期待していた反応ではなかったかもしれない。

けれど、逃げなかった自分に、初めて誇らしさのようなものを感じていた。

 

帰り道、玲依に連絡した。

 

『言ってきた』

 

すぐに、返事が届いた。

 

『お疲れさま。凛は、凛のままでいいよ』

 

その一文を、何度も読み返しながら、夜道を歩いた。

 

自分の力で選んだ道が、今、確かに一歩、動き出していた。
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