そこにあったはずの愛
番外編4話「寝顔」

何の予定もない、昼下がりだった。

 

ソファに座っていた玲依が、いつの間にかうとうとし始めていた。

普段は隙のない表情が、少しずつ緩んでいく。

 

 

「寝る?」

 

声をかけても、返事はなかった。

そのまま、静かな寝息が聞こえ始める。

 

 

その寝顔を、しばらく見つめていた。

 

普段は聡明で、隙のない玲依。

けれど今は、まるで別人のように、無防備な顔をしている。

 

 

気づけば、鞄からスケッチブックを取り出していた。

 

描き留めておきたい。

そう思う気持ちが、抑えられなかった。

 

 

鉛筆を走らせる。

 

睫毛の落とす影。

柔らかく上下する呼吸。

わずかに開いた唇。

 

一つひとつを、丁寧に写し取っていく。

 

 

線を重ねるたび、玲依という人の輪郭が、紙の上に浮かび上がってくる。

普段見せる強さの奥にある、この人の柔らかさを、ちゃんと残しておきたかった。

 

 

どれくらい時間が経っただろう。

 

集中していた意識が、ふと途切れた。

 

視線を感じて、顔を上げる。

 

 

玲依が、薄目を開けて、こちらを見ていた。

 

「……あ」

 

慌てて、スケッチブックを閉じようとした。

 

 

けれど、遅かった。

 

「今、何描いてたの」

 

眠たげな声のまま、玲依が身を起こす。

 

「別に、何も」

 

 

明らかに動揺した声に、玲依の目が、興味深そうに細まった。

 

「見せて」

 

「や、やだ」

 

 

「見せてくれるまで、離さない」

 

そう言って、玲依が距離を詰めてくる。

 

逃げ場を失って、観念するしかなかった。

 

 

「……恥ずかしいから、あんまり見ないで」

 

小さく呟きながら、スケッチブックを開いて見せた。

 

 

玲依が、絵を覗き込む。

 

そこに描かれていたのは、眠る自分の姿だった。

睫毛の一本一本、頬の柔らかさ、無防備な唇の形まで、丁寧に描き込まれている。

 

 

しばらく、玲依は何も言わなかった。

 

ただ、じっと絵を見つめていた。

 

 

「私、こんな風に見えてるんだ」

 

呟くような声だった。

 

「うん」

 

「知らなかった。自分の寝顔なんて」

 

 

「玲依さん、寝てる時、一番無防備で。一番、綺麗だと思う」

 

正直に、そう言った。

 

玲依の頬が、わずかに赤くなる。

 

 

「照れる」

 

「俺の方が、恥ずかしいけど」

 

 

そう言いながら、スケッチブックを閉じようとすると、玲依の手が、それを止めた。

 

「これ、もらってもいい?」

 

「え」

 

「大事に、しまっておきたい」

 

 

その言葉に、胸の奥が温かくなった。

 

「描いてよかった」

 

素直に、そう思った。

 

 

絵は、言葉より雄弁なことがある。

今、それを実感していた。

 

玲依の寝顔を写し取ったその一枚に、言葉にしきれない想いの全部を、込めたつもりだった。
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