そこにあったはずの愛
第十四話 制御できない衝動

制作机の上、スマホの画面がまた暗くなる。

点けて、確かめて、また暗くなる。

その繰り返しに、もう何度目か分からなかった。

既読は、まだつかない。

――

最初の一日は、忙しいんだろうと思ってた。

秘書なんて、そういう仕事だって聞いたことがある。

けど二日目、三日目と経つうちに、その言い訳が薄っぺらくなっていった。

頭の隅に、勝手に浮かんでくる影があった。

誰かと、会ってるんじゃないか。

顔も名前も知らない、誰かの輪郭。

想像するたび、腹の底が焦げつくような感覚が走る。

こんな感情、持ったことがなかった。

三年間、一度も。

自分の柄じゃないと分かってても、消えてくれなかった。

――

気づいたら、電車に揺られてた。

窓の外を流れる景色を、ろくに見てもいなかった。

何を言うつもりなのか、自分でもよく分かってなかった。

ただ、顔が見たかった。

声が聞きたかった。

それだけで、頭の中がいっぱいだった。

――

ビルの前に着いて、しばらく突っ立ってた。

スーツの群れが、次々とガラス扉から吐き出されてくる。

自分の場違いさに、今更ながら気づく。

けど、引き返す気にはなれなかった。

やがて、見つけた。

視線が、合う。

胸の奥が、ぎゅっと締まった。

考えるより先に、体が動いてた。

――

隣に、見知らぬ女がいた。

玲依さんと同じくらいの年頃の、綺麗な人だった。

誰なのか、一瞬考える余裕もなかった。

「迎えに来た」

自分の口から出た言葉に、遅れて自分で驚いた。

こんな言葉、今まで一度も使ったことがなかった。

言った瞬間、玲依さんの表情が固まったのが分かった。

隣の女も、息を呑んだのが分かった。

まずい、と思ったけど、もう遅かった。

――

見知らぬ女が、何か言って、静かに離れていった。

二人きりになった空間が、やけに重く感じられた。

「なんで」

玲依さんの声は、いつもより硬かった。

答えを、まだ用意できてなかった。

「既読、つかなかったから」

そう言いながら、口の中が乾いてた。

「心配、した」

言った瞬間、頭の中で警報が鳴った。

そんな言葉、自分の辞書にあったっけと思うくらい、柄にもない言葉だった。

体だけの関係の女に、使う言葉じゃない。

分かってても、もう出てしまってた。

玲依さんは、何も言わなかった。

ただ、じっとこっちを見てた。

その沈黙が、余計に落ち着かなかった。

――

「ごめん」

短く、そう言われた。

その一言に、何かが決壊した。

「謝んなくていい」

「ただ」

言うつもりなかった。

「顔、見たかっただけ」

口にした瞬間、頭の中が真っ白になった。

なんで、こんなこと言ったんだろう。

自分でも、さっぱり分からなかった。

けど、取り消せなかった。

雨が降り始めた音だけが、しばらく二人の間を埋めていた。

――

濡れたアスファルトの匂いを吸いながら、マンションまでの道を歩いた。

傘の中、玲依さんとの距離が、いつもより近かった。

何も話さなかった。

話せることなんて、もう残ってない気がした。

――

部屋に着いて、玲依さんが聞いてきた。

「どうして来たの」

「迎えに」という言葉を、玲依さんは使わなかった。

それに、なぜか少し安堵した。

「メッセージ、読んでくれないから」

さっきの二つの本音を、その一言で塗り潰した。

上手く言えたと思う。

なのに、胸の奥に小さな穴が空いたような感覚があった。

塗り潰した言葉は、自分の中では、まだ消えてなかった。

――

ソファに並んで座る。

いつも通りの流れに、少しだけ安心した。

けど、頭の隅には、まだあの二つの言葉が引っかかったままだった。

心配した。

顔、見たかった。

あれは、なんだったんだろう。

答えの出ないまま、玲依さんの肩に手を伸ばす。

考えるのは、後にしよう。

そう自分に言い聞かせながら、凛はその先へ、指を這わせた。
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