そこにあったはずの愛
第十八話 浮足立つ理由

「いいよ」

打ち込んだ三文字を、送信する前に何度も見返した。

もっと違う言葉があったんじゃないか、と思いながらも、結局それ以上は打てなかった。

素っ気なく見えるように。

浮かれてるなんて、絶対に悟られないように。

そう思いながら送ったはずなのに、指はもう、考えるより先に動いていた。

画面の向こうで、玲依さんはどう思っただろう。

想像するたび、胸の奥がざわついた。

――

その日から、バイト先でも、制作の合間でも、頭のどこかにいつも土曜日があった。

トレイを運びながら、ふと時計を見て、あと何日、と数えている自分がいた。

キャンバスに向かっていても、筆が止まって、気づけば違うことを考えている。

こんな浮つき方、三年間、一度もしたことがなかった。

玲依さんに会う日は、いつだって「今日行っていい?」の延長でしかなかったはずだ。

なのに今回は、違う。

まるで、初めてのデートみたいに、浮ついてる自分がいる。

柄にもない、と分かってても、止められなかった。

――

夜、狭い部屋のクローゼットを開けて、何度も中を見返した。

持ってる服の数は、そう多くない。

けど、その少ない中から、どれが一番良く見えるか、真剣に考えている自分に気づく。

今まで、身なりを整えてきたのは、みすぼらしく見られたくない、ただそれだけの理由だった。

安く見られたくない。

情けないところを、見せたくない。

そういう、守りの理由だった。

けど今は、少し違う気がする。

気に入られたい。

そう思っている自分に気づいて、少し驚いた。

こんな感情、今まで自覚したことがなかった。

――

けど、浮ついた気持ちの奥に、ふと冷たいものが差し込んでくる瞬間があった。

なんで、急に誘ってきたんだろう。

三年間、一度もそんな素振りを見せなかった人が、なぜ今になって。

もし、前向きな話なら、もっと違う誘い方をするんじゃないか。

「今度、ご飯でも」という、素っ気ない一文。

いつもと同じ、感情の見えない文面だった。

だとすれば、これは。

嫌な想像が、頭の中を這い上がってくる。

大事な話を、するためなんじゃないか。

もう終わりにしよう、と告げるための、口実なんじゃないか。

もしそうなら、外で会おうとするのも、頷ける気がした。

もう、家には呼びたくないのかもしれない。

三年間、あの部屋だけが、二人の場所だった。

そこに入れたくないと思われているのだとしたら。

そう考えた瞬間、胸の奥が、鈍く冷えていった。

そう考えると、さっきまでの浮つきが、急速に冷えていく感覚があった。

期待と、恐怖。

正反対のふたつが、同じ場所でせめぎ合っていた。

――

考えたところで、答えは出ない。

分かってても、考えるのをやめられなかった。

窓の外、古びたアパートの隙間から、遠くの街の灯りが微かに滲んでいる。

土曜日まで、あと何日。

数えるたびに、期待と不安の両方が、少しずつ膨らんでいく。

柄にもないな、と自分でも思う。

けど、その柄にもない感情を、凛はもう、手放せずにいた。
< 18 / 58 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop